Message For You

遠野まさみ

第1話 出会い

―――心に メッセージは 届いてますか?





今日も一日が終わった。コンビニで買った夕食を携えて家路につく。途中、歩道橋を渡らなければならない。啓太は一歩一歩階段を上り、上の通路の真ん中に立った。


歩道橋の下には都心と住宅地を結ぶ道路が広がっていて、その道をヘッドライトが次々と通る。まるで光の川だ、と啓太は思った。次から次へと流れてくる光の水に身を投げたら、何の変哲もない平凡な啓太の生活も楽になるのだろうか。そう思って歩道橋の下を見る。光の帯はすごいスピードで流れて行っていて、生半可な覚悟では飛び込めそうもない。啓太は諦めて、とぼとぼと渡って家に向かった。


1Kの小さな城。それが啓太の住まいだった。築年数は三十年を超えていて、設備も古くエアコンの利きも悪い。蒸し暑い部屋の空気を入れ替えようと、啓太は窓を開けた。外からは電車の通る音もする。タタン、タタン…、としばらく聞こえていたが、やがて夜の闇に吸い込まれていった。啓太は窓を開けたまま、コンビニで買ってきたカップラーメンの蓋を開ける。コンロでお湯を沸かしてラーメンの容器に注いで三分。その間に手早くネクタイを抜き、ワイシャツのボタンを緩めた。すると丁度三分が経ち、ラーメンが出来上がる。コンビニでもらった割り箸ではなく自前の箸でラーメンを啜ると、塩味が染みる。汗を沢山掻いたからだ。今日も暑い一日だった。この熱気では夜もよく眠れないだろう。それでも疲労から、畳の上に横になった。


うとうとと、半ば沈みかけていた意識が電子音で引き戻される。鞄の中のスマホを見ると、母親からのラインだった。


―――『夏休みはいつ帰ってくるの?』


いつなんて決めてない。出来れば有名企業に勤めている姉とは比べられたくないから、帰りたくない。姉のことは家族の中では一番好きだけど、姉と出来を比較されることを思うと、やはり帰りたくない。それに帰っても家の畑の仕事を手伝わされるだけで何も良いことはない。労働が増えるだけだ。なら、住み慣れた此処に留まっていたい。


既読が付いてしまったので、手早く返事をする。


―――「仕事が詰まってるから帰れない」


寝転がりながらそれだけ打って、スマホを手放そうとした、その時。


通知欄に見たことのないアイコンが付いている。吹き出しに郵便のマークだ。何かアプリを入れただろうか。思い当たらず、一体何だろうと思ってそのアイコンをタップすると、スマホの液晶画面がまばゆいくらいに光って、閃光が啓太を包みこんだ。眩しさに思わず目を閉じると、啓太は不思議な感覚に身を包まれた。


ふわり、と身体が浮いた感覚。それが収まると目を開けた啓太の前には住み慣れた部屋の面影は何処にもなかった。見渡す限り一面銀色の地面。啓太の立っている場所には渋谷のスクランブル交差点のような横断歩道。よくよく周りを見ると銀色の地面のあちこちに横断歩道が描かれている。


ふと顔を上げると真正面からすごい勢いで光の筋が迫ってくる。車か? ぶつかる! と身構えた瞬間、光は啓太の身体をすり抜けていった。寸でのところで車がかわしたのだろうか? そう思っていたら、次々とヘッドライトを付けた車らしきものが啓太のほうへと猛スピードで向かってくる。流石にその場から飛び退くと、車だと思ったそれは光の玉だった。よく周りを見ると、そういう光の玉があちこちから現れてあちこちへと消えていく。まるで光の交差点のようだった。そしてその交差点があちらこちらにある。


一体ここは何処だ。自分の部屋は何処へ行ってしまったのだろうか。啓太はワイシャツにスラックス姿でその場に立ち尽くす。光の玉は啓太のすぐ横をすり抜け、時には啓太の身体をすり抜けて消えていく。消えるのではない。何処か遠くへ行ってしまう。これは夢を見ているのだろうか? だとしたら一体どんな夢なのだろうか? 啓太が考えていると、啓太の正面からまた光の玉が飛んできた。そしてその光の玉がゆっくりと啓太の目の前で止まる。光の玉は形を変え、大きさを変え、人の形になった。


「ひ…っ!」


啓太が驚いていると、光の玉から変わった人の形は、やがて人間の姿になった。

なんだ? 一体、何が起こっているんだ? 夢だから、こんなあり得ないことが起きているのか? まるで良く出来た映画のようだ。


混乱する啓太をよそに、光の玉から人間になったその人は、人好きする笑みをにこりと浮かべて、口角を上げた。形の良いピンク色の唇から可愛い声が零れる。


「小森啓太さん?」


人の形になった女の子は啓太のことをフルネームで呼んだ。何故啓太が知らない女の子が、啓太のことを知っているのだろうか。これも夢だからなのだろうか。


「僕のことを知ってるんですか? 貴女は誰?」


啓太が問うと、女の子はにこりとして答えた。


「私はメッセンジャーです」


「メッセンジャー?」


おうむ返しに問うと、女の子は、そう、と頷いた。


「それより啓太さん、どうして此処に?」


聞かれた内容は、啓太が問いたいことだった。


「それが、スマホを弄ったら、突然此処に来ていて…。僕もわけがわからないんです」


困惑気味に言うと、メッセンジャーと名乗った女の子は、不思議ですね…、と呟いた。


「此処は何処ですか? 僕の夢の中ですか?」


よく考えれば、夢なのに夢の中かなんて問うのはおかしい。しかし、啓太はこの時混乱していたのだ。目の前に訳知り顔の人が居たら問うてしまうのは仕方のないことだった。


女の子は、啓太さんが此処に来た理由はわかりませんが、と言いおいて、こう説明してくれた。


「此処は仮想空間です。ネットの中を疑似的に見せているところです。私たちは電気信号の一つ一つで、今周りに流れている光の玉はすべてネットでやり取りされているメッセージの塊です。メッセージは一瞬で相手に届くでしょう? 光の速さで通信される、それがこれらの光の玉の正体です」


夢なのか…。夢だからこんな非現実的なことが展開されているのだろうか…。啓太の混乱を読んだかのように、女の子は微笑わらった。


「此処は現実世界とリンクしています。夢じゃありません。啓太さんが此処に来られた理由はわかりませんが、私が啓太さんに会えたのには理由があります」


理由だって? 啓太はこの女の子を知らない。それでも理由があるというのだろうか?


「理由はこれです」


女の子は肩から斜めに提げていた布鞄から一通の手紙を取り出して啓太に差し出した。


「…これは何?」


「啓太さん宛てのメッセージです」


自分宛てのメッセージだって?


動揺して封を開くとそこには、『お正月には帰ってくるのよ。お父さんも会いたがってるから』と書いてあった。


「これは…?」


「啓太さん、さっきお母様とメッセージのやり取りされていたでしょう。お母様からのお返事です」


ラインのメッセージがこんな紙の形で?


まじまじと手紙を見ていると、女の子が声をかけてきた。


「啓太さん、此処に長く居てはいけません。現実世界にお住まいの啓太さんの身体には、此処の世界は合わないです。早く此処を出ないと、身体に負荷が掛かりすぎます」


そう言って、女の子は啓太の手を引き、いつの間に現れたのか、漆黒の空間に浮かぶ沢山の扉の中のひとつの前に誘導した。


「この扉から帰れます。お気をつけて」


そう言って啓太に扉を開くことを強引に促す。啓太が言われるがままに扉を開くと、扉の向こうが眩く光って、光の渦に飲まれる。貰った手紙を握りしめたまま、啓太が光の眩しさに目をぎゅっと閉じると、すうっと身体が浮き上がるような感じがする。ゆらりゆらりと揺られていると、やけに肌にまとわりつく空気が蒸し暑い。目を開けるとそこには啓太の部屋が広がっていた。


「…………」


一体何が起こったというのか。手に握っていたと思った手紙は跡形もなく、畳の上にはスマホが転がっていた。やはりあれは疲れすぎて転寝で見てしまった夢だったのだろうか。そうだ、そうに違いない。こんな風に畳の上に横になっていたのだし、今日は外の暑さで疲れすぎていた。そう思いつつ手元に転がっていたスマホを拾い上げてみると、ラインの通知が表示されている。開くとそこには母親からのメッセージ。


―――『お正月には帰ってくるのよ。お父さんも会いたがってるから』


「………」


さっき夢の中で読んだ文章だ。…じゃああれは夢じゃない?


啓太の頭は混乱した………。

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