第21話 野菜も食べるの?

 夜七時。

 長方形のテーブルに夕食が並んだ。予想通りアジだった。フライなのがせめてもの救いだ。ユイの皿には三尾。小骨が多い魚であまり好きではない。

 内心でため息をつき、対面に座ったお母さんの顔を盗み見る。食卓についてから、変わることのない大げさなほほ笑みが嫌になる。

 お父さんが早く帰ってきたら歯止めがかかるのに、今日に限って夜通し仕事だそうだ。


「へえ、ヴァンくんとユイは最近知り合ったの」


 大げさに驚くお母さんをしり目に、ユイはアジを箸で挟んだ。頭側の身をかじり、骨がないか確認しながら、慎重に奥歯で噛む。

 隣で、イスに立つ姿勢のペン太が言った。


「ユイとは図書室でぐうぜん出会って」


 箸はさすがに使えないそうだ。フォークをトマトに突き刺したペン太が、不自然な笑顔でにっこり笑う。

 今もバッジをつけたリュックは背負ったままだ。肩紐につけなければ、手で持つか、体にピンを刺さなければならないそうだ。

 バッジの効果は絶大だ。今もお母さんとその隣に座る広樹は一切疑っていない。ユイの友達の、ヴァンという同級生の友達は、少し身長が低い、かっこいい男の子。


 ――いくらなんでも低すぎるでしょ。広樹より低いし。


 ユイはごくりとアジを飲みこんだ。小骨がのどに微妙に引っかかった。嫌な感覚が残り、黙ってお茶を冷蔵庫に取りに行く。コップに半分注ぎ、口をつけた。


「そう……運命的な出会いだったのね」

「――っ、げほっ」


 お母さんの熱っぽい言葉に、ユイが盛大にせき込んだ。台所にほとんど飲めなかったお茶を叩きつけ、あわててイスに戻り、ペン太に目線で「余計なことを言わないで」とくぎを刺した。

 そして、お母さんをにらみつける。


「いい加減にして。そのネタいらないから。違うって言ったでしょ」

「あら、そう? でも、お母さん嬉しくって」

「嬉しい?」


 ペン太が首を曲げる。


「ややこしくなるから、ちょっとだまっててくれる?」


 ユイがまったく笑っていない笑顔をペン太に向けた。ペン太がその剣幕に「うっ」と言葉をのむ。


「お姉ちゃん、怒ってるの?」


 五歳の広樹がお母さんの隣でお刺身をほおばる。ペン太と同じくフォークを片手に、もぐもぐと口を動かした。

 お母さんは広樹に甘い。一緒に買ってきたというお刺身はユイより多いし、まだ箸が上手に使えないからと、フォークを渡している。

 ユイが五歳の時には厳しく練習させられたはずだ。


「別に怒ってないし」

「でも顔怖い」


 無邪気な顔でそう言った広樹に、お母さんが続く。


「そうよ、ユイ。ヴァンくんの前ではしたない。お母さんの料理をおいしいって食べてくれてるんだし、いつまでもむくれてないで座りなさい」

「……お母さんがからかうから」


 ユイは聞こえるか聞こえないかの言葉で言い、再びアジを口に放り込んだ。

 さっきよりも強い小骨に当たった。


 *


「ヴァンくんは、今晩泊まっていくって話だけど――」


 お母さんが、少し声を落とした。

 ユイは思わず頭を抱えたくなった。最初に連絡したときに、友達だから泊まっていってもらうと伝えてしまったのだ。

 見た目がペンギンに見えるから、完全に忘れていた。

 まさかバッジの効果で同級生の男子に見えるとは思いもしていない。


「あ、あの、お母さん、実はね――」


 ユイはどう言い訳しようと、しどろもどろに言葉を探す。

 しかし、お母さんはまったく聞いていない。ペン太を値踏みするように、じっと見つめて言う。


「お部屋だけは、別にさせてくれる? 良かったら広樹の部屋はどう? まだ一人で寝られないから、夜は空いてるわ」

「あっ、ぼくはどこでも。泊めていただけるだけでうれしいです」


 重くなった雰囲気を吹き飛ばすほどの軽さで、ペン太が言った。

 お母さんの顔が目に見えて緩んだ。ほっと一息つき、「いい子ね」とユイにウインクで伝える。

 ユイはさらにげんなりする。友達として正式に招待したことを少し後悔しそうだった。

 ペン太はそんなことに気づかないのか、次々とトマトのスライスをひょいひょい口に運んでいる。意外にアジは減っていない。

 ユイは耳打ちするように言った。


「ペン太って、魚よりトマトなの?」


 ほとんど丸飲みしていたペン太がのどを鳴らすのをやめて、振り向いた。

 視線を泳がすようにして言う。


「……魚は苦手なんだ」


 ユイが「え?」と声を漏らした。

 ペン太がバツが悪そうな顔で再びトマトにフォークを刺す。


「ペンギンの仲間なのに、なんでって思うだろ? 図書界で、でっかい魚に追いかけられてから、怖くなってさ。紙しか食べなかったんだけど……これがトマトか。本で見て知ってたけど、みずみずしくておいしいな」


 ペン太は上機嫌に笑った。

 お母さんが、目尻を下げて、腰をあげた。


「ヴァンくんはトマトが好きなのね。まだあるから、もう一個切るわ」

「えっ! いいんですか?」


 ペン太が平たい両手を食卓にぺたんとつけて、体を乗り出した。瞳が輝いていて、ユイは何も言えなくなった。

 まあ、紙以外に好きな食べ物が見つかったならいいか。

 ユイはあきらめた顔をして、イスの背もたれに体を預けた。

 そして、自分のトマトを、そっとペン太の皿に盛った。

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