第23話 話をあわせて!

 ユイの顔がみるみる青ざめる。ペン太はあわててリュックを背負い、壊れた人形のような動きで首を回した。

「これで大丈夫?」そう言わんばかりの視線を広樹に送る。

 見られて三秒以内なら大丈夫なのだろうか。ユイは、どうすることもできずに、なりゆきを見守る。

 広樹の、ぽかんと口を開けた顔が、さっと笑顔に変化した。

 ばれた。水族館に入った瞬間の、とてもうれしそうな顔を思い出させた。

 ユイは天を仰いだ。広樹はもう寝る時間だからと油断していた。ちらりと、ベッドの端に寄せた、『おりがみ』の本を盗み見た。

 さっさと返しておけばよかった。でも、まさか今日に限って、広樹が『おりがみ』の本を探すなんて思わないじゃない。

 ユイはひそかに言い訳して、そうっと扉に近づいて、ばたんと閉めた。と、同時に、広樹が大きな声をあげた。ぎりぎりだ。もう少しで一階に聞こえるところだ。


「うわっ! ペンギンがいる!」


 ペン太がびくりと体を強張らせた。困った顔でユイに視線を送る。


「どうしようもないでしょ」


 ユイが肩をすくめ、ペン太ががっくりとうなだれた。


「間が悪いんだよなあ……ぼくって。ユイの時もそうだった」

「ええっ、ペンギンがしゃべった!?」


 体は引いているのに声は弾むという、微妙な反応を見せた広樹の肩に、ユイは両手を置いて、小さな声で耳打ちした。


「お姉ちゃんが説明するから、ちょっと座って。ペンギンさんも座るから」

 仕方がない。仲間に引き入れよう。

 ユイは素早く切り替えた。


 *


「じゃあ、ヴァンって言ってた人が、このペンギン?」

「……そうだけど、ペン太って呼んであげてよ」


 ユイは顔をゆがめたが、広樹はどこ吹く風だ。四つん這いでにじり寄り、白いおなかを細い指先で二度つつく。


「トショカイとかわかんないけど、ペンギンってしゃべれるのがいるんだ」


 目をかがやかせる広樹に、ペン太が自慢げにぐっと胸をそらした。


「広樹も、いい経験ができたな。図書ペンギンに出会えるなんて幸運だぞ」

「うんうん! で、いつ海に帰っちゃうの? 明日は遊べる?」

「い、いやー、ちょっとぼくはいそがしくて、遊んでる時間はないんだ……ほんとに」


 ペン太が残念そうにくちばしを下げた。よく見れば冷や汗が浮いている。

 水が苦手なペンギンは色んな意味でつらいだろう。


「ええー、つまんない! 一緒にプール行こうよ」

「広樹、ペン太が困ってるでしょ? プールはまた今度にしなさいって」

「やだっ! 奈津と浩太を呼んで一緒に行きたい。ペンギンとプール!」

「広樹……あんまりわがまま言うと、ペン太に嫌われるよ」


 ユイが「ね?」とペン太にウインクを送る。ぱちぱちと何かをうったえる視線にペン太が戸惑った。


「別に、そんなことで嫌いにはなったりは――」

「ペン太! 迷惑だよね?」


 ユイが、ペン太の言葉をばっさりと断ち切り、今度は反対の目でウインクをする。またたきが激しくなった。慣れない動作のせいか、ユイのほおが引きつった。お母さんのようにはうまくできない。

 ペン太が、はっと気づいたように、かすかに目を見開いた。


「そうだな! ぼくはプールが嫌いだった」


 ペン太が腕組みをして、何度もうなずいた。ユイが、いらだつように「プールだけじゃダメだって」とつぶやいたが、ペン太には聞こえない。

 困り顔の広樹が、「じゃあ海!」と間髪いれずに答えた。

 ユイが「だから言ったでしょ」と頭をかかえる。


「海なら好きでしょ? ペンギンだもん! お母さんとお父さんに頼んでみる!」

「ま、待って広樹!」


 ユイが広樹の前にしゃがんだ、言い聞かせるように言う。


「さっきも行ったけど、ペン太の正体がみんなにばれたらまずいの。檻に入れられて、一生捕まっちゃうかもしれないの。かわいそうじゃない? お願いだから、黙っててあげて。ね?」


 広樹が小さく唇をとがらせる。

 ユイが、「あっ、これダメなときの顔だ」と内心でため息をついた。

 予想は当たっていた。


「お母さんに言う」

「広樹……」

「だって、お姉ちゃんだけ、ペン太と遊ぶのずるい」

「お姉ちゃんは別に遊んでたわけじゃないんだって」

「でもずるい」


 広樹は引き下がらなかった。それどころか、かたくなに首を振って、「あのね」と事情を説明しようとするユイと視線を合わさない。 

 これ以上は無理かな。

 心のどこかであきらめたユイは、考えていた最後の手段をとることに決めた。


「わかった。じゃあ、ペン太と二人でお風呂に行っていいよ。お姉ちゃんは入らないから、二人だけで遊んで」

「やった!」

「その代わり――」


 ユイは言葉を切って、広樹をじろっと見た。声を落とし、これ以上のわがままは許さないと瞳に力を込めて言った。


「海はダメ。奈津と浩太に言うのも禁止。それと、お母さんとお父さんにも内緒。約束だよ?」

「うん」


 ようやく広樹がうなずいた。表情は晴れやかだ。よほどペンギンと遊べることがうれしいらしい。

 ユイもその気持ちはよくわかった。だから、広樹が「ずるい」と言ったときには、どきっとしたのだ。

 自分が逆の立場なら、きっと同じことを言っただろう。同級生でも、真央でも、自分も遊びたいと頼んだに違いない。

 広樹が「やった! やった!」とユイの部屋で飛び跳ねる。

 ユイが、ほっと安堵の息を吐くと、ショートパンツを軽く引っ張られた。振り向くと、ペン太が見上げていた。


「……ぼくの意見は? お風呂入らなきゃダメ?」

「……がんばって」

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