トウマの情報窓に、Eden外の映像が流れていた。

 ガラガラと崩れる空、歪む遠景。地面からビルが生え、それを瓦礫が押し崩す。巻き上がる白亜の砂に茶色い塵や布切れや肉片が混じっている。肉の塊が津波のように押し寄せる。それに覆いかぶさるように巨大兵器の群れが肉に塗れながら進軍してくる。

 それらの混沌が、もう半日もしない内に都市に到達するらしいと知らされても、トウマにはまるで実感が湧かなかった。セントラルタワーの頂上は相変わらずしんとした静寂に満ちている。

 ミオはコフィンの窓越しにキコを撫でていた。

 あれから一言も発していない。トウマの問いにも応じない。

 とにかく、今の内に行動しなければならないのは確かなようだった。

「隔壁の再生成はできないのか?」

 トウマは口頭でEdenに問い合わせた。滑らかな合成音声がそれに答える。

『一時的なものであれば可能です』

「何故そうしない?」

『メインサーバの演算規模は、多次元制御壁のそれを遥かに下回っています。メインサーバの全演算機能を隔壁の再現に使用したとしても、Eden時間で三日ともたないでしょう』

「たった三日……」

『また、全てを隔壁の維持に使用すれば都市調整機能は失われます。基底理念に反しますが緊急事態ですので、全滅か生存かのどちらを優先するかは議論の必要があります』

 どちらにせよこのままでは人類は滅ぶ。何かないか。

『選択肢は三つあります。一つ目、全人類を速やかに仮想送りにすること。二つ目、全機能を動員して一時的に隔壁を復元すること。三つ目、この都市から脱出すること』

「それなら」

『三つ目の選択肢ですが、安全な退路が確保できないこと、安全な避難先が存在しないことなどから非推奨とさせていただきます』

 それはそうだろうが。それこそ生きるか死ぬかの話ではないのか。

『選択権は全人類に付与されています』

 キコならどうするだろう。きっと三つ目を選ぶだろう。希望者だけの脱出とか。そんな人はいないようにも思うが。

 トウマはどうなのだろう。どうしたいのだろう。そもそも、何故この話を認識できているのだろう。何をすべきか分からない状況なんて初めてだった。とにかくまずはキコを助けたいけれど方法がない。方法の探し方も分からない。

 ふと顔を上げると、ミオが消えていた。

「え?」

 そこにはキコが眠るコフィンだけが残っていた。トウマは辺りを見回すが、ミオの姿は影も形もない。

「ミオ・クロサキはどこに行った?」

『基底理念に沿って、ミオ・クロサキは仮想送りになりました』

「いくらなんでも急すぎないか?」

『基底理念は全人類に平等です』

 トウマの背筋を怖気が走る。強烈な違和感。まるで、幸福にならなければ許さないとでもいうような。

 いや、そうなんだろう。Edenは昔から、人類の幸福のために稼働している。

 と、トウマの首が不自然に横に倒れた。

 耳の後ろを、風を切って何かが通り過ぎる。キイィィン……と、耳障りな残響が掠めていく。

 破砕音と共に、一瞬強い風が吹いた。一面窓に穴が空いていた。それはすぐさま修復され、見る間に元に戻っていく。

 射線を辿って振り返れば、晴天の光が届かない部屋の中心に、一人の男が立っている。

「ノヴァ? 何でここに……」

 構えた銃口が甲高く鳴いた。トウマは身体を倒して再度それを避ける。避けられることに驚いたが、Edenの補正だろうと受け入れる。

「お前こそ、何をしているんだ?」

 二度躱されて異変を察したか、ノヴァが銃口を下げて問う。

「僕はキコを助けたいんだ。そっちこそ、何で僕を撃つんだ」

「ああ、それはあいつか……」

 ノヴァが再びトリガーに指を掛けるのを認めて、トウマの身体が動いていた。

 コフィンの底面に手を掛ける。響き渡る銃声と同時に、トウマはコフィンを思い切りひっくり返した。

 衝撃が床を伝う。コフィンがあった位置にクレーターが穿たれている。

「ちょっと待て! 何するんだ!」

「お前こそ。……待て、本気で言っているのか?」

「キコは仮想送りなんて望んでいなかった」

「そうじゃない。直にこの辺りにも多世界収束が起きる。そうなれば人類に行き場はない。知らないのか?」

「知ってるさ! ここで仮想送りになれば後は死ぬだけってことも!」

「……それは嫌だと?」

 トウマは力強く頷いた。

「僕は抵抗はないけど、彼女はそうじゃないし、僕が起きているならそういうことだろ」

「何が望みなんだ……」

「僕は」

「お前じゃない」

 トウマが瞬きをした隙に、ノヴァの足がトウマの腹を蹴り倒していた。

「Edenの望みだ」

「がっ……」

 地面に倒れるトウマの腹に靴を押し当てたまま、ノヴァは額に銃口を突きつけた。

「待っ……待て! 待ってくれ!」

 トウマは口を引き攣らせて喚く。それが功を奏したのか、トリガーはまだ引かれなかった。ノヴァの視線が宙を向く。何かを確認するようにしてから、再び視線をトウマに戻した。

「……お前の考えは共感できんが理解はできる。解析済特有のEden信仰、俺も同じだ」

「信仰? Edenがなくたって僕は同じことをするさ」

 声の震えを抑えながら、なるべく対等に話そうと努力する。痛みはない。修復は進行している。

「Edenにとって、俺とお前のどちらが勝っても構わないんだろう。どちらにしても基底理念に反しない」

「僕は君と戦う気はないぞ」

「お前を殺した後はあいつだ。それでも戦う気はないと?」

「それは駄目だ! 何でそんなことをするんだ。君が仮想送りになればいいだろ?」

「理由か。そうだな、物心ついたときから、俺はこうしたかったんだ」

「僕を痛めつけて彼女を殺したかったって?」

「ああ、知らないのか。俺は階下のコフィンを壊してここまで登ってきたんだ」

 トウマは踏まれていることも忘れて絶句した。

「何でそんなことを?」

「人類を滅ぼしたかったんだ」

「……人類を?」

「ここは楽園だ。もう続かなくていいし、もう生まれなくていい。言わなかったか?」

「いや……だったら、わざわざ仮想送りになった人たちを殺す必要ないだろ……?」

「あるさ。仮想送りになっても死んだわけじゃない。中で幸福な人生を送り直しているだけだ。そんなものは終わっていい」

「は……?」

「Edenは、俺の虐殺を許容せざるを得ない状況が必要だったんだ。だから俺を生かした。こんなところか? ああ、何故こいつがまだ生きているのかさっぱり分からんが……」

「誰と話しているんだ……?」

 鋭い碧眼がトウマを見下ろす。トウマの首筋から汗が噴き出す。死への恐怖よりは痛みへの恐怖だった。

「せめて、せめて彼女は助けてやってくれないか。コフィンを壊すだけでいいんだ」

「ここで助けて何になる。今頃あいつは宇宙の果てだ」

「君だって、ここが仮想だったら起きたいだろ?」

「死んでも起きたくないな」

「……僕の例えが悪かった。彼女は違うんだ」

「言いたいことはそれだけか?」

 引き金に指が掛けられる。男の冷笑がトウマを許さない。

 それでも真っ直ぐに、トウマは男を見上げ続けた。

「本当に、君はこんなことがしたいのか?」

 ガチン、と引き金の音が響いた。

 高音の残響に息を呑む。

 呼吸が止まる。


 その瞬間、トウマの脳内で鍵が開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る