わがまま王子とびんぼう傭兵のドラゴン退治の旅

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第1話 序

 荒々しい岩肌がむき出しになった谷沿いの悪路を、一台の馬車がノロノロとした速度で進んでいく。御者席には年老いた馬の手綱を握った白髪の老人、その隣には大きな鞄を持った幼い少女がちょこんと座っていた。


「おじいちゃん、街はもうすぐなの?」


「そうだなあ」老人は白い顎髭をさすった。「この谷を過ぎて、もう一つ山を越えた先かな」


「えーっ、まだ遠いじゃない。もう、馬車に乗ってるの飽きちゃった」


 口を尖らせ不満をあらわにした少女の顔を、老人は愛おしげに見つめた。


「もう少しの辛抱だ。そうすれば、きっとお前も満足するようなとても素晴らしい光景を見ることができるよ。おじいちゃんたちが向かうその街は王様が住んでいるからね。立派な城壁にたくさんの家々、活気に満ちた市場、それに絢爛豪華な王城……」


「お城!」少女の目がぱっと輝いた。「じゃあ、そこに王子様は居るの? ハンサムな」


「もちろんいるとも。ハンサムで勇敢で心優しい王子様が」


「やった!」


 少女は鞄から一冊の古い本を取りだした。それは童話集で、かつて老人が自分の娘に買ってあげたもので、今は少女の母親の唯一の形見だった。少女は本をめくり、王子と姫が見つめ合う挿絵が描かれたページをうっとりと見つめた。


「王子様と結婚したいのか?」


 老人の問いかけに、少女はこくりと頷いた。


「だって王子様と結婚したら幸せに暮らせるんでしょ。そうしたら、おじいちゃんだって、雨の日に馬車に乗って物を売り歩いたり、怖いおじさんたちにいじめられたりしなくて済むし」


 老人は熱くなった両目に手を当てた。ああ、なんて優しい子に育ってくれたんだろう、老人が静かに感激していると、突然、ピュンっと何かが風を切る音がした。馬が嘶き、馬車が大きく揺れた。


「おい、どうした急に」


 足を止めた長年の相棒に向かって声をかけた老人は、馬の足元に一本の矢が突き刺さっていることに気づいた。


「そこの馬車。動くなよ」


 威圧感のある声がして、岩陰から五人の男たちが姿を現した。老人の体に緊張が走った。彼らは皆、動物の毛皮でできた服を身にまとい、顔に様々な刺青がある、いかにも柄の悪そうな風貌で、軍人や街の警備兵とは違う。間違いなく山賊だった。夜中に旅人が襲われる話は時々耳にしていたが、白昼堂々襲ってくるとは旅慣れた老人にも予想していなかった。


 鉄剣や斧などの武器を手にした男たちは、にやにやと下卑た笑みを浮かべながら馬車の方へ近づいてくる。


「お、おじいちゃん……」


 少女の体が震えると、男たちの表情にますます下品さが増した。


「怖がらなくてもいいよ、お嬢ちゃん。お兄さんたちは悪い人じゃないから」


 山賊の一人が口から異様に長い舌を出し、ペロペロと唇を舐めながら少女に顔を近づけてくる。老人はすぐさま少女の体を庇うようにぐっと引き寄せ、長舌の山賊を睨みつけた。


「この子に手を出すな」


「目が怖いなあ、爺さん。あんた、なんか誤解してねえか。俺たちはあんたらの味方だぞ」


「味方、だと?」


「そうそう。この辺は最近、怪物が多くてね。ついこの間もグリフィンを目撃したっていう奴もいるくらいだ。グリフィンって知ってるよな、獅子の顔したでっかい怪鳥のことだぞ。それに山賊も多いって聞くし、物騒だろ。だから俺たちがあんたらの道中を護衛してやろうっていうのさ」


「さっ、山賊って……、お前たちがその山賊だろ」


「はあっ? 何言ってんだジジイ」山賊たちは一斉に険しい表情を浮かべた。「てめえの目は節穴か? 俺たち、どう見たって立派な傭兵集団じゃねえか」


 真っ当な傭兵ならもっと装備もしっかりしていて、統率が取れているはず。老人にはやはりどう見ても彼らが山賊にしか思えなかった。しかし、下手に否定しようものなら、自分の命、それ以上に孫の命が危ない。


 山賊は続けた。「で、慈悲深い俺たちは、あんたたちを護衛してやろうって言ってるんだ。良心的な金額で」


「お前たちの助けなど不要だ。……それに、金なんて持っていない」


 長舌の山賊は「はっ」と鼻で笑った。「あーあっ、せっかくの俺たちの申し出を断るなんて。……おい、お前たち!」


 号令を受けた他の山賊たちが、馬車の荷台の方へと歩き出した。


「おいっ、何をするつもりだ!」


 山賊はペロペロと唇を舐めまわしながら、残忍な笑みを浮かべた。「俺たちに金が払えねえんだろ。だったら、山賊に襲われてもしようがねえなあ」


「止めてくれ。大事な荷物なんだ。これを持っていかれたら、わしらは生きていけない」


「知ったことか。死にたくなきゃ黙ってろ!」


 長舌の山賊は手にしたナイフを老人の喉元に近づけてきた。


「お、おじいちゃん!」


「だ、大丈夫だ……」


 と、老人は少女に言い聞かせた。今最も大切なことは孫の命を守ることで、そのためには下手に彼らを刺激しないほうがいい。


 荷台の方から甲高い山賊の声がした。「兄貴! こいつら大したもの持ってねえや。食料とワインが少々、あとは布切れだけだ」


 長舌の山賊は舌打ちした。「なんだよ、しけてやがるな」


「だから言っただろ。修道院から請負った物資を運んでいたんだ。あんたらが考えるような金目のものなんてありはしない。わかったら、わしらを解放してくれ」


「ったく、しようがねえな。……よしお前たち。とりあえず全部運び出せ」


「そんな!」


 立ち上がりかけた老人に、山賊は再びナイフを突きつけた。


「おっと、動くなよじじい」山賊は唇を舐めまわしながら、少女の方へ視線を向けていった。「あと、この女も貰っていこうか」


 老人は息をつまらせた。「な……なんだと」


「悪く思うな。最近はこれくらいの幼子を好む連中もいるもんでね。高く売れるんだ」


 山賊は少女の服の襟を掴んで老人から引き離し、乱暴に御者席から引き摺り下ろした。


「助けて、おじいちゃん!」


 老人も御者席から飛び降りて、山賊の腕にしがみついた。


「荷物は全部お前たちにやる。だから、どうかその子だけは勘弁してくれ」


「うるせえな、ジジイ!」


 山賊は老人の脇腹を蹴り上げた。激しい痛みに襲われ、老人は手を離しその場で蹲ってしまった。


「おじいちゃん!」


 少女は老人のもとに駆け寄ろうとしたが、とても山賊の力に抗うことはできなかった。山賊は少女の腕を乱暴に引っ張って、荷台の方へ歩き始めた。


 老人は意識が朦朧としていたが、それでも少女を助けようと、地面を這って山賊を追った。


「お願いだ、どうかその子だけは……」


 助けを求めて手を伸ばす少女に向けて、老人は手を伸ばし、心の底から祈った。神様、自分のことはどうなろうと構いません、でもどうか、孫だけは助けてください、と。


 不意に、荷台の方でざわめき始めた。


「なっ、なんだてめえ」「俺たちとやろうっていうのか?」


 続いて、金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。


 山賊どもが取り分をめぐって内輪揉めでも始めたのだろうか? とにかく、このままでは孫が危険だ。老人は力を振り絞って立ち上がると、馬車の後ろへ向かった。


 そこには五人の山賊に加え、新しい男が増えていた。五人の山賊たちに囲まれた男の歳は二十代中頃。精悍な顔つきで背は高く、長い黒髪に、黒ブーツと黒コート、そして手に持つは、太陽の光を完全に吸収してしまう真っ黒な長剣……。彼は全身黒づくめだった。


「てめえ、俺たちの獲物に手を出すんじゃねえ!」


 長舌の山賊が声を荒げるのとは対照的に、黒づくめの男は至極落ち着いた声で言った。


「あんたらの商売敵になったつもりはない」


「じゃあ、なんで俺たちに剣を向ける!」


「それが困った性分で、こういうのを見ると手を出さないわけにはいかなくなるんだ」


 と、黒づくめの男は言って、山賊に捕まった少女、それから老人の顔を見た。老人は息を呑み、そして思った。もしかして祈りが天に通じたのではないか、と。


 一方、山賊たちは小馬鹿にするように笑った。「英雄気取りってわけか。俺たち五人相手に勝てると思ってるのか?」


 黒づくめの男は表情を変えずに言い返した。「この程度なら……、わけないな」


「舐めやがって! やっちまえ!」


 山賊たちは男に向かって一斉に襲いかかった。


 老人は、我が目を疑った。


 黒づくめの男は一人目の山賊による剣の攻撃を避け、二人目が持っていた斧を蹴り上げた。そして、三人目を突き倒し、ハンマーを振り上げた四人目の脇を潜り抜けると、長舌の山賊へ肉薄、黒剣の柄でその額を打ち付け、卒倒させたのだった。


 まるで一陣の風が吹いたかのような、一瞬の出来事だった。


□ □ □


 一部の隙もなく綺麗に積み重ねられた石造りの城門をくぐった先は、王都一番の大通りにつながっていた。両脇にはずらりと露店が立ち並び、食材や日用品、そして家畜やアクセサリー、果ては怪しげな壺や薬まで、ありとあらゆるものが売られていて、それらを求めて老若男女が大通りに溢れかえっていた。至るところから聞こえてくる、買い物客たちの足音と話し声、商人たちの威勢のいい呼び込み。まるで祭りのような喧騒に包まれているが、王都ではこれが日常の光景であった。


 大通りに足を踏み入れたスレイン・ボルトは、息が詰まるような騒がしさと埃っぽさに、拒絶感を覚えると共に懐かしさも感じていた。


「どうも、ありがとうございます。スレイン殿」


 頭上から声が聞こえ、すぐ横を進む馬車の御者席を見上げた。そこには年老いた男とまだ幼い少女がいた。スレインは彼らが山賊連中に襲われているところに遭遇した。山賊連中を難なく追い払ったあと、彼らの目的地である王都まで同行していたのだ。


「山賊から助けていただいたのみならず、護衛までしていただけるなんて。おかげで無事、王都に着くことができました。本当に気持ちばかりで申し訳ないのですが……」老人は懐から財布を取り出して、中から数枚の銀貨を取り出した。「これしか手持ちがなくて」


 スレインは首を振った。「だから、さっきも言った通り、金は要らないから」


「しかし、スレイン殿は傭兵なのでしょう。でしたら、ここまでの護衛の対価をお支払いしなければ」


「護衛じゃない、俺の目的地もここだったんだから、一緒に付いていっただけだ。それに、あんたらみたいな零細商人から護衛料をふんだくろうと思うほど、俺は仕事と金に困っちゃいない。その金でこの子の土産でも買ってやれ」


「ああ、本当にありがとうございます。なんとお礼を言っていいものやら」老人は深々と頭を下げた。


「気にするな。でもじいさん、今度は注意しろ。王都の外は治安が悪くて、最近は山賊が増えてるって話だ。老人と子どもだけでこの辺りを旅しないほうがいい」


「はい、肝に銘じておきます。では、わしらはこれから修道院へ荷物を届けに行きますので。失礼いたします」


 老人は手綱を持ち馬車を出発させた。すると少女が御者席から身を乗り出し、スレインに向かって大きく手を振ってきた。


「また会おうね、傭兵のお兄ちゃん!」


 スレインは黙って手を振り返した。


 群衆の中へ馬車が消えたあと、スレインは肩を落とし大きくため息をついた。そして、先ほどの老人に向かって言った自分の言葉を思い出す。


 仕事と金に困っちゃいない……、か。


 実情はまったくの正反対だった。たった一人で五人の山賊を相手にできるほどの剣の腕があろうとも、それが仕事に結びつくとは限らない。特に組織に属していないフリーランスの傭兵では受けられる仕事にも限度がある。


 そしてもっと切実な問題が金だ。


 今日、スレインが生まれ育った王都に戻ってきた理由は、借金の相談をするためなのだ。

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