Why You Show The Smile
朝日奈
Why You Show The Smile
ダールトン伯爵が悲惨な姿で広間に倒れた様子を見て、誰もが驚きを隠せずにいた。当然と言えば当然だろう。なぜなら、たった今まで人々は夢を見ていたからだ。絢爛豪華な大広間の中で、豪華な衣装を身につけたたくさんの人や、それに勝るとも劣らないたくさんの豪勢な食事、そして、曲芸師たちによるこれまた派手で愉快な演目を目の当たりにして、誰もが浮き足立たずにいられなかった。
そして、そんな夢見心地なパーティの最中、他の客と同様にパーティを満喫していたダールトン伯爵が何の前触れもなく顔を真っ青にして、驚愕の表情を顔に貼り付けて倒れこんだのだった。よろめいたりもせず、奇声も発さず、本当に突然に。
会場は一瞬だけ、沈黙に包まれた。そしてすぐに、これまで以上に騒がしくなった。
「きゃー!」「どうしたんだ!」「一体何があったの!」「誰か医者を!」「人が倒れてる!」人々は口々に同じようなことを言い合いながら、状況を探ろうとした。
「皆様、落ち着いてください!」パーティーの主催者であるブラナー公爵の執事が声を張り上げて客を静めた。「ただいま医者を呼びました。ダールトン伯爵を別室へとお運びいたしますので、皆様お下がり下さい」
執事は二人の使用人と共にダールトン伯爵に近づいた。三人が通るたびに、人の波が割れていく。不安な視線を三人に送りながら。
執事は伯爵に声をかけながら身体を揺すってみたが、特に反応は見られなかった。それを確かめると、すぐに二人の使用人に伯爵を担ぐよう指示し、自身は部屋の壁際に移動して、扉を開けた。二人の使用人はその扉からさっさと部屋の外へ出て行った。
「紳士淑女の皆様、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。見たところ、ダールトン伯爵は少々酔いすぎて目を回してしまったご様子です。彼のワイン好きはこの辺りでは有名ですので。しばらく別室にてお眠りいただけば、すぐに目を覚ますでしょう。お騒がせして申し訳ありませんでした。それでは、皆様、パーティの続きをどうぞごゆっくりご堪能くださいませ」
執事の戸惑いのない流暢なしゃべり口に、会場の客たちはホッと胸をなでおろした。
「なんだ、ただ酔いつぶれただけか」「人騒がせなことね」「すっかり酔いが醒めてしまった」「また、飲み直しましょう」「見ろ、曲芸師のショーがまた始まったぞ」
人々はそんなことを口にしながら、また賑やかな夢の世界へと戻っていった。ただ、一連の出来事を眺めていた貴族の若者だけは現実から足を放すことができなかった。 今、彼の頭の中は疑問符で溢れ返っていた。なぜなら、彼は伯爵が倒れるその瞬間を目撃していたからだ。
――伯爵の倒れ方は酔って倒れたにしてはあまりに不自然だ。酔いつぶれて倒れたのならば、倒れる前に足がふらつくはず。そんな様子は一切見られなかった。彼は本当に、突然倒れたのだ。しかも、私は知っている。彼はつい先日まで、私の伯父が経営する病院に通っていたのだ。肝臓を悪くしたために! だから、彼は今日お酒を一切飲んでいないはずなのだ。
そこまで考えて、彼はふと思考を変えた。
――いや、まて。彼が極度のワイン好きだったことは私も知っている。だからこそ、私もグラスを持つ彼を見かけたとき、その中身が気になっていたのだから。もし、彼が本当にワインを飲んで倒れたのだとしたら、彼の奥方はどこへ行ったんだ? さっきまでは共にいたはず。主人が目の前で倒れたのならば、真っ先に駆け寄っていてもおかしくはないのに。
若者はきょろきょろと辺りを見回し、主人に対してあまりにも薄情な婦人を探した。しかし、会場はパーティを満喫する客と奇妙奇天烈な演目を披露する道化師や曲芸師で賑わうばかりで、婦人の姿は一向に見当たらなかった。
そんな彼の視界に、ふと一人だけ、彼と同じように踊ることも食べることもせず、ただぽつんと部屋の隅に立っている者が入った。その者がただの客ならば彼も気にも留めなかったが、彼の容姿がどうしても注目せずにはいられなかった。
それは他の客のようなきちんとした正装でも、使用人のような作業服でもなかった。その姿はまるで道化師のようだった。それも、今芸を披露している者たちのようなカラフルで派手な衣装ではなく、黒と白の二色で彩られた、なんとも奇妙な格好だった。
道化師はじっと騒ぐ人々の方を眺めていた。その様子は自身の出番を待っているようにも見えた。笑顔をくっつけた仮面を被っているので、その下の表情は分からない。
ふいに、道化師がこちらに振り向いた。何の前触れもなく突然に。
若者はどきりとした。慌てて顔を背けたが、すぐに自身を落ち着かせた。
――ただ目が合っただけだ。そんなにおどおどする必要はない。それに、相手は道化なのだから。
青年は、もう一度道化師の方を見た。道化師はまだ彼を見つめていた。
――なんなんだ、人のことをジロジロと。
道化師の分際で貴族である彼を嘗め回すように見つめてくるその者にだんだん腹が立ってきた。何か一言言ってやろうと彼が道化師に向かって足を踏み出したそのとき――
『にやり』
道化師の仮面の奥から垣間見たその笑顔に、若者の全身が凍った。
――今、笑った。間違いない。あの仮面の隙間からあの仮面と同じように笑って見せた。どうしていきなり? いや、それにしても……
なんとも不気味な笑みだったことだろう。同じ笑顔なのに、曲芸師たちが見せるそれとは似ても似つかない。
道化師から目が離せないまま、若者がそんなことを考えていると、いつの間にか笑顔をしまった当の本人はふらりと音を立てずに部屋を出て行った。若者はどうしようか戸惑ったが、どうにもモノクロの道化師が気になったため、こっそりと後をつけることにした。
――どこにいったのだろう。
部屋を出て、廊下を二回曲がったところまではその姿を確認することができていたのに、三つ目の角を曲がったところであのモノクロ道化師を見失ってしまった。
――どこかの部屋に入ったのだろうか。
若者は広い廊下の壁に等間隔で並ぶ木造の扉たちを眺めた。どの扉も凝った造りをしており、取っ手は全て真鍮で造られている。若者は試しに一番近くのドアを開けてみることにした。他人の屋敷で勝手に部屋を覗くのは少々罪悪感が伴うが……。
綺麗に磨き上げられた取っ手に手を掛ける。と、その時、
「どうかなさいましたか?」
若者は反射的に扉から手を離し、驚いて声のした方を振り向いた。そこには、あの公爵執事が一切の乱れのない様子で佇んでいた。執事は無表情でじっと若者を見つめている。
「その先にはお客様が関わるようなものはございませんが」
若者がどう言い繕おうか戸惑っていると、執事が淡々と言った。その瞳はやたらと冷たく、何が何でもこの廊下の先へは行かせないと語っていた。
「いや、その、迷子になってしまって、ダールトン伯爵の見舞いに行こうと思っていたのだけれど、申し訳ない……」
もごもごと何とか言い訳を述べると、執事は少し表情を変えた。
「ダールトン伯爵の? 伯爵のお知り合いですか?」
「ええ、まあ。実は彼、私の伯父が経営する病院に通っていて、伯父から飲酒は控えるようきつく言われていたものだから。酔って倒れたのなら、彼の病気にも影響が出ているかもしれない、と少し心配になって」
「なるほど、そうでしたか」執事は小さく頷くと、スッと手を反対の廊下へ差し向けた。「ではこちらへどうぞ。伯爵が休まれている部屋へご案内いたします」
さあ、と念を押すように執事に強く促され、若者は仕方なく執事の後に続いた。誤魔化すためとはいえ、せっかくここまで来たのに引き返してしまうのはなんだか悔しい。
後ろ髪を引かれる思いで若者はチラと後ろを振り向いた。するとそこには――
「あ……」
廊下の奥にあの道化師の姿を見つけた。しかし、それと同時に首筋に強い衝撃を受け、若者の視界は一気に暗闇に飲み込まれていった。
「詮索することは悪いことではありませんが、強すぎる好奇心は身を滅ぼしてしまいますよ」
若者が倒れたすぐそばで、手刀を構えた執事が冷酷に言い放った。
「あなたもあまり目立つ行動は控えなさい。いくら道化師とはいえ、あなたの仕事は派手な芸をするそれとは違うのですから」
廊下の奥にひっそりと立つ道化師はこくりと頷いた。
「伯爵夫人の方はもう片付いたのでしょうね」
道化師はまたこくりと頷いた。
「よろしい。公爵には私から伝えておきましょう。今宵はもう下がりなさい」
しかし、今度は道化師はピクリとも動かなかった。ただじっと廊下に倒れこんだ若者を見つめている。
「ああ、彼ですか。そうですね、彼への対応は一度公爵に相談したほうが懸命ですね彼の叔父が営む病院は有名ですし、彼自身もまた名のある貴族のご子息ですから。伯爵の件を伝えるときに聞いておきますので、公爵からの命が下るまで、あなたは待機していて下さい」
モノクロの道化師は恭しく一礼すると、廊下の奥へと静かに消えていった。道化師が行ってしまうのを見届けると、執事はいつの間にか現れた二人の使用人に若者を空いている客室に運ぶよう伝え、自身もまたそれに同行した。
『道化師とは本来、王室に仕え、パーティなどで芸を披露すると同時に、主人にとって害となるスパイを見つけ出す役割を担っているのです』
どこか遠くから、そんな言葉が夢うつつの若者の耳に流れ込んできた。誰が話しているのだろう。それにここはどこだ。
若者は意識を覚醒させようと試みたがなかなか上手くいかない。その間にも頭の中へ言葉が入ってきた。
『この仕事は古くから今に至るまで続いております。まあ、個人で道化師を所有する者は、今では大分少なくなってきましたが』
なぜ、この人はそんな話を今しているのだろうか。若者は何かを思い出しそうになった。
『ですから、貴方が見たアレのあの姿は、本来一般人の目に触れてはいけないのです。大変申し訳ありませんが、恨むならばご自身の好奇心と不幸を恨んでください』
「あの……なんの、話、ですか?」
若者は上手く回らない口で、話し手に問いかけた。
「いえ、覚えていないのならばそれで結構です。お眠りのところを邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくりお休み下さい」
「はい……」
若者は息を吐くほどの小さな声で呟くと、もう何も喋らなかった。
執事はベッドの側にあるランプを消すと、部屋の外へ出て行った。そして、部屋の前でゆっくりと一礼した。
「おやすみなさいませ。どうぞ、よい夢を――」
Why You Show The Smile 朝日奈 @asahina86
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