第5話 〜酢に漬ける〜


 発酵後、蒸留されないままの酒は、放置しているうちに酸っぱくなってきます。

 酒の中の「エタノール」が「発酵」によって「酢酸」になってしまうのです。なので、日本酒からは米酢、ワインからはワインビネガー、ウィスキーの元となる大麦の麦芽由来の酒からはモルトビネガーというように、酒の種類だけ酢の種類はあるのです。

 この「酢酸菌」による働きもパスツールによって確認されました。


 酢酸、すなわち「酢」は酸性の環境によって菌の繁殖を防ぎます。ミツカングループ本社中央研究所と、名古屋大学、岡山大学などとの共同研究および独自研究によると、酢はサルモネラ菌をはじめとして様々な菌に対して殺菌効果が認められています。


 また、食材保存の観点からみると、それに加えてタンパク質を変性させ、加熱をしたように固くさせる働きがあります。

 皆さんはシメサバを食べたことがあるかと思いますが、酢締めの時間が短いものは、生の魚肉の赤い色の部分が多く、酢締めの時間が長いものは、加熱したかのように魚肉が白く変色した部分が多いのを観察しているでしょう。

 細菌の細胞もタンパク質からできていますから、このような働きの影響から逃れることはできません。


 他には、魚の生臭さの元であり、「アルカリ性」のトリメチルアミンなどを「中和」し、その「揮発」を抑える働きがありますから、寿司に酢が使われるのは極めて合理的なことなのです。

 とはいえ、常温での長期保存に耐えられるのは発酵によって作られる熟鮓なれずしであり、添加物として酢を加えただけの早寿司では保存はほとんどできません。


 その一方で、野菜の酢漬けは年単位の保存も可能です。キュウリや玉ねぎなどをハーブ類と共に酢につけたピクルスは、紀元前4000年にはすでに作られていたことが確認できていますし、今もハンバーガーには欠かせない付け合わせですね。


 ところが、ハンバーガーに挟まっているものの中で一番不要なのはピクルスだという人もいますね。これはなぜでしょうか。

 実は、腐敗した食べ物は蟻酸、酪酸、酢酸などが細菌によって生成されていることが多く、個人差はありますが、「菌によって酸っぱい味になったものは腐敗している」と本能的に誤認してしまうのです。

 同じ酸味でも、レモンの酸味は発酵や腐敗の過程を経ない別種類の酸味なので、そう誤認されることはありません。しかし、年齢を重ねるにつれて、酢の味を覚え、腐敗とは違うと認識できるようになります。他の味覚と異なり、苦味や酸味は学習が必要となることがあるのです。


 これはピクルスだけではありません。寿司や酢の物など全般に言えることです。

 皆さんも自分自身が幼い時を思い出してみてください。ハンバーグと寿司、どちらが好きでしょうか。小学校に入学する前、小学生の時、中学生の時、高校生の時と順々に思い出してみると良いでしょう。「大人になると味覚が変わるよ」と言われている人、言われていた人もいるでしょう。


 さらにこの問題を複雑にしているのは、高価で良い酢であるほどまろやかになり、原価をかけずに作られた酢ほど酸味も鼻を突くような匂いも強いという傾向があることです。さまざまな酢が売られていますが、腐敗臭のような酸味の匂いからの距離はそれぞれに異なるのです。したがって、良い酢を使うと幼い子供でも大丈夫、ということは不自然なことではありません。


 なので、ハンバーガーのピクルスは抜いてもらっているという人も、絶対的に嫌いということでなければ、手をかけた良いピクルスを食べると考えが変わるかもしれませんね。


− − − − − − − − − − − − − −


 ※ 味覚とpH

 pHとは、「水素イオン指数」の単位です。0から14までで、7が中性、7から数字が下がるほど酸性となり、7から数字が上がるほどアルカリ性となります。


 一般的に私たちが食べていて美味しいと感じている食材は、肉、野菜、嗜好品に渡ってpH5から7に集まっています。果物、ヨーグルトなど酸っぱいと感じるものがpH3から4に集まっています。例外は海藻類で、これはpH10くらいとかなり強いアルカリ性です。


 したがって、pHが7より下がったらすぐに酸っぱいと感じるわけではありませんし、アルカリ性のものは苦いというのも例外が多いのです。

 ここから酢の物という料理を考えると、ワカメはpH10という強いアルカリ性の食品ですから、これをpH5まで下げて食べていると考えると、この料理は極めて化学的に理に適った調理法といえます。とはいえ、酢を入れすぎて、その匂いがきつく、また酸性になり過ぎて酸っぱいものが多いのが残念です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る