テーマ『無機物』

たとえばオアシスを探し続けるような 大滝のぐれ



 メラミンスポンジなどを口に入れていた時期があったことを思い出したのは、友人のサヤカと表参道でパンケーキを食べているときだった。やば、まじおいしい! 最高! 彼女の着ている白いパーカーが、体の動きに合わせて絶えずしわの形を変える。そうだね、と同調の言葉を絞りだした横で、店員が新たなパンケーキを運んでくる。サヤカが数秒前に発したものとほとんど同じ声が女子高生グループから飛び出し、私は顔をしかめてしまう。一度そう考えると、このさして広くないのに混み合っている店内すべてが気に障るものに思えてくる。つい先ほどまで、正確に言うと食べものではないものを食していたことを思い出すまで、自分もその中の一部に含まれていたのに。


 しかし、なぜそんなことを急に思い出したのだろう。心の中で首をかしげつつ、自分の皿に向かう。『ふわとろ』がウリらしい、家庭で作るようなホットケーキとは厚みと質感が違うそれは、切り分けるために振るった銀色のナイフでたやすく裂けた。

 ああ、なるほどね。その中から飛び出した白色の物体を見て、私は先ほどの問いの答えを見つけた。店内の淡い照明に照らされた、生地に埋没したリコッタチーズの塊。サヤカがパンケーキを口に運んだ際にも見たこれのせいで、私は思い出してしまったらしい。ずっと、忘れておくつもりだったのに。


 ぴかぴか光るフォークはビシソワーズスープのような塩味。お冷の下に敷かれたベージュのコースターはバターとアーモンドをたっぷり使って焼き上げたクッキーの味。メラミンスポンジは、濃厚な脂と甘みが混ざり合って一抹の爽やかさを引きながら溶けていく、チーズの味。私は昔から、食べものでないものに味を感じながら生きてきた。もちろん普通の食事を摂って成長はしてきたが、どれも心の底から『おいしい』と感じることができなかった。食べられないほどではないが、本物のソフトクリームと店先に飾られている電気のつくソフトクリーム型の置物とでは味に雲泥の差があった。前者のおいしさを5とするなら、後者は20ぐらいの数値が叩き出される。だから当時、幼稚園生であった私は、店先で輝いていたそれに飛びついてためらいなく舌を這わせたのだ。いっぱい食べられてラッキー、と考えて。


 だが、とうぜんそんな感覚を持っているのは私だけだったし、食べものではないものは体のつくりからして消化することは不可能だったしで、いつしか私はその感覚を意識して封印することに努めるようになった。普通の食べものの中でそれなりにマシな味のものをおいしいと思い込み、納得するようにしていた。

 でも、その経験を思い出してしまった今、そう考え続けることは不可能に思えた。メラミンスポンジみたいなリコッタチーズと見つめあったまま、私は動けずにいる。どうせこれも、メラミンスポンジのすばらしさには遠く及ばない。本当に食べたいものを食べられないという歯がゆさを、理想にどうやっても手が届かないという悔しさを思い出させる結果に終わるだけだろう。


「これって、そんなにおいしいものなのかな」


 気がつくと、サヤカの呆気にとられたような顔が目の前にあった。しまった、と思う。しかしその心配は杞憂に終わった。フォークに突き刺したひよこ色のかけらを飲み込んだサヤカは、どこか含みのある笑みを浮かべて前かがみになった。それに合わせ顔を近づけると、メープルシロップの甘みを含んだ吐息と声が耳に絡んだ。

「ぶっちゃけ、前お台場で食べたパンケーキのほうがおいしかった。値段と合ってないわ、ここ」

 超並んでるから期待してたのに。切り分けられた新たなパンケーキを口に運び、彼女は白い歯を見せる。安堵の笑みをこぼしながら、一緒に食べに行ったそのパンケーキを記憶から引っ張り出す。シロップ漬けになったいちごとブルーベリーと山盛りになった生クリームが特徴的だったそれが、徐々に積み重なったレンガの上に紙粘土やビスが載せられたものに変わっていく。きっと、この上なく魅力的な香りを放っていることだろう。想像の中の私がゆっくりとそれを切り分け、舌の上に載せていく。その次に思うことはわかりきっているのに。


「でも、わかるなあ。こういうのって、いざ食べるとそんなおいしくなかった気がするんだよね。まあ、また別のお店を探して行っちゃうんだけどね」

 サヤカがお冷に口をつけたのを見て、急速なのどの渇きを覚える。しかし、パンケーキが運ばれてくる前に飲み過ぎたせいで私のグラスは空になっていた。お冷は補充しない方針なのか、店員がピッチャーを持って席に来る気配はない。店の外で行列をなす人の頭がゆらゆらと揺れている。メラミンスポンジもどきが入ったレンガもどきを食べたら、彼らはまたどこかへ行ってしまうのだろう。求めるものと巡り合えるのを確信して。






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