春待つ毛虫

きゅうた

第1話

 指先が痺れて、咄嗟に中指と親指で握り込んだ。人差し指が熱で覆われた毛虫みたいだ。


 脱いだ上履きを掴む時、傘を開く時、マンションのエレベーターのボタンを押す時、帰り道は自然と人差し指に目がいく。雨天の湿った空気は熱を冷ますどころか余韻を際立たせた。

 この毛虫の刺は心臓にまで回るらしい。居心地が悪くなった心臓が、ざわざわと震えている。


 どうしてだろう?


 あの人の手に触れただけなのに。




 去年より体に馴染んだ制服を着て、まだ木目に愛着が湧かない硬い椅子に腰を下ろす。新学期最初のホームルームは委員決めが行われた。各委員は男女1名ずつ、全員が何かしらの委員会に所属しなければならない。当然仕事が楽な委員会は人気が集中するが、美化清掃委員は掃除が嫌いな人間が多いのか負担が少ない割に他に立候補者はなく、男女ともすんなり決まった。

 放課後、初めての委員会の集まりが開かれた。教室に入る前に同じクラスの美化清掃委員林田さんと鉢合わせた。眉のところで前髪がきれいに揃っている。

「どうも」

「あ…よろしく」

特にお互い気の利いたことも言えず、室内の先客を横目に見て、自由に好きな場所に座ってもいいことを確認すると、気まずい空気が流れる前にそそくさと少し離れた場所にそれぞれ座った。俺にはさっき名前を思えたばかりの女子と気さくに話す技術も経験もなくて、それは向こうも同じのようだった。窓際の席で背もたれに体を預けて、時間が来るまでぼんやりしているふりをする。朝よりは窓の外が明るくなっているが、雨は止んだのだろうか。くすんだ薄い灰色の空を眺めても判断がつかず、校庭横の並木道にできている水溜りに目を移す。パタリパタリと水がせわしなく跳ねているのが見えるから、この分では下校時も傘は必須のようだ。

 全員が揃った頃に先生が入ってきて活動内容がまとめられてたプリントが配られた。バラバラに座っているせいでめいめいが手を伸ばしたり立ち上がったりしてプリントを回す。俺にプリントを手渡した男子生徒は元の席に戻るのを面倒に思ったのか、そのまま俺の前の席に横座ると藁半紙に目を落とした。緑のネームプレートだから3年生か。

 先生が自己紹介をしている最中に、小さく「げ…」と呻き声が聞こえて思わず首を回すと、眼前の上級生と目が合った。彼は心底嫌そうな表情を作るとプリントを持った手で机の上の俺の右手を小突いた。すぐに反対の手が伸びてきてプリントの真ん中あたりを指差し、「これ」と囁いた。『月に一度の草むしり実施について』と言う一文を僕の目が追うのを待って、彼は鼻の上に沢山皺を作って悪戯っぽくイーッと綺麗に並んだ歯を見せた。

「おい3年ーお前らが中心になってやるんだからなー露骨に嫌な顔すんなーはい立って自己紹介ーそして今期の予定のところ読み上げてー」

突然こちらに投げられた声に一瞬先輩はびくりと肩を震わせ、気まずそうな笑みを浮かべながらプリントを左手に持ち替えると、右手で億劫そうに椅子の背もたれを押しやりながら、ゆっくりと立ち上がった。

「3年2組の飯田でーす。えーっと、今年から草むしり始めるとか聞いてなかったんですけど、力一杯、心込めて頑張りまーす。えー…」

ちらりと先輩の横顔を一瞬見て、あとは彼が喋る間中、俺はプリントを眺めるふりをして、熱を持った自分の人差し指の先にある、背もたれを掴んだままの先輩の手をずっと、ずっと見ていた。

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