202005 コロナ定点観測 5月

 2020年の5月に入ると、新型コロナウイルスの感染者が徐々に減ってきて、周囲の空気がなんとなく変わってきた。

 4月の桜の時期は、自分の周りに薄い膜が一枚あって、私は感情を漂白するフィルター越しに世界を見ていた。今年の桜は美しかったけれども、私は、誰も見ていない桜並木に写真を撮りに行こうとは思わなかった。

 「おいしいコーヒーは人が淹れるもの」と刷り込まれているずぼらな私は、コロナ以前はセブンイレブンやミスタードーナツなどにコーヒーを飲みに行っていた。今はお店でペットボトルのコーヒーを買っている。ジョージアのジャパンクラフトマンのブラック。ペットボトルではこれが一番おいしいよ、と友人に買ってもらって以来そればかり飲んでいる。あるいは、田舎になぜか存在する貴重な「生活の木」にフェアトレードのコーヒーが売っているので、ホットでおいしいコーヒーが飲みたくなったらそれを買う。

 私は最初、フェアトレードのコーヒーのカフェインレスを飲んだのだが、こんなに雑味がなくておいしいコーヒーを初めて飲んだ。カフェインレスは苦くてまずいものとばかり思っていたからだ。

 知り合いの業者の社長さんが近所に来ていて、私はジョージアのジャパンクラフトマンの微糖を差し入れに渡した。その方はコーヒーの微糖しか飲まない。社長さんは「マスクないだろう」と言って車からマスクをかき集めて私にくれた。


 私が住んでいるところは観光地なので、四月から飲食店やホテル、施設のほとんどが休業要請で閉まっていた。いつもは混雑する街道もガラガラで、車の運転は楽だけれども、仕事がないのは大変だった。大勢の人が家にいるので、ホームセンターや手芸屋、スーパーの製菓用品売り場などが盛況だった。お菓子作りの材料の棚はスカスカで、手芸屋はマスクやほかの作品をつくる女性たちが大勢つめかけて臨時で店を閉めた。

 仕事がないので、友人は別の仕事を探しに県外へ面接に行った。週末は地元に帰ってくるから大丈夫だよ、と言う。誰もがみな先が見えない状態で、私は外の仕事がないぶん、家でできる仕事や内職をしていた。


 五月の中旬ごろ、年上の友人宅で暇だね、とだらだらしながらルイボスティーを飲んでいた。友人は映画「カサブランカ」が観たいからレンタルショップにつきあって、と言う。私が動画配信サービスにしたら? というと、そこまでして映画を観たくないという。そんなわけで私たちはレンタルショップへ行った。

「ハンフリー・ボガートはかっこいいよね」と友人。

「そんな未来のことはわからない、でしたっけ?」

「明日のことはわからないじゃない?」

 いいかげんなことを言いながらレンタルショップの棚をブラブラする。友人が映画を物色するなか、私はひさしぶりに来たレンタルショップのDVDを眺めて時を過ごした。

 レンタルショップの棚に、発掘良品というコーナーがある。昔の洋画をDVDにしてレンタルしているのだが、発掘良品のコーナーは入れ替えが激しくて、以前あった作品がすぐになくなってしまう。発掘良品で好きな映画があったのだが、またなくなっちゃったなと思いながら棚を巡る。

 一時期レンタルショップに行きまくっていたのでそのとき感じたのだが、同じ系列のショップでもCDの品揃えはバラエティーに富んでいて、ほかの土地に行くと珍しいCDがレンタルできる。なので私は東京へ行くたびに一番大きな店(新宿か渋谷だ)へ行ってCDを郵送で借りていた。が、DVDは品揃えが画一化されていて、ほかの土地へ行っても珍しい映画が借りられるということはない。東京の一番大きな店では、珍しい映画はビデオでレンタルされていた。DVDでそろえるほど需要がなかったのだろう。

 現在は定額制の音楽・動画配信サービスを使っているのでレンタルショップへ行くことはほとんどなくなったが、そうやって時代が変わっていくんだろうなと私はぼんやりと思った。


 私の住んでいるところは田舎なので、緊急事態宣言が解除される地域だった。私が住んでいる市からはひとりもコロナの患者が出なかった。コロナの患者が出た市では店も駅もほぼ休業状態、コンビニエンスストアも閉まっていた。私が住んでいる市ではそんな状態にはならなかった。

 三月や四月にはマスクの供給が足りなくてマスクをしていない人が町を歩いていたが、今は全員がマスクをしている。アベノマスクが郵送されているというが、私のもとへはまだ来ていない。私は最初から自作のマスクをしていたので、マスクの騒動には巻き込まれずに済んだのだが、お店の人たちもマスクを買いに並ぶ人たちも大変だったことだろう。自宅で余ったマスクを家族のもとへ郵送したのだが、マスクを郵送するなんて以前では考えたこともなかった。

 三月ごろ、トイレットペーパーが品薄になったとき、実家から「こっちでは販売されているから宅急便で送るか?」とメールが来た。たしかイタリアではパスタ、アメリカでは銃弾、日本ではトイレットペーパーが買い占められていたのではなかったか。そんなことをネットで見た覚えがある。

 私は体温計の電池がなくなって、コンビニエンスストアへ探しに行った。が、どこを探しても、その品番の電池だけがなかった。最後の店で、その品番が「メーカー欠品」になっていることを知った。それから二週間経った今でも、体温計は使えないままである。

 私たちの生活は複雑な歯車のようにいろいろな要素が噛み合って成り立っていて、それがひとつでも不足するとひどく不便なように感じられる。が、ふつうの生活がふつうに成り立っていること自体が奇跡のようなものかもしれない。ふつうの生活がふつうに送れるように、私は願ってやまない。

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