The Erroneousness
朝日奈
The Erroneousness
泣く子も眠る静まり返った闇の中、何かの影が音もなく動いている。
エリアーヌは椅子に座ったまま、カーテンの隙間から月明かりを便りに影の動向を窺った。影は無駄な動きも見せず速やかに移動し、そして、エリアーヌの真下でその姿を消した。
我が家に侵入したのだと、エリアーヌは確信した。
少しの間を置いて、部屋の扉が音もなく開いた。隙間からするりと影が部屋に滑り込んでくる。エリアーヌは待ちくたびれたように小さく息を吐いた。
「いらっしゃい。お待ちしておりましたわ」
影はエリアーヌの余裕に満ちた態度に驚いたのか、ピタリと動きを止めた。ドアの前に立ち、じっとエリアーヌを見つめている。
「そんなに見られては穴が開いてしまいそうですわ。それより、こちらにお座りになって。お茶をご用意いたしましたの」
エリアーヌは照れたようにはにかむと、丸テーブルを挟んで向かい側の席に促した。テーブルの上にはポットと二人分のティーカップが用意されている。カップの中では香ばしい香りの紅茶が湯気を立てていた。
エリアーヌが再度促しても、影は直立不動のまま微動だにしなかった。そして、おもむろに口を開いた。
「どうして、分かったのですか」
エリアーヌは最初質問の意図が読めずきょとんとしていたが、やがてクスクスと笑い出した。
「あなたがここに戻ってきたことが、ですか? それはもちろん分かりますわ。だって、今あちこちで噂になっていますからね。そんなことより、早くこちらにいらっしゃいな。紅茶が冷めてしまうわ」
それを聞いても影はあまり納得していない様子だったが、三度目の誘いにようやく足を動かした。
窓際に近づくにつれ、影の容貌があきらかになっていく。席に到着する頃にはその姿がはっきりと現れた。ようやく間近で見れて、エリアーヌはうっとりと目を細め、その容姿に見惚れた。
それはまだ大人になる手前、まだ少年といえる年頃の男子であった。大人びた端正な顔立ちの中に幼さが垣間見えるルックスは年齢を問わずあらゆる女性を虜にしてきたのだろう。一度見ただけでそう思わせる美貌と雰囲気を彼は備えていた。さらに、月明かりに照らされた艶やかなブロンドヘアもあいまって、まさにどこかの国の王子を彷彿とさせる。ただ、そんな彼だからこそ、どうにもしっくりとこないのが服装だった。彼は薄汚れたシャツに着古したサスペンダーつきのズボンという出で立ちだった。どちらも最近洗濯したとは到底思えないほど汚れている。
しかし、キレイ好きなはずのエリアーヌは眉一つ変えずに彼を席へと促した。少年も今度はすんなりと従い、着席する。その様子に満足したエリアーヌは早速おしゃべりを始めた。
「あなたのお名前を教えて頂ける?」
「名前はありません。僕には名前を与えくれる両親がいませんので」
少年は淡々と答えた。その表情からは彼が何を考えているか読み取ることが出来ない。
「あら、そうだったの。でも、それだと名前を呼ぶときに困るわね。では、私が名前をつけても構わないかしら」
「ご自由にどうぞ」
エリアーヌは楽しそうに名前を考え始めた。しかし、すぐに最適な名が浮かび、声を上げた。
「では、エリオット! ね、いい名前でしょう。私の名前と少し似ているし」
「僕は貴女の名前を知りません」
「あら、そうだったわね。ごめんなさい。私の名前はエリアーヌ。エリアーヌ=ヴァディムよ。ちなみに父は貿易商でね。ヴァディム貿易会社ってご存知? 少しは有名な会社だと思うのだけど」
「ええ。名前は」
「そう。その貿易会社は父が経営しているの。父のおかげでこの町も栄えたようなものだわ。だから今では町長も父には頭が上がらないの」
エリアーヌはコロコロと可笑しそうに笑ったが、エリオットは逆に退屈そうにため息をついた。
「貴女は僕に何か御用があったのではないのですか?」
「そう、そうだったわ。私ったら、おしゃべりをするといつも横道に逸れてしまうの。ごめんなさい」エリアーヌは仕切り直すようにコホンと一つ咳をすると、こう言った。「私、あなたのことが知りたいのよ、噂の泥棒さん」
それまで何の感情も現さなかった彼の顔が少しだけ変化した。警戒するようにエリアーヌを見据える。
「それは、どういう意味でしょうか」
「もちろん、そのままの意味よ。あなたのことが知りたいの」
エリオットはすぐには返事をしなかった。エリアーヌの様子を窺いながら、注意深く言葉を選んだ。
「僕の何を知りたいのですか?」
「そうね。あなたのプロフィールとか過去の話とかも興味あるけど、一番知りたいのはどうして泥棒なんてしているのか、かしら」
「そんなもの、決まっています。金が欲しいからです」
「どうしてお金が欲しいの?」
「生活するためです」
「ならば働けばいいじゃない。仕事をしてお金を稼げば、」
「働く能力がないから奪うのです」
エリアーヌが言い切る前に、エリオットがピシャリと言った。エリアーヌは一瞬口をつぐんだが、すぐにまた口を開いた。
「では、働かなくても生活ができればあなたはもう泥棒をしないの?」
「ええ、まあ、必要がありませんので」
エリオットはエリアーヌの真意が掴みきれずも、一応返答した。すると、途端にエリアーヌの表情が輝いた。
「では、良い方法があるわ! この家で暮らしなさいな!」
「はあ?」予想だにしていなかった言葉に、エリオットは身分も忘れて思わず間抜けな返事をしてしまった。「あの、失礼ですが、貴女は僕がどうしてこの屋敷に忍び込んだのか、お分かりですか?」
「もちろんよ。あなたは私の家のお金や宝石なんかを盗みに来たのでしょう」
「ええ、その通りです。そんな僕に対してどうしてそのようなことが言えるのですか?」
エリオットは道楽の考えることは分からないといった様子で尋ねた。
「だって私、以前にあなたを見かけたときから、ずっとあなたと一緒にいたいと思ったんだもの」
顔を赤らめながらも無邪気にそういうエリアーヌを見て、少年泥棒はようやく合点がいった。
ようするに、彼女は自分に惚れているのだ。前にこの町に来たときに姿を見られていたらしい。
「なるほど、貴女の気持ちはよく分かりました。ですが、僕は貴女と共にここで暮らすことはできません」
「え? どうしてですの?」
よほどショックだったのか、エリアーヌは今にも泣き出してしまいそうなほど落ち込んでしまった。そんな彼女を横目にエリオットは静かに立ち上がり、腰のベルトに括りつけた何かを外して見せた。
「これが何かご存知ですか?」
「これは……笛、でしょうか?」
エリオットの手に握られたそれは弓なりに曲がった縦笛だった。
「そうです。ところで、貴女は『ハーメルンの笛吹き男』という物語を知っていますか?」
「あの、童話の?」
エリアーヌの中に一抹の不安がよぎった。エリオットは笛を見つめながら尚も続ける。
「ええ。この笛、実はあの物語で笛吹き男が使っていた笛なのです」
そんなまさか、とエリアーヌは少年と笛を交互に見たが、不意に先日少年を見たときのことを思い出した。あのとき彼は、確か――
「僕は盗みに入る際、いつも視察を兼ねて目的の町を歩き回るのです。この笛を吹きながらね」
そう、あの日も彼は笛を吹いていた。エリアーヌはその音色に惹かれ、この部屋の窓から彼を見つけたのだ。そして、彼の美貌と甘い音色に心を奪われ、あの日以来ずっと窓の外を眺めていた。また彼が戻ってくるのを確信し、どんなことがあろうと決してその場から動くことはなかった。
「あ、ああ……」
エリアーヌは頭を抱え、大きく目を見開いて目の前で話をする彼を凝視した。
「『笛吹き男』の話を知っているならお分かりでしょう。この笛はネズミを操ることができる。僕はこの町に大量のネズミをけしかけたのです」
少年はゆっくりとエリアーヌに近づいてくる。彼女は椅子から立ち上がることもできず、徐々に鮮明になってくる記憶に驚愕の表情を見せた。
「そうすれば町には人が誰もいなくなり、簡単に盗みを働くことができる。難点といえば、ネズミたちが高価な装飾品もかじってしまうことですが」
エリオットはここで初めて笑みをこぼした。しかし、驚愕の表情をみるみる変貌させていく彼女にはもう少年の美しい姿は見えていなかった。
「だから、僕はここに住むことはできないのです。こんな、廃れた町には」
少年が部屋の中を見渡すと、塵と埃で薄汚れた室内が広がっていた。家具は全てボロボロに壊れていて、使えそうなものは一つも見当たらない。足元を見ても、椅子は足が折れ、割れたテーブルの上には欠けた食器が転がっている。椅子に座ったままの人間もすでに白骨化しており、空ろな目がこちらを向いていた。
どうやらこの部屋にも売りに出せるものはなさそうだ。
「主人の部屋でも漁ってみるか」
金庫でもあれば、中に金目のものがあるかもしれない。少年はそう思い立ち、踵を返した。
ドアの前まで来たとき、ふと足を止めた。
「ああ、そうだ。一つだけ訂正しておきたいことがあります。貴女は先程僕を『泥棒』と呼んだが、それは少し違います。僕のやり方はどちらかというと『強盗』のそれに近い。世間でもそう呼ばれていますしね。貴女が以前僕を見たときにそのことをすぐに父親にでも話していればこんなことにはならなかったかもしれません。今さら言っても遅いでしょうけど」
少年は物言わぬ死者にもう一度笑いかけると、今度は振り向きもせずに部屋を後にした。
The Erroneousness 朝日奈 @asahina86
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