第68話-⑧ 安全保障条約
九月三〇日
〇九時三三分
アムステルダム
旧政府官庁街地区
船着場
すでにベルセフォニア共和国およびヴェスタリア連邦の首脳陣はアムステルダム入りしており、これらの出迎えを終えた柳井は、来賓を引き連れて船着場に来ていた。
今日に至るまで、条約内容の最終確認、条約に直接関係はしないものの様々な議題について特使や、首脳と話し合った柳井だったが、その努力がついに実る日が訪れた。
「帝国側の安全保障部隊の編成や内部統制は、まだまとまっていないとか」
船着場で皇帝の到着を待つ一同。柳井の右横に立つベルセフォニア共和国首相のニコロス・ツァカリスが、柳井にポツリと言った。
「関わる人間が多ければ多いほどまとまらないものですよ。道筋は見えているのでご安心を」
柳井は涼しい顔をして返事をしたが、実際はまだ従事する部隊の選定も終わっていない。この船着場には東部軍管区司令長官と統合参謀本部長も同席しているが、この直前まで議論が続けられ、相変わらず平行線を辿っていた。
この時点ではまだ、柳井は秘策である新領邦の領邦軍を転用する形での安全保障軍設立について両者には話していなかった。少なくとも、新領邦の開国が公示されるまでは言及できないのがジレンマだった。
「おお、あれが……」
柳井の左横に立っていたヴェスタリア連邦大統領のジョンハ・リーは、徐々に接近してくる近衛総旗艦にして帝国全軍の総旗艦たるインペラトリーツァ・エカテリーナの偉容に度肝を抜かれているところだった。
すでに停泊していたインペラトール・メリディアンⅡと
待機していた近衛軍音楽隊により皇帝賛歌が演奏される中、小型艇からのタラップを軽やかに降りてきた皇帝に、船着場にいた全員が最敬礼を捧げた。
「ムワイ、義久、出迎えご苦労さま」
「陛下のお出ましを、皆心待ちにしておりました」
ムワイが深々と頭を垂れる。ここしばらくは体調不良によりどこか俯き加減だった首相も、この場ではモーニングコートに身を包み、帝国中央政府首相としての威厳を保っていた。
「今日という日が、帝国史、いえ、人類史に残ることは疑いようがありません」
柳井はそれだけ言って、視線を二人の同盟国首脳に向けた。
「ヴェスタリア連邦大統領、ジョンハ・リーです。陛下への拝謁が叶うことは光栄の至り」
「ベルセフォニア共和国、首相のニコロス・ツァカリスです。陛下と、陛下の臣下の方々とお会いできたことが、我が共和国の未来への希望となることを祈っております」
二人の首脳に、皇帝は笑みを浮かべて歩み寄り、固い握手を交わした。
「お二人のお言葉、しかと受け取った。今後ともよしなに」
その後、一同はそれぞれ間隔を開けた車列で、連邦・西暦史資料館へと向かう。
「厳戒態勢ですね」
バヤールが車窓から見える沿道の警備状況を見て呟いた。
「皇帝に宰相、共和国と連邦の首相と大統領、その随員。ここに荷電粒子砲の一発でもぶち込めれば、人類史は大きく変わるだろうな」
「閣下」
柳井にコーヒーボトルを手渡しつつ、ユーベルヴェークが柳井の軽口を諫める。柳井は軽く肩をすくめて、悪びれる様子もない。
「わかっているさ。そうならないように、方々努力してくれたのだ。大丈夫だよ」
一〇時〇五分
連邦・西洋史資料館(旧地球連邦本部ビル)
大ホール
大ホール内はかつての総会場のままではあるが、壇上に三つのテーブルが設置されている。それぞれの机の後ろには、帝国、ベルセフォニア共和国、ヴェスタリア連邦の国旗の他、アムステルダム条約機構の旗も吊り下げられていた。
甲高いチャイムが二度鳴り、場内が静まる。来賓は帝国・連邦・共和国の別なく傍聴席を全て埋め尽くすような人数であった。この大ホールがそれほどの人で埋め尽くされたのは、帝国史の最初の一ページ、メリディアンⅠ世の帝国建国宣言以来のことである。
「ただいまより、アムステルダム条約及び附属議定書の調印式を開会いたします」
柳井の司会進行も堂に入ったもので、大過なく式次第は進められた。
各国の代表者による演説の後、ついに調印式のクライマックス。条約と附属書への署名と押印が行われる。
外務局長の
ムワイ首相は愛用の万年筆を取り出し、自分の名前を署名した。彼の筆跡は些か癖の強いもので、後世にも語り継がれるものとなっている。
続けてツァカリス首相、リー大統領がそれぞれ署名した。
「宰相閣下、三ヶ国の署名、全て完了いたしました。確認をお願いいたします」
「……結構です。これにて、アムステルダム条約および附属書について、各国の承認を受け、発効されたことを宣言いたします」
柳井の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、割れんばかりの拍手がホールを満たす。皇帝は軽く頷いて、ムワイ首相、ツァカリス首相、リー大統領に微笑みを向けた。
一四時三〇分
旧連邦大統領執務室
元々連邦政府時代の大統領が使用していた執務室は、当時の調度品などがそのまま収蔵された展示物の一つである。調印式典が終わった後、皇帝、柳井、ムワイ、ツァカリス、リーら首脳陣とわずかばかりの随員が、執務室のテーブルを囲んでいた。
「陛下とティータイムを共にできるとは、光栄なことです」
ツァカリスの言葉には多分にリップサービスが含まれていたのだろうが、皇帝はそれを分かった上で笑みを浮かべて頷いた。
「これからいくらでもこのような機会はあるでしょうね。帝国と共和国が共に発展していけるように祈っているわ。ヴェスタリア連邦も、内政が安定してきたようだし、ぜひ帝国との共同事業なども成功してほしいものね」
「陛下にそう言っていただけますと、我が連邦政府も動きやすくなるでしょう。ぜひ、帝国と共に発展したいものです」
リー大統領は地球産のコーヒーを飲んで感動しつつ、皇帝に頭を垂れていた。いずれの国も対等である、というのは建前に過ぎず、帝国の強大な武力、巨大な市場と経済力は彼らも認めるところだったし、その頂点に位置する皇帝への畏敬の念が芽生えるのも当然だった。
メアリーⅠ世にはそういうオーラが十分に備わっていたし、式典前にインペラトリーツァ・エカテリーナで乗り付けたのも十分に効果を発揮していた……と、柳井は理解している。
十六時一〇分
第三展示室
皇帝と柳井達は、資料館の見学に入っていた。壁面に映るホログラムは、旧時代の地球連邦成立から崩壊までの歴史を俯瞰させる展示物だ。
「この年表を一望すると、過去の分断と統合の格闘が透けて見えますね」
メアリーが首をかしげ、隣の柳井に問う。
「分断を防ぐには、何が一番大事かしら?」
柳井は展示台の横に用意されたタブレットを手に取り、地図を拡大した。
「相互理解――交渉と実地の双方です。文字だけでなく、現場の記録と証言を照合し、疑念を払拭する地道な作業が、結束を築く鍵になります」
リーが眼鏡越しに展示ケースを覗き込む。
「この初代連邦議会の成立文書、各主権国家側から代表を招いて対等に紡いだ手続きが今も模範とされている。まさに、私たちが今日目指す姿ですね」
ツァカリスは感慨深げに頷いた。
「共和国はかつて帝国による中央集権からの独立を求めて放棄したものでした。相互防衛では対等合意こそが肝要。帝国とも、同じ原理で向き合いたいものです」
展示室を進むと、当時の地球連邦の版図が空中に投影されたドームに、皇帝が入る。
「当時の連邦政府は、小惑星帯の内側から地球までの極限られた場所までしか手が届かなかった。今やこれは半径一万光年以上に膨れ上がった……」
皇帝は感慨深げに、パネルを操作する。それまで太陽系内惑星軌道を映していたホログラムが、銀河系のオリオン腕からサジタリウス腕に渡る広大な帝国の版図に切り替わる。
「今後、この三ヶ国の間で争いが起きず、紐帯を強めてほしいものだわ」
皇帝の言葉に、三人の首脳、それに柳井も頷いた。
一七時四五分
ホテル・グラン=マルケル
スイートルーム「ホイヘンス」
晩餐会までの短い時間、柳井はホテルの自室でメディアからの取材を受けていた。ビーコンズフィールド中尉による厳重なボディチェックの後、チャンネル8――帝都中央放送――のクルーが部屋に通された。
「宰相閣下、本日のアムステルダム条約調印、お疲れ様でした。法的な結びつきが初めて成立した意味合いを、どのようにお考えでしょうか」
レポーターの質問に、柳井は悠然とソファに腰掛けて答えた。本来は首相が対応予定だったが、本人の健康上の不安を理由に、取材は柳井が代理で受けていた。
ムワイ首相は和平と安全保障条約の締結の後に辞任することがほぼ既定路線であるわけで、事実上レームダックとなっていることもあってか、誰もこのことには疑問を抱かなかった。
「ありがとうございます。三国が初めて法的に同盟関係を結んだのは歴史的な一歩です。単なる軍事協力ではなく、政治・経済・人道支援を包括的に約束した点に重みがあります」
「附属書の運用では透明性を重視されるとのことですが、具体的にどのような措置をお考えですか?」
附属書情報漏洩問題の件は未だに政権運営のみならず、今後の安保協力にも暗い影を落としかねない。柳井は慎重に言葉を選びつつ答えた。
「連邦、共和国と合同監査会を設置し、活動記録や予算配分を年次報告します。報告書は三国の公的サイトに公開し、第三者機関による検証も導入していく所存です」
「国内世論では『帝国が一方的に負担する』との声も聞かれます。宰相として、どのように理解を求めますか?」
柳井はカメラをまっすぐ見据え、語気を引き締めた。
「実質的に帝国が先行投資する部分はありますが、中長期的には共和国・連邦の自立的防衛力向上に寄与します。結果として帝国の人的・経済的負担を抑えられるのが狙いです。誤解を招かぬよう、今後も具体的な数値と成果を示しながら説明を続けてまいります」
柳井の隙の無いインタビュー対応はグレイヴァン報道官仕込みである。そつなく取材対応をこなした後、柳井は肩のこりを解すように腕を回した。
「さて……このあとは――」
「一九時から晩餐会です。ムワイ首相も出られるとのことでしたが」
「あまり無理はしないほうが良いと思うが、本人の希望なら止めるわけにも行かないな。来賓名簿は」
「こちらです」
柳井の仕事はまだまだ山積していた。このあとも晩餐会での司会進行役を自ら買って出たので、週刊誌などは『柳井帝国宰相、アムステルダム条約機構の宴会部長まで兼任か』などと書き連ねることになるのだった。
ともかくも、アムステルダム条約は無事締結され、帝国とベルセフォニア共和国、およびヴェスタリア連邦の歴史は新たなステージへ至ったのであった。
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