第4話 ちょっとドジらしい

 ごめん、用事があるから。

 わきあがった好奇心を抑えて、ユイは断ろうとした。

 しかし、

「ユイは何が好きかなあ。今日はどんな生き物に会うだろう。それとも見たこともない本かな?」

 ペン太のつぶやきを聞いて、のど元まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。

 見たことのない本?


「……ねえ、その図書界って遠い?」


 心の中で、行ってみたいという気持ちが強くなった。

 ちょっとだけならいいか、と思い始めた。


「すぐつくよ。数秒ってところかな」

「ほんとに!?」


 ペン太はあっさり言った。思いもよらない幸運にユイはとび上がった。


「学校の中にあるの?」

「ここにね」


 ペン太は机に置いた本のページを一枚一枚丁寧にめくった。ページの真ん中をとじたミシン糸が今にも外れかけている。

 ペン太が黒い目を曲げた。ほほ笑んでいるようだ。


「さあ、このページの次だ――あれ?」

「どうしたの?」

「バッジがない……リュックにつけておいたのに」


 リュックの肩ひも部分に目を向けたペン太が、とつぜんおろおろし始めた。せわしなく両手をばたつかせ、首を色々な方向に曲げて床をにらみつける。


「まずい、まずい、まずい! ぼくのバッジが! よく考えたら、ペンギンに見えてる時点で気づくべきだった! ぼくはなにをのんきに話してるんだ!」


 ぴょんとイスから飛び降り、必死の様子で床にはいつくばった。

 ペン太がおなかですべりはじめた。どうやっているのかはユイにはわからない。

 よほど大事なものらしい。

 図書室の端から端まで、ジェット機のように両手を広げてすいっと一滑り。棚に当たれば直角に曲がって、またすいっと。見事な操縦だ。

 まるでスケートリンクの上を滑っているようだ。

 ペン太の顔がますますゆがんだ。


「それって、どんなバッジ?」


 ユイはもしかしてと思って尋ねた。


「銀色の丸いやつだ! 誰でも見ただけでただものじゃないとわかるような、すごいバッジだ!」

「これ?」

「それだ! えっ?」


 右に左にすごい速さで床を滑走していたペン太が、ユイの手のひらに乗ったバッジを見て、くちばしを開いた。

 そのまま、止まることなく受付カウンターに顔からつっこんだ。大きな音が室内に響いた。



 頭をなでながらペン太が「いてて」と立ち上がった。

 ユイが上からのぞき込む。


「だいじょうぶ?」

「なんのこれしき……図書ペンギンはこの程度ではへこたれない。それより、ありがとう。見つけてくれて助かった。これがないと――」

「どうなるの?」

「図書界へのゲートが開けなくなる……つまり、図書ペンギン司書の夢が絶たれてしまうんだ。ほんとうにありがとう。ユイは恩人だ」


 何度も頭を下げるペン太に、ユイはむずかゆくなって、「いいって、いいって」と手を振った。

 図書室の前に落ちていたものを拾っただけだが、ペン太にはとても大事なものだったらしい。見ないふりをしなくて良かった。


「あっ」


 ユイは声をもらした。「どうした?」と首をかしげるペン太を見下ろしながら、一つ忘れていたことを思い出した。


「そういえば、図書室ってカギかかってたはずなのに、ペン太はどうやって入ったの? 廊下から入ってたよね?」


 ペン太が目を丸くし、ため息をついた。


「ここに入る前に、もうバッジを落としてたのか……この部屋以外にも本がたくさん集まった部屋があるのかと思って、さっき外に出たんだ。カギはこれを使った」


 そう言ってリュックから取り出したのは、タンポポにも似た一輪の黄色い花だった。小さい花びらが何段にも重なって広がっている。

 ふと、付け根の葉が、生き物のように細くうごめいていることに気づいた。


「なにこれ?」

「図書ペンギン道具の、カギあけデイジーさ。どんなカギでもあけられる図書界の花だよ」

「図書界の花? それを使って図書室のカギあけたんだ……」

「そうさ、すごいだろ」


 胸をはったペン太が「ユイも試してみるかい?」とカギあけデイジーを差しだした。

 ユイは素早く首を振って断った。

 どんなカギでもあけられる道具なんて恐ろしい。

 図書室だけじゃなく、家でも牢屋でも、勝手にあけてしまえるのかもしれない。持つだけで色々と疑われそうな道具だ。


「まあ、ユイは図書ペンギンじゃないからな」というペン太の言葉に、素直にうなずいた。


 調子の戻ったペン太は、両足をそろえてイスにジャンプした。少し長めの尻尾がかわいいなと思ったのは内緒だ。

 くるりと振り返ったペン太は、リュックの肩ひもに大事なバッジを苦労してとりつけると、一つせきばらいをして、片手を開いた本にのせた。


「さっきも言ったけど、このページの次をめくれば図書界だ。ユイ、準備はいいかい?」

「うん」

「じゃあ、いくぞ。さあ、ぼくの手をにぎって」


 ペン太にうながされるままに、ユイは平たい手の先をにぎった。

 意外と固い。もっとふわふわしているものだと思っていたユイは、ごつごつした骨と羽のさわりごこちに驚いた。

 そして、白い光に包まれた。

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