墓参り


 今日は一人でこっそりと墓参りに来ている。目の前には、友人の神宮寺 真一郎の母親、神宮寺 夜風さんが眠るお墓がある。何故、血縁でもない神宮寺家の墓にお参りに来ているかと言えば、この人には一つ借りがあった。そして、その借りを返す前に夜風さんは亡くなってしまった。だから俺は夜風さんの墓前であの話はなかったことにして欲しいと手を合わせるのだ。


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 旧姓の睦月の名字で教員をしているが、十年ほど前、うちの子供達がまだ幼かった頃に教え子に問題児がいた。家庭環境もお世辞には良いとは言えなかったが、その子がとある『組』の関係者と問題を起こして拉致されることがあった。俺はその『組』まで訪れて解放して欲しいと頼んだのだが、向こうもそんな話は聞けないと話し合いは平行線だった。


 昔の俺だったら他人の事など知らないと見捨てていただろう。でも教師という道を選んだのならどのような子どもでも見捨ててはならないのでは?もし、その子を見捨てるようなら教師を名乗る資格がないのでは?素直に職を辞した方が良いのではないかと考えたり。俺が本気でその子を奪い返そうと思ったなら……妻の蛍や幼い子供達をかつての地元に避難させて、龍崎さんに頭を下げて代償を支払ってでも保護してもらえば、俺個人で『組』相手でも戦えるか……?などと考えもした。


 そんな悩みをつい友人の神宮寺に相談したら


 『うちの母親は裏とも付き合いがあった。頼めばひょっとしたら間に立って貰えるかもしれないぞ?』


 そういうわけで神宮寺の母親の夜風さんと二人で対面したのだが


 『……お力になれるかもしれません。でも、ひとつだけ睦月様に交換条件があります』


 笑顔だが眼は笑っていない夜風さんの表情から嫌な予感はしたが、聞かずに帰るわけにもいかず尋ねたら


 『簡単なことです。どうか娘の紅花をもらってやってください』


 俺は蛍と結婚して子供もいるし、紅花さんも結婚して子供も産まれている。だが、紅花さんは相手と上手くいかなくなり離婚してしまったことは神宮寺から聞いている。それにしても夜風さんの話は論外だと席を立とうとしたら


 『睦月様、お待ちになってください。奥さまと別れて欲しいなんて望んでません!……奥さまには知られないようにお膳立てします、一夜だけでも良いのです……』


 俺は「何故そんな事をいうのですか?紅花さんが望んでいるとでもいうのですか?」と尋ねたら


 『……紅花の気持ちは分かっています。そんな娘のためならどんなことでもしてやりたいと思うのが母親なんです……』


 そんなことを言う夜風さんはとても武術の達人には見えず、ひとりの年老いた母親にしか見えなかった。それでも


 「すみません、そんな条件は受け入れられません」


 確かに紅花さんは美しい魅力的な女性だろう、でも俺には愛する妻と子供達がいる。例え、そんな事が妻に知られないように行えたとしても、俺が俺自身を裏切り者と詰るだろうとしっかりと断り帰ろうとしたら


 『……すみません。先程のお願いは忘れてください。睦月様のお話もお受けしましょう』


 俺が足を止めたら


 『……ですが、もし、この先に睦月様が奥さまと別れられたり、奥さまに先立たれたりした際には、紅花が傍にいてお世話を焼いたりしても……邪険にはしないでください。それだけは約束してください』


 「俺は蛍と別れるつもりはないし、先立たれたらなんて考えたくもないです」


 そんな約束はできないと言ったのだが、夜風さんは


 『……頭の片隅にでも留めておいてください』


 何か思い詰めたような眼差しでそんな約束を一方的にしてきた。夜風さんの介入で拉致された教え子はすぐに解放され、余程怖い思いをしたのか更正して、その後はきちんと卒業していった。

 そして夜風さんはその出来事から数年後に亡くなった。葬式の時に神宮寺が短命な女性が多い家系なんだと言っていた。


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 幸いなことに、妻とも仲良く過ごせていると思っているし、妻も元気だが、夜風さんが俺の頭の片隅に残した呪いのようなものは残っている。


 「あら、睦月さ……いえ、鳴海さん、こんにちは。わざわざ母の墓参りにいらしていただきありがとうございます」


 花を携えた和装姿の紅花さんが神宮寺家の墓にやって来た、偶然にも鉢合わせてしまったようだ。


 「お墓参りが終わりましたら宜しければご一緒にお茶でもいかがですか?」


 紅花さんには夜風さんが言うようなそんな俺とどうかなりたいという気持ちはないとは思うが、夜風さんの言葉が頭に思い浮かび


 「……すみません。これから妻との待ち合わせがありますので、お先に失礼します」


 必要以上に冷たく思われるかもしれないが、俺にはそんな態度をとって紅花さんから離れることしかできない。紅花さんも


 「……そうですか、それではご機嫌よう。奥さまにも宜しくお伝えください」


 と少し残念そうに告げるだけだ。


 ☆☆☆☆☆


 母の眠るお墓の前から去って行く背中を目で追う、本当に偶然こんな場所でお目にかかるなんて……それにしても何故、鳴海さんはうちのお墓に?そんな疑問を頭に浮かべながら、少しだけ今日は良い日かもと紅花は笑みを浮かべるのだった。


  

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