第45話 熱さと冷たさは紙一重で
時刻は17時過ぎ。夏とはいえこの時間から次第に空は赤くなっていき、日によっては帰宅するような時間帯だ。
けれど今日はいつもと打って変わり、これから何かを楽しみにしながら駅の改札口をくぐる中高生の姿が目立つ。まぁ浴衣姿を見るに隣町の祭りに行くのだろうが。
そんな俺も同じように改札口をくぐり駅のホームへと向かう。二駅先の駅が祭りの会場なのだが、新川は俺と会場の駅の間が最寄なので現地集合となった。
電車に乗り込むと、やはりというべきかかなり混み合っている。俺は片方の手をズボンのポケットに入れ、もう片方の手で吊り革を掴んだ。これで痴漢冤罪対策は完璧。チカン、ダメ。ゼッタイ。あと冤罪も。
そのまま揺られること約5分。最寄駅に到着すると、一斉に乗客がホームへと降り立つ。
人混みは苦手なんだよなぁ。そう心の中で愚痴を溢しながら改札をくぐり、待ち合わせの時計塔まで向かった。
時計塔の近くまで到着すると、規模の大きい祭りということもあり、この時計塔で待ち合わせをしている人も多い。
まだちょっと早いしここで待つか、そう思った矢先、時計塔の前に佇む少女に、周りの視線が集まっているのが見えた。
「おい、声掛けてこいよ」なんてヒソヒソと話す男3人の隣を通った時、その少女の姿をばっちりと視界に捉えた。
赤を基調とした華やかな浴衣に、綺麗にまとめられたポニーテール。そして整った顔立ちをしながらも、どこか緊張したように斜め前の地面を見つめている少女。
嘘だろ。と叫びたくなるような衝動を抑え、俺はその少女、もとい新川唯の元へと一歩踏み出した。
何故か新川の周りには謎の空間ができており、そこへ踏み入れると異様に足が重く感じた。なに?ザ・ワールドでも使えるのん?そしたらもう時止まってんだけど。
まぁそんなものはただの錯覚で俺の歩くスピードは変わらない。周りからの視線に耐えながら歩いていると、新川がこちらに気がついたようだ。
「あ、相田くん!」
だからそんな大声で呼ばないでほしい。いやー、どーもどーもーと言わんばかりに視線を掻い潜りながら対面する。
「あー、わりぃ待たせた」
「ううん、わ、私も今来たとこだから!」
「……そうか」
本当か?なんて自惚れた質問をしそうになったが、グッと堪える。
それよりも言わないといけないことがあるんだった。
「あー、その、なんだ」
「ん?どうかした?」
顔が熱い。たった一言伝えるだけなのに、ひどく汗をかいている気がする。夏の暑さか、それとも別の何のせいなのか。
まるで告白だな、なんて突拍子もないシチュエーションが頭に浮かぶと、どういうわけか頭がスッと落ち着いた。
真っ直ぐ新川の顔を見ると、夕陽のせいか赤く染まっているように見える。俺がフッと息を吐くように笑みを浮かべると、新川は益々怪訝な顔色を浮かべた。
「似合ってんな」
「え……へっ?あ、ありが、とう……」
突然の俺の言葉に一瞬呆けた表情になった新川だったが、理解が追いつくと同時に目を泳がせていた。
「ほら、行くぞ」
その表情に一瞬見惚れてしまいそうになったが、誤魔化すように俺は新川を置いて歩き出す。
出発前に明穂さんから「到着したらまず1番に女の子の浴衣を誉めること!いい?」という脅しのような助言は、新川の様子を見るに上手く作用したようだ。ただ俺の緊張と恥ずかしさを考慮すればプラマイゼロといったところだが。
「ちょ、ちょっと待ってよー!」
新川はすぐに俺に追いつくと、並ぶようにして歩き始めた。
俺より身長が低く、歩幅の狭い彼女に合わせながら歩を進める。ふと新川の方を向いた時、耳まで赤く染めた新川の横顔が目に映った。
多分これは夕陽のせいではないのだろう。そんな自惚れで、それでいて願望とも呼べる感情を抱きながら、俺は再び前を向いた。
◇◇◇
「うげ」
祭りの会場に到着した俺は、その人の多さに思わず呻き声にも似た声を上げた。
にしても人多すぎだろ。いくら会場が広いとはいえ、この夏休みバイト以外で外出すらほとんどしていない俺にはキツすぎる。
「どうする?帰る?」
「早くない!?でも確かに人多いね……」
然しもの新川もこの人混みは想定外だったようで、俺と同じくゲンナリした表情をしている。
帰宅を提案したわけだが、別に本気で帰ろうと思っているわけじゃない。ただどうしても足踏みしてしまうのは許してほしい。
すると新川が「よし」と小さくつぶやく。何事かと横を見ると、視界に映ったのは既に一歩踏み出した新川の微かに靡いた後ろ髪だった。
そっと右の手首が何かに触れる。その瞬間腕ごと前に引っ張られる感覚。体もそれに合わせて前に倒れ込みそうになったが、咄嗟に出た右足で踏ん張る。
けれどその勢いは止まることなく、一歩、また一歩と祭り会場の方へと進んでいた。
俺の手を引く新川の顔色は見えない。けれど俺は抵抗することなく新川に引かれるまま歩みを進める。多分そうすることが正解な気がしたから。
うんざりするような人の波が近づいてきたが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「おい、そんなに急ぐと危ねぇぞ」
その言葉にふと立ち止まって新川は俺を見る。その顔はほんのり赤くなっているような気がした。
「ご、ごめん……」
「いや、まぁ別にいいんだが……手首の方は、その、離してくれると助かる」
そう言うと、あからさまに顔を赤くした新川がパッと手を離す。
握られていたことで熱のこもっていた手首が、一瞬ひんやりしたように感じた。
「にしても人多いな。まぁ帰っていく人も結構いるしもうすぐマシになるとは思うけど」
「そ、そうだね。どうする?もうちょっと待ってから行く?」
「そうしたいとこだけどな、屋台が売り切れてたら元も子もねぇ。祭りっていろんなもん売ってんだろ?」
「食べ物目当てだったんだ……。いや、お祭りだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。それにしても相田くんってよく食べるよね。この前delete cafeのパフェも1人で食べてたし」
初めてdelete cafeに行った日から何度か新川達とあのカフェに行っているが、毎回俺は1人でdelete cafeを平らげていた。その度に周りから引かれている気がするのは気のせいだろう。多分。知らんけど。
「まぁ甘いものには目がない自信はある」
「初めて聞いたよその自信……。というか相田くんってお祭り来たことないの?」
そう問われた俺は言葉に詰まってしまった。行ったことはある、とは思う。けれど今の俺はネットで見た知識しかなかったので、厳密には行ったことないのかもしれないが。
「……久しぶりだったからあんまり覚えてなくてな」
「あ、そうなんだ。じゃあ大好きな食べ物がなくなる前に早く行こ!」
「ま、そうだな。とりあえず俺が前歩くから後ろに着いてきてくれ」
そう言って俺が歩き出すと、不意に服が引っ張られる感覚がした。反射的に後ろを向くと、新川は掴んだ腰の部分を離さないまま、少し俯いている。
「えと、どうした?」
声を掛けるが、新川は顔を上げる様子を見せない。3秒ほどの沈黙が続いた後、そっと目線だけを上げた。
「ひ、人!」
「人?」
「う、うん。人、多いから、さ……。その、ここ掴んでても、いい?」
どこか意を決したように呟く新川を見て目を奪われそうになったが、「いやさっき腕掴んでたじゃねぇか」というツッコミが思い浮かんだおかげで、少し冷静になれた。
「まぁ、いい、けど……」
誰だ冷静とか言ったやつ。めちゃくちゃキョドってんじゃねぇか。
「あ、ありがと。よし、それじゃあ行こっか!」
先ほどとは一転して笑顔を見せた新川に苦笑しながら「はいはい、はぐれんなよ」と今度こそ冷静に答える。
引っ張られている腰の辺りに少し違和感を覚えたが、先程のひんやりとした手首とは違い、腰から入り込んでくる風を心地よく感じていた。
◇◇◇
あれから1時間近く散策し、食べたいものを片っ端から買っていた俺は気づけば両手が塞がっていた。
新川も最初は俺の服の腰辺りを掴んで歩いていたが、食べ物も持つため自然と手は離れていた。いや別に寂しいとかではないから全然。
そして今チョコバナナを買いに列に並んでいる。
手には焼きそばやたこせん、焼き鳥だけではなく、わたあめやりんご飴、カステラがある。全て袋に入れてもらっているため持てているが、チョコバナナに関しては溶けてしまう可能性もあるため最後にすることにした。後で買いに来て売り切れてたらやだし。
「あっ、あっち座れるみたいだよ」
新川の視線の先にはベンチがいくつも置かれている休憩スペースのようなものがあり、カップルや家族連れが座っていた。よく見ると所々空いているところもある。
「私先行って場所取っとこうか?それだと私の分のチョコバナナも一緒に買ってもらうことになるんだけど」
「あー悪りぃ、頼むわ。お前の分も買っとくから」
「わかった、お金後で渡すね!あ、あと何個か持っていっとくよ。チョコバナナだと袋もらえないと思うし」
新川は俺の手からいくつか食べ物の入った袋を持っていくと、列から抜け出してベンチの方へと向かう。久しぶりに腕が軽くなったような感覚がした。
別にチョコバナナ1本ぐらい気にしなくてもいいんだけどな。と思いつつ、まぁそれも新川らしいか。と彼女の後ろ姿を見送った。
それからすぐに俺の番が来て、チョコバナナを2本購入。そのまま新川の元へと歩き出す。
「あ!相田先輩だ!」
すると突然うんざりするような大声が後ろから聞こえた。自分の名前を呼ばれて咄嗟に振り向いてしまう。
そこには俺を指差して笑ういつかの後輩がいた。
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