第13話 なにかが違う
本の声が聞こえる。
”テゾーロ博士は、一日中探し回って、ようやく宝物を見つけた。足が棒になり、体はくたくただった。しかし、探し求めていた小動物――キタリス――を暗がりで見つけた瞬間に、すべてを忘れてカメラを構えた”
「テゾーロ博士って人の観察本なのかな?」
不思議そうに小首をかたむけたペン太の横を、小型のリスが通り抜けた。体調は二十センチほど。小さな三角の耳が特徴的で、ふさふさの尾を揺らしてユイに近づいた。
「人なつっこいリスだね、全然こわがってないよ」
ユイは目の前までやってきたリスをほほ笑んで見つめる。
ここに来るまでに図書界で出会った三匹のネズミを思い出した。彼らとしゃべることはできなかったけれど、雰囲気は近い。
むしろ、彼らから臆病さをなくしたような近づき方を見て、芸でもしてくれるのでは、と淡い期待がわいた。
リスがさらに一歩近づいた。
ユイが胸をおどらせ、手をのばした。
小さな小さな前足が、ユイの手に触れようとし――
「さわっちゃダメだ!」
ペン太があせって大声をあげた。
反射的にユイが手を引っ込める。
「そのリスにひっかかれたら大変なんだ!」
こんなにかわいいのに? ユイは不思議に思ったが、ペン太の顔は必死だ。
本当に危ないのだろう。ユイは危険な理由を棚上げにして、ひとまずゆっくり後ずさった。なのに、リスの方が前足を下ろして、さらにそばに寄った。
丸い瞳が不気味に光ったのを見て、ユイは得体の知れない恐ろしさにぞっとする。
「なぜ逃げないんだ」
ペン太がリスを鋭くにらみつけた。
ユイの手を引いて走りだした。
いつものぺたぺたという足音じゃない。こんなに走れるのかと驚くほどに早く跳ねるペン太は困惑顔だ。
「どうして、ぼくらに干渉する」
ペン太は前を向いたままつぶやく。「まさか、ぼくらが見えて? いやそんな……」何度も首を振って前を向いた。
わけがわからない。
ユイは肩越しにリスをのぞき見た。
どこからやってきたのか、リスの数が増えた。
気づけば、崖の向こうから小さな動物があとからあとから姿を見せている。真っ黒なたくさんの瞳が、暗がりの中で光っている。
ユイは怖くなって見るのをやめた。言葉を出さずに、ペン太の横顔に視線で問いかける。
「わからない……」
気づいたペン太が疲れた顔で首を振った。
「本の世界の登場人物たちは、ぼくらに気づかないはずなんだ。確かにそう習ったはず……」
「さっき、私を見てたよ」
リスの奇異な瞳を思い出す。確かにユイの姿を見ていた。
「だから、わからないんだ」
背後から、ざわざわと波が近づいてくるような足音が追ってくる。「キィ」というリスの鳴き声が絶え間なく聞こえる。
ユイは振り返ることができなかった。
気づけば息が荒かった。胸が呼吸のリズムを忘れたように「はっ、はっ」と短く吐く動作ばかりを繰り返し、みるみる息苦しさを感じた。
額に冷たい汗が浮き、膝ががくがくと揺れた。長距離マラソンをするよりずっとしんどかった。
まだ? どこまで逃げればいいの?
ユイは終わりの見えない崖のうえを手を引かれて延々と走った。
空から声が聞こえた。
”テゾーロ博士は、三年間、キタリスを追いかけた。楽しい時間だった。狂犬病を有する動物であるために、むやみに触れることはできなかったが、毎日彼らに会えることに心おどらせ、とうとう本を書き上げるまでにいたった”
女性の声が終わり、白く光った空が真っ黒にぬりつぶされると、辺りは再び闇に包まれた。
「どこなんだ」
ペン太が苛立ちを顔に浮かべ、あちこちの岩陰をのぞく。その度に「あそこもちがう」とつぶやく。
強い力で腕を引かれるユイは何も言わずついていった。
心配でたまらなかった。
もう何分走っているのかわからない。気を抜けば今にも倒れそうだ。ほんの少し後ろを盗み見れば、群れたリスが何百と、つかず離れず追いかけてきていた。まるで黒いじゅうたんのような大群の中で、無数の瞳がぎらぎらと光っている。
ユイはふと気づいた。ペン太の背が縮んでいる。
いつの間にか、腰を曲げなければ手をつなげなくなっていた。
「ペン太、大丈夫!? 体が小さくなってる!」
ユイは息も絶え絶えで叫んだ。
この二人しかいない世界でペン太に何かあったのかもしれない。
「……ユイ……うそだろ」
振り向いたペン太が絶句した。逃げることを一瞬忘れたのか、足を止めて驚いた。
ペン太が「くっ」と苦し気に言って、再び走り出した。
「ペン太、答えて!」
ユイが悲痛な表情で言う。
ペン太は首だけ回した。続く言葉はない。
ユイの手が「急いで」と強く引っ張られた。ペン太は力も弱くなっていた。ふっくらした丸みのおびた体が一段と小さく見えた。
「ペン太! 大丈夫なの!?」
ユイは泣きそうになった。
ペン太がまた振り向いた。ペン太も泣きそうな顔をしていた。
「ぼくじゃない! ユイが大きくなったんだ!」
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