テーマ『もうひとつの世界』

エンケラドゥスの海豚 久坂蓮



 寸分のくるいもないかんぺきな正円の輪郭をもち、中央部にも環形のちいさな穿孔がみとめられるうすい金属盤の、どちらをおもてと規定するのかはさだかでないものの、片面にはうちがわにまかれてゆく螺旋の彫りこみが、窮屈をかんじるほどのごくせまい間隔をあけてきざまれ、それは顔をよせてていねいにたしかめなければほころびのない同心円とみあやまってしまう緻密な意匠であり、もういっぽうの面はおもむきがかわって、ふくらんだ一点を中心に放射状に配されたながさのことなる直線群やら、一本のかぼそい線分でむすんだ直径のひとしいふたつの真円、周期性をたずさえて三度くりかえされる振動波形と、余剰めいてくだんの波形につなげられたとげとげしい蛇腹様の隆線など、さまざまな図像が空間によゆうをもたせた状態でちらばっていて、一瞥したかぎりでは意味をみいだすことなど不可能におもえるが、つくりてである外天体棲有機生命体のすぐれた技術力と繊細な感官、背後にかくされたひたむきさくらいは容易に読みとれて、きわめて精巧にかたどられたとぐろ状の溝に針をあてがい盤を回転させると、ひそやかなふるえは周囲をとりまく水の層をふるわせわたしのからだにはいりこみ、おとがいをつたって中耳まで、骨づたいにとどけられる。 


 また聴いているの。

 ふりかえるとひらき戸わきの壁にあなたがよりかかっていた。

 異星の音楽などさしてめずらしいものでもあるまいに、きみはいつも【ボイジャー】ばかりきいているね。

 ボイジャー、という別天体起源のことばにこころなしわずらいながら、あなたは発語する。脳の前方にあるやわらかい脂肪の肉袋をつうじてはなたれた声は、振幅を増し、わたしの下あごでうけとめられる。

 なんだったっけ。ホモ……

 ホモ・サピエンス。いいさしたあなたをさえぎって、わたしはこたえる。

 ああ、そうだった。あなたは眼をつむりおおきくうなずく。

 絶滅した【地球】の知的生命体は、じぶんたちのことをそうよんでいたのだったね。

 あなたはくびからぶらさげた装飾品にひだりてのゆびをからませる。海底棲有椀形冠類のなきがらであつらえたネックレスだった。断面が星のかたちをしたこのいきもの特有の体節はほんらいであれば死後ひとふしごとに分離するのだけれども、糸でひとくさりにとどめてあった。片はじから順に短くなってゆくあなたの七本のゆびのあいだには、めいめいすきとおった皮膜が張られている。

 そんなにいいんだ、その曲。尾びれをうごかしてあなたはちかづき、かたわらに腰をおちつかせる。寝台がおもさをうけとめてたわみ、反動でわたしたちの全身をおおう虹いろのうろこがかすかな音をたてる。

 娯楽でなく通信としてつくられているのが好もしかったのだと、わたしはかえす。

 おそらく旧知の対象にたいして送られたのではない、どのくらいの期間、宙空をさまよっていたのかも判然としない、化石化した一文明における生態・環境の記録物は、送りもとの成員たちが【プロキシマ・ケンタウリ】とよびならわす自立発光天球近傍で回収された。音声のみならず視覚映像も振動におきかえて記載したりと、聴覚を感覚のかなめとするわたしたちの意思疎通方法にだいぶにかよった保存機序がとられていたため、円盤の解読にはさほどひまどらなかった。だが、かねて調査したおりにも事後の探索のさいにも、わずかな考古資料をのぞいて【地球】に【人類】はおろか、いかなる生体も発見できなかった。


 地上にでないかとあなたにさそわれ、つれだって垂直式の昇降機にのる。わたしたちが呼吸困難におちいらないよう、立方体の函はつねに水塊でみたされていた。視線の高さにしつらえられた出窓をとおして、ひびのはいった永久凍土とまばらな幾何学的建築、うすい大気のひろがりがのぞまれた。地上にいきおいよく蒸気の柱がふきだす一角があった。居住区に陸がもちいられるのはまれで、構造物のほとんどが天文台と星間戦争にそなえた軍事施設だった。もっと遠くまでみまわしたいとわたしはかんがえ、鼻腔から脂肪組織にむけてこきざみに空気をはきだし、エコーとして物体からのはねかえりをまった。気圏のさき、くらがりにうかぶ巨大な縞模様の球体と、そのまわりで円環状にまぶされた氷の粒子群がまなうらにたちのぼった。

 わたしたちの種族が滅びるところを、想像しようとしたがうまくいかなかった。【地球】ではどんなふうに終りがやってきたのだろう、いちどきにかききえたのか、末梢から徐々にくされていったのか、いずれにせよ実感がわかなかった。とはいえわたしという個体の死はどうやら逃れがたく、かならずおとずれるものらしかった。どんなに集団の歴史を克明にのこそうとしてもあまさず円盤にしるしておくことが困難なように、そしてそれを解読しても個体のおもかげがむすぼれないように、わたしの生涯もわすれさられ、ひとさじの希望を冥闇にただよわせるだけなのだ。







◇主要参考文献◇

谷口義明『太陽と太陽系の科学』(放送大学教育振興会)

村山司『海に還った哺乳類 イルカのふしぎ』(講談社)

大路樹生『フィールド古生物学』(東京大学出版会)

『Science Window』2013年秋号(科学技術振興機構)






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