part 21
戦いは一方的にざらめさんが蹂躙され、敗北して終わるのではないか。そう私は思った。
いくら強力な武器を持っていて、あの巨大な猪を一撃で殺したとはいえ、それでも相手が悪すぎるように思えたのだ。
これまで竜を相手どって戦ってきたと言っているが、なにもたった一人で正面から対峙するような戦いだとは思えないし、常識的に考えて世界最強生物である竜に人間が勝てるなんて、いくら私が世間知らずでもあり得ない事だと判断できた。だからできれば逃げる事に全力を注いで欲しかった。が、数秒後にはその爪がざらめさんへ襲い掛かった。
赤竜は滞空していた状態からふわりと少しだけ後退すると、勢いをつけて前進。赤竜にしてみれば何の事はない右手の爪による一撃。先ほどの黒竜に与えた攻撃とは全く違うものだ。
いつも通り、人が草木の芽を摘み取るように、弱者の命を掴み取る構えだった。ざらめさんを敵ではなく餌だと認識している事が傍目にもわかった。
しかし竜以外の生物にとって高速で飛来する巨大な爪は、それだけで脅威になり得る。そして大地を裂きながら迫りくる爪に、ざらめさんは素早く対応して動く。
手に持つ瓶をその斧の背に、突き立てるように挿す。そして柄を両手で握ると、その柄にあった出っ張りに指をかけ、握り込むように押し込む。
瞬間、世界は赤く染まったように見えた。
その斧からは竜の咆哮と同質の轟音が爆裂し、斧の背からは赤い花が咲くように爆炎が宙に広がる。
そしてその斧は爆発の勢いに押し出され、吹き飛ぶように高速で振り下ろされた。
同時に、その短かった柄は押し出されるように伸びる。人が背負うほどの斧頭にふさわしい、長い長い柄へと一瞬にして伸縮、変形。その全貌は人が扱う斧などでなく、巨人の扱うようなそれに近かった。
竜の巨体に対して確実にダメージを与え得る巨大な刃が、爆発によって目で追えぬまでの速度を持ち、迫る爪を迎え撃つべく振り下ろされた。
「……!」
その赤い世界に、思わず息を飲む。
切断されたのはざらめさんではなく、火竜の爪だったのだ。
右手の指先ごと根元から切断され、爆炎と空間を覆うかのように赤い血液を振りまき、ばしゃばしゃと辺りの草木を赤黒く染める。ざらめさんはその全身と斧を真っ赤に染めたまま、鞄から次の可燃液瓶を取り出していた。
それから数瞬遅れて、どすん! と切断された指先がざらめさんの背後に落下する。
斧は切断した後に地面に突き刺さらず、切り裂く一瞬だけ伸びてざらめさんの手元へと素早く戻っていた。
爆発によって高速で振り回された時だけ伸び、それ以外は短いままでいる仕組みらしい。この伸縮機構によって、地面に刺さらなかった斧はすぐさま次の行動へと移る事ができる。もしも最初から長い斧だったならば、一度地面に刺さってしまうと抜く事ができなかったに違いない。
そして手元との距離が短いので、ざらめさん自身が斧に振り回されてしまう事も防いでいるのだ。
ぶすぶすと立ち上る黒煙は、斧頭に造られた無数の排気筒からで、今まで壊れて空いていると思っていた、くぼみのような穴は爆炎の噴射孔だったらしい。
火竜の可燃液を使って強力な爆発を引き起こし、その威力で巨大な斧を振り回す。王国が作った対竜武器とはそういった仕組みの武器らしい。
一度振り回すだけで可燃液を一瓶も消費するという武器だが、先ほど言った通り、ざらめさんは既に次の可燃液瓶を挿し終えている。
また、あの鞄には鞄いっぱいに瓶が入っている事も私は知っている。
「さぁ、次はどこを切ってやろうか」
余裕たっぷりに告げるその様は、どちらが捕食者なのかわからなかった。
赤竜は数秒も遅れてから痛みを感じたのか、一瞬の間を置いてからの大気を震わせる大絶叫。それは耳をつんざくような、咆哮とはまた違う悲鳴に近いものだった。
指から噴き上げる血液を振りまきながら、低空飛行を維持したまま後退。
だがその目は未だ闘志も殺意も失っておらず、一定の距離をとったままざらめさんを睨み付けている。近寄っては危険だ、と斧の威力を認識したようで、ふらりと無造作に爪で掴みかかるような前進はしない。
もはや赤竜にとってざらめさんは餌ではなく、対等の敵として認識されたのだろう。この一撃で、そう認識させてしまっていた。
その憤激した意思は例え言葉を介さずとも、私に肌を通して伝わってきた。そして距離を保ったまま、赤竜はその口を開ける。まるで人が胸いっぱいに空気を吸い込むように、その巨体で周囲の空気を一息で全て吸い込むような呼吸の後、口からは火炎が吐き出された。
先ほど黒竜に浴びせていた火炎と同じものだった。周囲の草花を焼きながら、視界を埋め尽くすように広範囲に広がる。
上下左右に展開された火炎はざらめさんを飲み込むように、轟音と熱を伴い迫る。
近づいてはいけないと判断した火竜による、遠距離からの攻撃だった。
さっき見た時は向けられた対象が黒竜であったし、何より上空での出来事だった。しかし、こうして目の前で広がる火炎は想像を遥かに上回る迫力である。
生存本能が危険を告げ、しかし体は逃げ場のない絶望にこわばって動く事もできない。位置的にはざらめさんを狙ったものらしく、私には向けられていない。しかし、離れていてもそれがどれ程の熱量なのかはわかる。ざらめさんがこの炎の中で生きていられると私には思えなかった。
いかに斧が強くとも、どうにもならない事のはずだった。しかし、ざらめさんは炎の中に自ら飛び込んだのだ。
「火なんて効くか!」
飛び込むざらめさんは、露出している腕や顔などの表面を薄皮一枚の所で炙られただけだった。
今の私が知る事はなかったが、ざらめさんの着ている服は火竜の翼にある皮膜や、鱗の下にある皮膚などを繋ぎ合わせた品で、更には強い耐火性を持つ火竜の血液を全身に浴びていた事により、竜の火炎とはいえ一瞬でざらめさんを黒こげにする事はできなかったのだ。
そしてざらめさんにとって、必要なのはその一瞬だけで十分だった。
火炎の中を突き進み、地上からほんの少し浮いた低位置で滞空するその足元に、斧を持って到達する。
ごぉっ! と再び斧が爆炎を噴き上げた。
ぎゃあと悲痛な叫びを上げた火竜は、今度は右足首から先を失っていた。
そして降り注ぐ雨のように噴き出す大量の血液によって、赤竜の吐き出した火炎は消火される。
落ちた右足は落下の衝撃音ではなく、水滴を跳ね上げる音をばしゃりと響かせた。ざらめさんはぬるりとした血の湿地に足をとられつつも、その指にがっちりと新たな瓶を取り出し、握り込んでいた。
「死ねぇ!」
赤竜が苦痛に悶えている隙を狙い、ざらめさんの斧がすぐさま再び爆発する。
またも、ばしゃり! と何か重くて大きな物が落ちる音が聞こえたので、視線を送る。そこには火竜の尻尾の先が落下していた。
落ちた尻尾の切断面からはどくどくと断続的に多量の血液が流れ、土が吸収しきれなかった分は血の泥濘を形成する。先端を失った尻尾は上空で振り回され、またも雨のように血液をまき散らす。
辺りはもう草木の香りではなく、濃密な錆鉄の匂いが立ち込めていた。
尻尾の先が落ちたのは、わざわざざらめさんが尻尾の先など狙っていたわけでもなく、赤竜が冷静さを一瞬だけ取り戻したのが原因だった。本来ならば胸の辺り、致命傷を狙ったようだが、それより僅かに早く赤竜が後退していたのだ。
赤竜は痛みに怒りと恐怖を滲ませながら一際大きく咆哮すると、そのまま血液を降らせながら飛翔を開始する。
ここにきて、もはや対等ですらないと、どちらが捕食する側なのかを赤竜は考えたのか。あるいは痛みのあまり戦意を失ったのか。
いずれにせよ、不利を悟ったようで、黒竜と同様に逃亡を図った。私は一瞬だけ、高空からの急降下攻撃を考えたのだが、右足と右手の爪を失い、尻尾の先はちぎれ、無様に痛みに苦悶する姿を見て。そして血に塗れたまま不敵に笑い、瓶を斧に突き挿すざらめさんを見て。
仮に急降下攻撃などがあると考えても、恐怖を感じなかったのだ。あれほど恐ろしかった竜が、このいくらかの攻防だけで、すでに私にとって恐怖の対象ではなかったのだ。ざらめさんは圧倒的だった。
それは恐怖を払拭するのに充分な程である。
「おい、逃げんなよ」
ざらめさんは斧の噴射孔を、何かに立てかけるように地面に向けた。
赤竜は既に上昇を開始しており、今から足元で斧を振ったとして、その斧の長さをもってしても尻尾の先にかする程度だろう高さにいた。今でこそ、この程度の高さだが、勢いをつけた次の瞬間には一気に上空まで飛び上がっている事が予想できた。
が、ざらめさんは手元の引き金を引く。
「逃がすかぁっ!」
爆発の衝撃が地面を伝って私にも響く。
地面に向かって放たれた衝撃は、斜め前方にざらめさんを撃ち出す砲台となった。斧を掴んだまま空中に吹き飛んだざらめさんは、まるで一頭の竜が飛び立つ様を想起させた。
巨大にして強大で、破格の重量と破壊力を備えた斧が空中に飛び上がる様子は、その不自然さと存在感に竜のそれを感じさせたのだ。
見上げれば空中で斧を構え直し、素早く次の瓶を挿しているのがわかった。
赤竜の首まで飛び上がったざらめさんは、斧を振る。
「おちろ!」
もう何度目かの爆音が響くと、赤竜は混乱したような呻き声を上げつつも、体を空中でねじって首だけは守った。しかし、ざらめさんは最初から首を狙っていたわけでもなかったらしい。
その斧が切り裂いたのは、肩口から腋にかけて。つまり、翼の根元だ。
瞬き程の時間の内に高速で弾き出された巨大な刃は、そこに何の抵抗もなかったように皮を裂き、肉を裂き、骨を断ち、軌道上の全てを切断した。斧の軌道上になかった皮と肉によってかろうじて翼は繋がってはいたのだが、その一撃によって赤竜の片翼は機能を失ったのである。
ぎゃあぁ! と絶叫しながら赤竜は赤く濡れた草原へと再び落ちる。だが今度は滞空などではない。ちぎれかけた片翼で飛ぶ事などできるわけもなく、どぉんと痛々しい鈍い音を立てながら、血液をごぼごぼと噴き上げてその身を地に伏す。
ざらめさんはその赤竜の体の上に落下、着地した。
特に斧が落ちたのは赤竜の胸の上だったが、はっきりと骨の折れる音が聞こえた。重量によってばっきりと折れる骨は緩衝材となり、ざらめさんを助ける役割を持つ。
そして大地まで落ちてきた赤竜の、その身の上を駆けた。
「あぁぁぁ!」
怒声と共に、駆けながら鞄に手を突っ込んで引き抜く。引き抜いた手は、その長い指を器用に使い五本の瓶を握っていた。
苦しそうに呻きながら、何とか起き上がろうとする赤竜の首まで到達すると、ざらめさんは斧を正眼に構えた。瞬間、赤竜と目が合う。
その目には最強生物の傲慢な輝きではなく、これまで散々に葬ってきたはずの弱者の側の色。食われる側の脅えきった色だけが残っていた。
そして、ざらめさんの斧が爆炎を噴き上げる。
振り下ろされた刃は、その頭を裂いた。だが猪のように、その一撃だけで頭が割られて絶命するという事もなく、深々と頭を裂かれた赤竜にはまだ息があった。
しかし、ざらめさんが握っていた瓶は全部で五本。
ざらめさんは振り切った直後に素早く次の瓶を装填する事で、連続して攻撃を続ける事を可能としていた。全身に血液を浴びながらも爆炎の中に身を躍らせる様はまさしく人外のそれであり、瓶の装填に腕を振るい、竜の咆哮を繰り返して敵を屠る姿は、竜人と呼ぶにふさわしかった。
ごう、ごう、ごう、ごう。
肉を裂き、骨を砕き。鱗と血と肉、そして骨片が辺りに飛び散る。
三撃目で片目を失った火竜は、四撃目で叫ぼうとした口を切断された。そして五度の爆音が止んだ時、びくりびくりと筋肉だけが痙攣し、死んでいるのか生きているのか判別できないような、頭の内部構造の全てを露出した火竜がいた。
明らかに必要以上に痛めつけているが、それはざらめさんが語った嫌悪感に由来するものなのだろうか。
「あああああ!」
赤竜の頭上で、ざらめさんが天に向けて咆哮をあげた。
そして肩で息をしながらも頭から降りる。次いで、瓶を一本取り出した。最後の一撃、とどめを刺そうとしているのが見ていてわかる。
が、次の瞬間。
赤竜の残った片目がカッと大きく開き、その万物を破砕し飲み込む巨大な口がざらめさんに襲い掛かったのだ。
赤竜の最後の意地なのか、絶対王者としての、生物としてのプライドがそうさせたのか。
その攻撃はざらめさんにとっても予期せぬものだった。勝利を確信していたざらめさんは、腕程の大きさもある牙が迫る中、咄嗟に体の前で斧を盾のように構える事しかできなかった。
しかしそれによって、口の中に消えてしまう事だけは防ぐ。だがそれはあくまで、飲み込まれないよう斧で口が閉じるのを防いでいるにすぎない。
斧で牙が刺さるのを防ぐ、がちゃがちゃとした金属と牙の擦れあう音が響く。
その末に、ざらめさんは一瞬にして口の中に消えた。
だが私からは、飲み込まれたというよりは自ら飛び込んだように見えた。
「っうあぁぁ!」
そして気合いの怒声と共に、爆炎が噴き上がり赤竜の上顎が吹き飛んだ。口の中で斧を振り回したのだろう。
そうして。顔の上半分を失った事で赤竜は絶命した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます