第11話 〜放射線照射〜


 「X線」の照射により、微生物が死滅することは1900年頃には知られていました。とはいえ、ラジウムとポロニウムを発見した「キュリー夫人」が、「被曝」による再生不良性貧血で亡くなった1934年には、まだ放射線の危険性は認識されていませんでしたし、キュリー夫人本人も、自らの病気の原因が、放射線の被曝であることを決して認めませんでした。


 人類が、きちんと放射線の危険性を認識した上で利用をするのは、1945年の広島の原爆投下まで待たねばならなかったのです。


 それまでは、放射線に対して極めて楽観的な考え方が主流で、さまざまなお気楽とさえいえるような実験で死者も出していますし、安全性の確認を飛び越えて商品化までもがされていました。

 若返りのできるという放射性物質入りのチョコレート、放射性物質入りの性器に塗る精力剤、飲むだけで全ての病気が治るラジウム水と、現代の視点からは呆れ返らざるを得ないような商品の例がいくらでもあるのです。当然のことながら、それらの商品は多くの健康被害をもたらしています。


 それでは、現在、食料に関して安全性がほぼ確認された技術を見ていきましょう。

 放射線は電子や陽子などの流れである粒子放射線と、波長の極めて短い電磁波である電磁放射線に分類されます。この電磁放射線は波長によってX線とγガンマ線に分けられますが、共に高い透過性を持つため、X線はレントゲン写真に応用されています。また、γ線は放射性物質(コバルト60)から得られるもので、高い透過性とエネルギ―を持つことから、医薬品や、使い捨てシャーレのような医療用具の滅菌、体内深部の腫瘍治療のためのガンマナイフなどに使われています。


 昔は、予防接種の際に注射器を使い回していました。そのため、肝炎等の感染が起きていましたが、今は放射線滅菌されたものを使い捨てにしていますから安全です。また、それに加え金属の溶接部分の内部写真、食品の滅菌、ジャガイモの発芽を止める(芽止め)ことなどにも幅広く使われています。


 γ線による滅菌の仕組みは、高いエネルギーを持つγ線が生物の体内を透過するときに、通り道にある原子から電子を弾き飛ばし、これを「電離作用」と呼びますが、これにより細胞中のDNAの二重らせんを「直接作用」で切断するのです。

 また、生体の分子を化学反応しやすい「フリーラジカル」(遊離基)にして、それが他の生体分子を損傷させる「間接作用」もあります。


 現在、日本では、γ線はジャガイモの芽止めにも使われますが、多くの他国では香辛料や乾燥野菜の滅菌に使われています。特に中国では、コメやニンニクなど幅広く照射が認められています。

 γ線は薬剤による処理と異なり残留しませんし、加熱殺菌ほどの温度上昇もありません。ですから、凍結状態の食品の滅菌も可能です。香辛料は加熱すると香りが飛んでしまいますから、ガンマ線滅菌は最適な方法といえます。


 なお、γ線の照射によって、食品自体が放射能を持つという可能性ですが、「誘導放射能の生成」は基準値内の照射であれば測定器でも検知されるレベルにはなりません。

 現在、γ線滅菌はアメリカをはじめとして46ヶ国以上で許可された殺菌方法ですが、日本は被爆国で放射線に対する抵抗感が強く、例に挙げたジャガイモの芽止め以降は使用許可申請もない状態です。

 そういう意味で日本では、現在の放射線照射技術は食品保存に大きな役割を果たしているとは言い難いですが、医療を始め、食品の世界以外ではさまざまな応用がされ高度に利用が進んでいます。


 ひとつの分野で利用方法が確立した技術は、他分野に導入された時に一気に利用が進むことがありますので一章を設けました。


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 ※ 新しい技術への評価は難しいものです。

 放射線の利用など、その際たるものでしょう。


 例えば、先ほどの放射線のような根拠なき楽観視という社会の雰囲気がない場合、新しい技術は受け入れられるまで時間がかかります。また、それが食品の関連技術など身近なものの場合、敵視すらされる場合があります。

 技術どころか、単に外国から新しい農産物を導入するだけでも、類型となるような似たものが国内にない場合、うまくいかないことが多いのです。人は、身近な場所に新しい概念を受け入れるということについて、案外保守的なのです。


 手術の際の殺菌は、明確に死亡率が下げられるにも関わらず、医師たちが受け入れるまで20年近くを要しました。

 牛乳の殺菌技術に至っては、技術確立後、それが普及するまでには50年のタイムラグがありました。缶詰も、軍の糧食の枠を超えて利用されるまでは時間がかかりました。

 遺伝子組換えの技術も、その単語を聞いただけで怖いと感じ、そのような技術を使った農産物には近寄りたくないという人もいるでしょう。


 なお、これは、近寄りたくない人が遅れているなどという話ではありません。このように考えが分かれることから、大きな視点で見れば人類は絶滅しないで済んできたのです。


 確立した科学技術は汎用性を持ち、さまざまな利用がされます。

 もう一つの例を挙げましょう。

 新しく開発された抗菌剤が、医療のなかでは医薬品、農業の中では農薬、工業に中では抗菌剤として使われます。それが往々にして、医療では感染症を防ぐ素晴らしい薬とされ、農業では使うべきではない農薬として排除され、工業ではカビの生えない冷蔵庫を実現する実用的薬剤と評されたりするのです。

 このように応用分野によって、同じものなのに社会からの評価に偏りが生じることがあるのです。


 また、新しい技術が、無条件に従来の技術よりすべての面で優れていることはありません。その一方で、確実に何らかの進歩した部分も持っているのも事実です。それらの部分部分の取り上げ方によって、夢の技術とも悪魔の技術とも、評価する人間の立ち位置によって自在に評価できるものなのです。


 その技術の応用される分野と評価する人間の立ち位置によって、新しい技術に対する評価は公正さを欠くことがあり、その結果がヒステリックな反応を社会に生むこともあります。

 結果として、推進しすぎるか、叩きすぎるかの極端な社会的な反応を生み、どちらにせよ新しい技術の芽を潰し、新たな応用の可能性をも奪ってしまうことがあるのです。


 昔は解らなかったことを知見の積み重ねで解明していくという、その人類の営みが科学です。

 知見が足らなかった部分は反省しなければならないのですが、科学者も人類のうちで神ではありませんから、予測はできても予知はできません。すべての評価に耐えうるだけの検討はできませんし、その技術が将来どう使われるかを見通すこともできないのです。

 そのような不十分な状況でも、新しい科学技術を報じるニュースやそれに対する評価記事は次から次へと配信されます。それを読み、一人の社会の構成員として、自分の中でそれをどう判断するかが求められるのが現代という時代なのでしょう。


 ネットで個人の情報発信も容易です。その中で自らの判断を公言するのであれば、ある程度の視点・視野はやはり必要でしょう。

 100年どころか10年後、優れた科学技術が世の中に浸透するのを妨げたブロガーということで名を残すことは誰も望まないでしょうし、そのようなリスクを負わないためには、やはり基礎である中学校の理科をきちんと学び、その知識から冷静に判断することに尽きるのではないでしょうか。

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