ICE・TOWN

宇宙音

第1話

果ての丘


 一面に広がる黄金色の大地に僕は足が竦む。風と共に揺らぐその穂は、僕の存在を全て消し去るかのように夕日に溶け込む。このまま大地と一体化してゆくのだろう。それでもいい。誰も僕の存在のことなど気づかない。誰一人として手を差し伸べてくれる者など居なかった。それは今までも。そして多分、永遠に。この心の蟠りを抱いて今日のこの日まで迷い込んできた。まるで終着駅の無い線路を走っている夜汽車のように、何処までも、何処までも果てしなく彷徨い続けるのだ。



海が見える街


 海岸線沿いの狭い脇道を、一人の少年が息を切らして走っていた。この港街に、夕刻の家路に着く人影は見当たらず、沈黙の暮れゆく街並みが、人々から忘れ去られた年月を思い起こさせる。時折遠くから海鴎の鳴き声が、断続的な音声のように微かに響き渡るが、寂れてしまったこの風景には、単なる映像の効果音に成りすましていた。少年が立ち止まったのは、コンクリートが今にも崩れ落ちそうな背の高い波止場が、彼の視界一面に広がったときだった。



ICE・TOWN


 ミザは大きく息を吸って空を仰いだ。既に太陽は沈みかけていて、夕方と呼ぶには少しだけ暗い。そろそろ一番星もはっきりとこの空を照らすように輝いてくる頃だろう。一体どのくらいこうしていたのか、ミザは“ピピピピピッ”という電子音に、一瞬自分が何処に居るのか分からない感覚に陥った。音のする方へ首を廻らせて、初めてその音の発信源が身に付けている電子時計だということに気づく。ホッとしたミザは、耳に響くその音を直ぐ様に消したが、消してからそれがアラームだということを思い出した。ミザはハッとなり、腕を持ち上げる。電子時計は午後六時五分前を表示していた。


「・・・・・もうこんな時間か。」


時が過ぎるのはあっという間だな、とミザは感慨する。昼間、あれほど狂い照っていた真夏の太陽は、今となっては遠い過去のような存在に思えた。彼にとって時間とは、一定の流れに沿って移動するものではなく、それぞれに独立した意味合いを持って、彼の記憶の中での一つとして収まっていた。この頃、同じ夢ばかり見てしまうのは、その時間の収集がうまくいかなくて、記憶が頭の中に溢れているからなのだとミザは思っている。その夢は、授業中だったり、道を歩いている途中だったりするときにも頭の中に入り込むようにしてミザを現実から遠ざける。普通に生活するには何の支障はない。それは一瞬のことで、直ぐにもとの時間の流れに戻るのだ。だが予期もなく突然意識が別の記憶へ飛んでしまうことだけは、今のところ彼の最大の悩みの種だ。以前から時間の逆流の夢を見る現象は度々起こったが、最近は頻繁にミザを襲うようになった。


 街に、六時を伝える鐘の音が鳴り響いた。この場所は中心街から少し外れたところにあるので、一番近い時報塔まで大分距離がある。ミザは直ぐに時報だとは気づかなかった。


「遅刻だ・・・・。」


足元に投げ捨てていた皮製の鞄を急いで手にし、元来た道順を辿って、彼はその場所を後にした。


 ミザの学校では、もう直ぐ長い夏季休暇に入る。次の始業の目処は立っていなかった。もしかしたらもう行くことはないかもしれない。以前と比べて人の混み合うことがなくなった地下鉄のプラットホームに立ち、ミザは学校に行かなくて済むかもしれないことを思った。彼は学校があまり好きではない。皆同じ格好をし、同じ規律に従い、同じ行いをする。それが当たり前のような空間が、ミザには少し苦痛だった。そんな集合体の一部から、永久に追放されてしまえばどんな気分なのだろうと何度思ったかしれないが、現実になってしまうと、心の、何か壁のようなものが静かに剥がれ落ち、彼を何処か落ち着かせなくさせた。ミザにはこれが悲しいのか嬉しいのか、自分の気持ちが理解できなかった。

 暫らくしてホームに到着した電車に乗り込と、やはり疎らにしか乗客は居なかった。空いている席には目もくれず扉の前に立つと、ミザは時計を確認した。待ち合わせの時間まであと僅かであった。今日の放課後、彼は友人のヒロミと、先月から学校を休みだしたイルバンの見舞いへ行く約束をした。ミザにとって、生徒という群れを成す級友たちの中で、ヒロミは異彩を放つ存在である。彼もまた規律を好まず、いつも奔放に群集を泳ぐように自分を主張していた。そんなヒロミに魅かれ、ミザにとっては唯一といっていい程の心を許す友人であった。


 改札を通る頃には、約束の時間を十分は過ぎていた。待ち合わせ場所のクリスタルパークまで、地下街道を真直ぐに進むだけである。それでも普通に走って約八分は要する。気が長いとは云えないヒロミを怒らせると後が面倒になるので、ミザは移動にオートウォーカーを選んだ。これならば同じ距離でも歩道を動きながら移動出来るので少しは早く着くことが可能だ。今までであったら、ICE・TOWNの中央地区であり一番交通量が多く、地下街ながらも栄えている、セントラル街一帯は人々で溢れかえっていた。オートウォーカーを走ることなど不可能であっただろう。しかしミザの予想した通りコンベアーに混雑はなく、容易に移動が出来た。


 五分後、約束の場所にヒロミの姿は見当たらなかった。クリスタルパークは、地下セントラル街ではシンボル的な場所だ。地下でありながら驚くほど高い天井が特徴で、一見したら、ドームの中に居るのかと錯覚する。内装は、普通の総合公園となんら変わりない。花壇や噴水もあり、図書館やホールなどの施設も入っている。この広い敷地内で、ヒロミとの待ち合わせに選んだクリスタル広場には、象徴の結晶がその輝きを放ち、目立っていた。ミザは、彼の身長より幾分か高い結晶の塊に、惹きつけられるように近づいた。一面を覆うガラスケースに収まったクリスタルの結晶は、ミザの瞳を吸い寄せるような不思議な力があった。彼は、ガラスケースを囲う胸の位置まである金属製の策に凭れ、その輝きに魅入った。

 どのくらい時間が過ぎたのか、聞き覚えのある声が直ぐ隣で聞こえた。


「遅かったじゃないか。」


もう来ないのかと思ったぜ、と面白そうな声音でヒロミが呟いた。彼は学校が終わった後、一度自宅に戻って着替えたのか私服であった。


「ヒロミ、僕よりも先に来ていたのか?」


時計を見るとミザが広場に着いてから五分と経っていなかった。ヒロミは心外だ、とでも云うように肩を竦めると、


「俺が、今までにお前との約束に遅刻したことがあるか?」


そう云いミザを置いて、その場を歩き出そうとした。ミザは、ヒロミの気分を悪くさせてしまったのかと思い慌てて彼の後を追った。


「遅れて悪かったと思ってるよ。」


彼が一旦機嫌を損ねると、直すのに苦労が掛かることを、長年の付き合いで知っているので、ミザは何とか謝罪の言葉を選んだ。

だが突然立ち止まり、ミザの方へ振り返ったヒロミの表情には機嫌の悪さは伺えず、彼特有の何かを仕出かす前のような笑みを浮かべていた。


「お前を待っている間に、面白いものを見た。」

「面白いものって?」

「着いて来いよ。」


云うなりヒロミはもう一度背を見せて歩き出した。ミザの心配は杞憂だったことにホッとし、今度は彼の隣に並んだ。


続く

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