六章 寄り添うパートナー
どこかの廃墟となったビルの中。二人は話し合っていた。
「椿が機関に捕まって、続けざまに二人が捕まっちまった。もう三人がいなくなった。この先どうするんだよ?」
「あいつらは危機管理がなってない。だからWPOに後れを取るんだ」
「リーダー様を気取るのは結構だが、切羽詰まってる状態には変わらないぞ」
「いいから冷静になれ。俺たちはもっと大きな目標のために行動していたはずだ」
「つってもよ、残った俺たちだけじゃできることも限られてくるぜ?」
「計画は練ってある。あとは時を見計らって行動に出るだけだ」
「その計画って奴で、どうにかなるのかよ」
「どうだろうな。……まあ少なくとも、もうみんなでテーブルを囲んで、遊びに興じることはできなくなったわけだ」
「騒がしいと思っていたあのころが、遠い昔に感じるな」
「……そうだな」
*
「わかってたよ、逢河」
辺りはしんと静まり返り、夜空には、雨と雲のベールの向こうに月が輝いていた。思い返してみれば、伊吹が亡くなったと知らされたあの日も、こんな空だった気がする。
「わかってた上で、俺は『そう』していたんだ」
「……」
ようやく俺が『ソレ』をやめると、逢河と結香は揃って表情を曇らせた。お前らがやめさせようとしたくせに、結局暗い雰囲気は変わらないままなのか。
「なんで今になって実力行使になんて出たんだ。昨日までは俺の茶番に付き合っていたのに」
たしかにこの一週間、俺と一緒に都乃衣先輩や柊の家に出向いたのは逢河だ。ただその逢河自身も、俺の様子がおかしいとわかっていながら帳尻を合わせていた節がある。
にも拘らず結香に俺を襲わせ、あまつさえ今日は二度目の襲撃を行ってきた。どっちつかずの印象は拭い切れない。
「最初は吉祥が自然に戻ってくれるのを待っていたの。時間を掛けていけば、どうにかなるって思って……。無理に現実を突き付けて、それが吉祥を追い詰めるようなことになったら嫌だったから」
「わたしは反対だったんだけどね。そういう看病するようなやり方、好きじゃないし」
冷静に言葉を紡ぐ逢河に対して、結香は子供っぽい言い分で吐き捨てた。
「異端能力者集団が最後の勝負を突き付けてきたの。犯行声明みたいなものが届いてる。決着をつけようって」
「はっ……。俺が三人捕まえたから焦り出したってところか……」
乾いた笑い声が漏れているのを感じる。ただ邪魔者を退けていただけなのに、そこまで発展しているとか……逃れられない運命なのかもな。
「だからね、少しでも多くの力が必要なの。吉祥にも力を貸して欲しくて――」
「なんで俺じゃなくちゃいけない?」
我ながら感情なんて全く乗っていない声を出すと、逢河はさらに表情を沈ませた。
「俺じゃなくてもいいだろ。特殊能力者班の人間なんて腐るほどいる。他の町担当の人間を寄こして、そいつらに協力を仰げばいい。頭数さえあれば、俺である理由なんてない」
「そうかもしれないけど……!」
「一番近くにいた大切な人を守れないような奴に、WPOの人間を名乗る資格なんてないよ」
あのとき伊吹が刺されたのは完全に不意打ちだった。直前に逢河に任務を言い渡されておきながら、俺は油断しきっていた。ああなることは予想できたかもしれないのに、防げたかもしれないのに、すべて俺の不徳の致すところだった。
「たしかにそうかもね。今の叶真じゃなんの戦力にもならない。能力者と交戦したところで、足を引っ張るのは目に見えてる」
「結香、そんな言い方をしなくても……」
「いいんだ。その通りなんだからさ」
やめてくれ逢河。俺をフォローしようとしたところで、それは俺が恥を晒すだけなんだ。
「だって結局、一人じゃ勝てなかっただろ? 爆弾使いも幻術使いも。都乃衣先輩や柊、逢河の助けがあったからなんとかなったんだ。俺一人じゃ何もできないよ」
二人は一様に押し黙る。
寂寞の時を、俺は力なくも振り払った。
「もう少しで立ち直るから。俺だって、どうにかしないといけないくらいわかってるから。今はまだ……一人にしてくれ」
そうして俺はまた逃げた。二人の元から。この現実から。
「待ってよ。最後にこれだけ確認させて」
背中に強い言葉を受けて、俺の消極的な意思に、一瞬だけ歯止めがかかる。
「吉祥だよね?」
「……わからない」
だけどもそれは、やっぱり一瞬だけだった。
2
いつかの漆黒の空間を、また俺は彷徨っていた。
いくら進んでも闇が晴れることはない。
いくら進んでも光が見えることはない。
それはまさしく、この一週間の俺の心を表現しているようだった。
玄関の方から物々しくドアの閉まる音が聞こえ、俺は浅い眠りから目を覚ました。
スマホで時間を確認すると、夜の九時を過ぎたころだった。
逢河たちと別れた後そのまま家に帰った俺は、制服が濡れてしまったためすぐにシャワーを浴びたのだが、部屋着に着替えてすぐに眠りについてしまった。
二時間近く寝ていたことになる。生活のリズムが狂わなければいいが。
ぼやけた頭のままリビングに向かうと、作業着をしっとりと濡らしたガタイのいいおっさんが、着衣を脱いでいた。
「父さん……帰ってたんだ」
久しぶりにその姿を見たせいで、正体を理解するのが遅れてしまう。
いつも何の連絡もせずに自分のカギで上がり込んでくるから、父さんの帰宅は突発的なものになっていた。吉祥家の人間という情報が近所に浸透していないことを踏まえると、通報されてもおかしくはないというのに。
「おう叶真、元気そうだな。ま、荷物を置きに来たんだよ。ちょっと風呂、使わせてもらうぞ」
そう言って乱雑に作業着を脱ぎ散らかし、脱衣所の方へ向かう。外では依然として雨が降っていることもあり、それを運んできた作業着が、きれいなフローリングを水で濡らす。
「ここで脱ぐなし。床が汚れる」
「固いこと言うな。今すぐでも俺を縛るそいつから解放されたかったんだよ」
「あっそ」
しばらくしてバスルームから水の跳ねる音が聞こえてくる。たまにしか帰ってこないということもあり、こういう自分勝手なところに関して、俺はとうに諦めていた。
腹減ったし、夕飯でも作るか……。ついでに父さんと蓮の分も作ってやろう。
風呂から上がり、動きやすい服装に着替えた父さんは、スーパーで買った総菜を適当に盛り合わせた皿を箸でつつきながら呟いた。
「蓮が出てこないな。何してるんだあいつ?」
「さっき部屋に顔を出したら、またオンラインゲームをやってた。まあいつものことだし、蓮の分はあとで部屋に持っていくよ」
「優しいな叶真は。しっかり兄を全うしているわけだ」
「あいつが何もしないから、しわ寄せが来てるだけだよ」
この際にと愚痴を吐き出しておく。
せめて役割分担でもして、蓮が家のことを少しでもやってくれたら助かるんだけどな。
沈黙が続くのも嫌なので、テレビで適当な番組を流しながら夕食を摂っていく。
テレビでは、人気の芸人や俳優たちが簡単なクイズで張り合っていた。
「叶真、悩みとかないのか?」
「悩み? 急に帰ってきたと思ったらどういう風の吹き回し?」
その唐突な質問の内容に、思わず言い方がきつくなってしまう。
それこそ悩みと言ったら蓮が何もしないことになるが、これは、そういうことを聞いているわけじゃないだろう。
「親として息子を気遣ってるだけだろう。いつもより表情が暗い気がしてな」
「たまにしか帰ってこないくせに、違いなんてわかるのかよ」
「わかるさ。俺はお前たちの親なんだからな」
「……」
皮肉を言ったつもりなのに、変に『らしい』ことを返してくるもんだから困惑する。
悩みか。あると言えばあるのかもしれない。けど、もう蒸し返したくはない。
「別に……。悩みなんてないよ。あったとしてもわざわざ父さんに相談しないよ」
「そうか。それなら仕方ないな」
夕食が終わるのとクイズ番組が終わるのは殆ど同時だった。
父さんはごちそうさまと丁寧に挨拶すると席を立った。
「よし、そろそろ行くか。あまり長居してると明日に響くしな」
廊下に続くドアの横に置いてあった作業用のバッグを抱える。
「叶真の料理、相変わらず美味かったよ。段々母さんに似てきたんじゃないか」
「スーパーで買った安い総菜だよ。褒められるもんじゃないけどね」
「そうか? 味噌汁は一から作っていたろ? 総菜だって、叶真なりに味付けしていたじゃないか。もっと誇っていいんだぞ」
「いいから早く行きなよ」
「ははっ、それもそうだな」
こういう親子っぽいやり取りをするのはあまり慣れていなくて、正直照れくさかった。
完全に嫌だと言い切れるわけではないが、かといって続けたいというわけでもない。
「そうだ叶真」玄関まで見送ろうとすると、父さんは思いついたように声を上げた。
「さっきの悩みの話についてだが、わからないなりに父さんからアドバイスをしてやろう」
もう靴を履いたというのに、こちらに振り返ってそのアドバイスとやらを伝授してくる。
「いいか叶真。立ち止まるな。何があっても前に進み続けろ。別に悪いことばかりの世の中じゃないさ。そうすればきっと光は見えてくる。俺がそうだったようにな」
半分笑いながら、半分真剣になりながらで、どこからどこまでが本気なのか掴めない。
ひとまず俺は、笑う方で返事をすることにした。
「なにそれ。ドラマにでも感化された?」
「かもな。――じゃあな。またひょっこり帰ってくると思うから。それまで家のことは頼んだぞ」
父さんはそう言って、優しく微笑んでから、また雨の中家を出て行った。
俺たちのために金を稼いでくれているのはわかる。
けど今日くらいは、もう少し家に居てくれてもいいのにな、とそう思った。
リビングに戻ってくるとテレビがつけっ放しで、次の番組が始まっていた。
ふと視線が横に泳ぎ、何年も置かれている家族写真が目に留まる。
俺と蓮と父さんと、そして今はいない母さんとが、世界で一番幸せそうに笑っている。
父さんは昔、訳あって母さんとは離婚したと、俺たちにそう説明していた。
『俺がそうだったようにな』――その言葉の深い意味を今はあまり考えたくなかった。
3
教科書や筆記用具の入った鞄を片手に抱え、放課後の、アスカ高校二階の廊下を歩く。
窓の開いている部分から微風が流れ、頬を撫でる。
周りの生徒は、帰宅のため昇降口に向かっていたり、部活があって部室に向かっていたり、呼び出しを食らって職員室に向かっていたりなのだが、俺はその中でも特に人が寄り付かない、進路資料室に向かっていた。
毎度のことではあるが、そろそろ部室を活動拠点にしたいとも思う。
今日が金曜日ということもあり、学校生活のしがらみから解放されたおかげなのか、俺の心は非常にリラックスしている状態だった。
俺はWPOの人間だ。
そしてそのWPOは『世間からあぶれた危険から、世界を保護するための機関』である。なのに最近じゃその形態が悪い方向に転がって、能力者絡みの任務が増えてしまっている。どの側面から見ても、言えることは一つに収束する。WPOは『守る』ための組織だ。
俺ももちろんそんなことは理解していた。
だけど俺はそれを全うすることができなかった。
俺は、伊吹という、一番近くにいる大切な存在を守れなかった。
もうこんな悲しいことは続けたくない。今の俺にはあるのは、それらしい――だけどもどこか曖昧な――無難を貫いた意志だった。
ようやく目的地に着きドアを開けると、いつもの光景がそこにあった。
だけどそこに『姫』を冠するあいつの姿はない。
「よっ、きちじょー、お疲れさーん」
「……」
相変わらず元気なクラスメイトと、黙々と資料を読む先輩。
俺はいつものように対面のパイプ椅子に腰を下ろした。
二人はこの放課後という何気ない時間を、臆面もなく過ごしている。仲間が一人いなくなってしまったというのに――亡くなってしまったというのに、先週の末に告別式をやってからというもの、何事もなかったかのような面をしているのだ。
所詮二人にとってあいつはただの後輩あるいは同級生で、それ以上でもそれ以下でもなかったんだろう。あれ以来、進路資料室に来るたびに、居たたまれない気持ちが湧いてくる。
「……あの、二人は……悲しくないんですか」
気付いたら俺はそんなことを口走っていた。もしかしたら二人の態度が気に入らなくて、どこかで憤りを覚えていたのかもしれない。
「え……?」
「急にどうした?」
「いや、その……」
当然二人の視線が集中する。俺の次の言葉を待っているようだ。
俺はこの空気をどうにかして別の方向へ持っていく方法を考えた。
そんな中、しびれを切らした都乃衣先輩が静かに口を開く。
「悲しいよ」
まるで無機質で、一度電子に変換されてからスピーカーから出てきたような声だったが、そこに込められた感情は言葉通りのように感じた。
「たしかにあいつは俺にとっちゃただの後輩だし、付き合いだって放課後だけの積み重ねだ。お前らと比べて、俺とあいつの付き合いなんて圧倒的に短い。告別式だって成り行きで参加していたかと聞かれれば、はっきり否定できない部分もある。正直、死んだ、っていう実感もあまりないんだけどな。だからって、何も感じていないわけじゃないんだ」
「悠一……」
「少なくとも俺はあいつには生きていて欲しかったよ。なんなら卒業も見送って欲しかった。涙は出てこないけど、悲しいっていう感情はここにある」
都乃衣先輩は胸に手を当てた。
「だったら、なんでそんな風に平気にしていられるんですか。俺はこの一週間我慢してましたけど、やっぱりおかしいですよ。なんで都乃衣先輩も柊も普通に過ごせるんですか」
「普通じゃないよ、きちじょー。だって私だって、きちじょーみたいに引きずってるもん」
今度は柊が口を開く。こういうときに限って真剣になるからやりにくいものだ。
「よく言うじゃん、過去を乗り越えろってさ。私、そういうのはできないんだよね。だから私は、このことに関してはずっと引きずっていくつもりだよ。姫のことは忘れない。引きずって引きずって、たまに思い出して泣いたりして……その上で姫の分まで幸せになってやるんだ」
それが柊なりの弔い方と言いたいらしい。それはどんな弔いよりもずっと難しいようにも感じた。だが柊はいつものいい笑顔でそう言い切った。
「俺が言った奴のパクリじゃないか、それ」
「ええー、私なりにアレンジした考え方だよー」
「どうだかな」
二人はいつものように楽しそうだった。いつもの放遊会の二人がそこにはいた。
「お前だって、お前なりに努力していたろ。それでいいじゃないか、吉祥」
「……」
「『いつも通り』放課後を楽しく遊んで過ごす。それが俺たちだよ」
「……そうですね」
感極まった俺は、それ以上何も言えなくなってしまった。俺のことをよく見ていたんだろう。やっぱり都乃衣先輩は凄い人だと改めて実感させられる。
前に進み続ければ光は見えてくる――。
あながちあの言葉も間違っちゃいないのかもしれない。
重くなりそうだった空気を払拭するかのように、都乃衣先輩は深呼吸した。
「で、今日は何をするんだ?」
「うーん、そうだねー、どうしよっかなー」
「それにしても結局、新入部員は来てないんですね」
柊が腕を組んで唸りだしてしまったので、適当な話で場を繋ごうとする。
「一日くらいで急に来るもんじゃないだろ。ましてやこんな奇妙な同好会だしな」
「まあ、そうですよね」
「放課後を楽しく遊んで過ごそうってんなら、普通の部活でもできるわけだしな」
俺たちの会話など特に聞いていなそうな柊が元の話題に戻そうとする。
「んー……あのさー、この辺で何か面白いところってあったっけ?」
「面白いところ? カラオケとかボウリングとかか?」
「そういうところは一通り去年で遊びつくしたろ。別に俺はそういうのでも構わないが」
「……あ、じゃあ、最近近くにできたショッピングモールとかどうですか? まだ行ったことないですよね。一度みんなで行ってみませんか?」
「ほーほー、ショッピングモールかー。そーいうのもアリだねー」
俺がなんとなしに提案したものが、本日の活動候補の筆頭として名を上げる。
「モールなら俺も歓迎だな。ちょうど家のものを色々買っておきたかったんだ」
柊はともかくとして、都乃衣先輩も乗り気なのは意外だな。
「なら異論はないということでショッピングモールに出かけましょう」
「あ、ちょっと待って、今何時だっけ?」
ふいに柊が水を差す。
言われて時計を見てみると、四時を回ろうというところだった。
「今から行ってもあまり回っている時間はなさそうだよね」
「あー、それもそうかもしれんな」
「なら、明日行くのはどうだ?」
会議が行き詰ろうとしたところ、名案を出してくれたのは都乃衣先輩だ。
「昨日はビラ配りをしたりポスターを張ったりでまだ疲れてるだろ? だから今日は早めに解散しておいて、明日、早い時間に集合してモールに行けばいい。そうすりゃ時間もたっぷりとれて、各々やりたいことができるだろ」
「いいね! 明日土曜日だし、それがいいかも!」
一気に会議が終わりに近づいて行く。さすが都乃衣先輩だ。話を纏めるのが上手い。
まあ予定を明日に回すなど少し考えれば思いつきそうではあるが、真っ先に提案をできていたのは、経験値の差と言えるのかもしれない。
「吉祥はどうだ? 明日空いてるのか?」
「まさかまさか、週末はゲーム三昧してるとか言わないよね?」
「おい柊、勝手に俺をニート呼ばわりすんな」
それこそ蓮じゃあるまいし。……いや、ま、あいつ曰く、ニートではないらしいが。
「別に、普通に空いてますよ。断る理由もありませんし」
「なら決まりだな。今日の活動はナシにして、明日、放遊会のメンバーでモールに出かけることにしよう。現地集合でいいか?」
「えー、私は悠一と一緒に行きたいなー」
「そう言うと思ったよ。じゃ、玲奈は一旦ウチに来い」
「やったー。ついでに、こはるちゃんの小説の続き読ませてもらお」
夫婦漫才の傍らで、都乃衣先輩は俺にも是非を問うてくる。
「わかりました。俺もそれで大丈夫です」
4
やっぱりここは変わらないな……。
翌日、俺の姿はショッピングモールではなく、アンティークとヴィンテージに包まれた昔ながらの喫茶店にあった。最近は様々な出来事に翻弄されてきたこともあり、気を落ち着けるために行きつけの喫茶店にやって来ていたのだ。ここ最近は前を通る暇もなかったが、外観は相変わらず茶系をベースにしている。数段しかない階段を上ったところには看板が立てかけており、消えかかったチョークで『ひだまり』と書かれている。
どうやら本日の日替わりメニューは冷製パスタらしい。たしかに暑い日が増えてきたもんな。
「……」
おっと……まだ中に入ったわけじゃないのに、何を外観だけで感慨にふけてるんだ。
テラスを抜け、片開きのドアを開けると、歓迎の挨拶代わりにドアベルが鳴った。
昼前ということもあり客は少なく、店内は時間が止まったようになっていた。
ひとまずいつものカウンター席に向かう。
壁に掛けられた時計が示すのは十一時。まだ開店して間もない時間だ。
「……おい、なんでお前がここにいるんだ」
そこで俺は、思いもよらぬ人物と鉢合わせることになった。
「……?」
幼い子供のように無邪気にオムライスを食べていた彼女はスプーンを皿に置く。
どうやらミックスジュースも注文していたようだ。
なんというか……こう、ガキっぽいよなあ。もう慣れているし悪いってわけじゃないけど、普段の印象とかけ離れているというか……。
「あ、吉祥。あなたもお昼ご飯を食べに来たの?」
いつもの冷静な印象をぶち壊す出で立ちで、逢河がこちらを見上げてくる。
口の周りちょっと汚れてるし。どんだけ夢中に食ってたのお前。
「昼ご飯って……ちょっと早くないか。俺は少しだけ顔を出しに来たんだよ」
あえて意識しながら一息つく。この空間を楽しむためにも、やっておいて損はない。
俺が逢河の隣のカウンター席に着くのと同時に、それを奥の厨房から見ていたのか、ワイシャツの袖を捲った大将が、静かに注文を取りに来る。
『ひだまり』のメニューは、そこらのファミレスに引けを取らない品揃えだ。
代表的なコーヒーから始まり、カレーライス、オムライス、サンドイッチ、ベーグル。デザートだと、ホットケーキ、ショートケーキ、チーズケーキ。他にも日替わりでメニューが変わったり、大将の気分のときしか出ないという裏メニューもあったりする。
さて、どうしようか。看板に書いてあった冷製パスタもたしかにアリだけど……。
前述したように昼食にはちょっと早いし、今日はあくまでリラクゼーションが目的だ。
小腹を満たす程度で、とりあえずここは……。
「大将。いつものでお願いします」
俺がそう告げると、大将は片手を上げて了承の合図を取り、再び厨房奥に姿を消した。
「……『いつもの』って何?」
「そのまんまだろ。常連にのみ許される四文字の言葉だ」
「吉祥ってそんなにここに来てるの?」
「まあ月に二回くらいだけどな。それでも高一のころから通ってるから、大将も顔を覚えてくれてる」
「ふーん。……喫茶店なのになんで『大将』なの?」
居酒屋みたいな呼称と言いたいわけか。わからんでもないが。
「まあ、マスターと呼ぶ方が相応しいのかもしれないけど、それだとなんか店名の『ひだまり』にそぐわない気がするだろ。だから俺はあえて大将って呼んでるんだよ」
何より、四十後半から五十前半くらいの哀愁漂う感じが、まさに大将って感じだしな。
「へぇ」
「いいから手を進めろよ。行儀悪いぞ」
そう言ってオムライスとミックスジュースを食すように促す。
それにしてもホント……ザ・お子様ランチみたいな組み合わせだな。
しばらくして、いつものセットがカウンターに出される。
ホットケーキの甘い香りと、ホットコーヒーの渋い香りが鼻をくすぐる。
変に悩まずとも、やっぱり『ひだまり』に来たらこれに限る。お互いの主張を殺すことなく、かつお互いの良さを高め合えるような――まさに最善解とも言えるだろう。
まずはコーヒーから口に付ける。ほんのり温かい液体が食道を通り、体内に注がれていくこの感じがなんとも官能的だ。
「吉祥、コーヒーはブラックのまま飲むんだ」
「俺はコーヒーはブラック以外認めない主義だ」
「無理してない? かっこいいと思ってるならやめた方がいいよ」
「失礼だな。俺はブラックが美味いと思ってこのまま飲んでるんだ。つーかミルクやらガムシロやらで味を弄る方が淹れてくれた人に失礼だろ」
「どうかな? その方が美味しいならそれに越したことはないと思うけど。一流の職人なら、そこまで考えた上で淹れてるでしょ」
なるほど、一理ある。だがやはり俺はブラックの方が好みだ。
ホットケーキを一口サイズに切り取り、それを口に迎え入れてから、もう一度コーヒーを啜る。
しばらくすると、いつの間にか店内には静寂が流れていた。時々食器のぶつかる音が小さく鳴るが、それ以外は何もない。俺も逢河もお互い喋ろうとしないからだ。
だが、かといってこの静寂が嫌だというわけではなかった。むしろ、このままこの時間を永遠に引き延ばして、心向くまま気の向くまま、ずっと身を委ねていたいくらいだ。
俺は過去を清算するために深呼吸した。
「逢河、ありがとな」
「急にどうしたの?」
お互いに食事の手を止めることはなく、片手間程度に会話を紡ぐ。
「いや、言っておきたくなったんだ。お前には迷惑をかけたよ」
「そうだね。正直どう手を付けようかずっと困ってたよ」
「それは悪いと思ってる」
「任務、望めそう?」
あたかも最初からそういう話をしていたのかと思わせるほどに、逢河はさらりと言った。
「どうだろうな。努力はしたいと思ってるよ」
「そっか……。まあ今はそれでもいいんじゃない。吉祥が頑張ってるってことは、私がよく知ってるよ」
「……」
小さな笑みが零れる。それを逢河に見られるのは少し恥ずかしかったが、逢河はそれ以降、何も言ってこなかった。もしかしたら、逢河も同じ心境だったのかもしれない。
お互いの皿が白くなってきたタイミングで、まるで計ったようにスマホが着信した。
「ごめん、ちょっと出てくるね」
そう言って、逢河は自身のスマホを片手に外へ出て行く。
一人きりになり、今度はそこを狙ったかのように、大将が顔を出した。
『叶真君のガールフレンドかい?』
「冗談はよしてくださいよ。ガールまで付ける必要はないです。逢河はただの友人ですよ。いや、友人とも違うかもしれないですけど」
『友人じゃないのであれば、それこそ彼女ということにならないかな』
「大将は本当に、僕をからかうのが上手ですね」
『僕は世間話をしているだけさ』
大将は意地悪く笑う。だけど不快ではない。
俺は大将のこういう人柄に惹かれて、ここに通うようになったんだよな。
『今度からはもっと友人を連れて来てくれてもいいんだよ』
「友人ですか。そうなると、癖のある人しかいませんけど」
『お客様を選ぶようなことはしないさ。叶真君の友人なら歓迎するよ』
「考えておきます……」
まあいずれ、俺の憩いの場も、放遊会の活動で出向くことになるんだろうな。
『あ、彼女、呼んでるみたいだよ』
大将に言われて出口の方を見ると、逢河がこっちに来るように合図を出していた。
なんだろう。なんだか胸騒ぎがする。
「すみません、大将。ちょっと行ってきます」
『ああ、構わないよ』
外に出てみると、逢河が血相を抱えていた。
「なんかあったのか? また任務でも入ったのかよ」
冗談交じりに言ってみると、逢河はさらに表情を強張らせる。
「そうみたい。前に話したよね。異端能力者集団が最後の勝負を突き付けてきたって。彼ら、とうとう実行に移したみたい」
一瞬顔が俯いてしまったが、なんとか自身を鼓舞する。
「詳しく話せ」
「吉祥も来るの?」
逢河は驚きと心配を混ぜ合わせたようなまなざしを向けていた。
たしかに自分でも、あれほど醜態を晒しておいて何を今さらとも思う。
だけどやっぱり、誰かが危険に晒されると聞いてじっとしてはいられない。
「……行くよ。立ち止まってちゃダメだもんな。辛くても前に進まないと」
「わかった。――ん、一旦中に戻ろうか」
何かが目についたのか、店内へと引き返す逢河。
後を付いて行くと、大将が珍しくテレビに夢中になっていた。
俺もつられて画面を覗き込む。するとそこには、にわかには信じ難いことがテロップに表示されていた。『現在、119番と110番を含む』――、
「全国の通報件数が約一万件?」
『おう、叶真君。どうやらおかしな事態になってきたみたいだよ』
なんだよそれ? 全国でそんなに事故事件が起きてるのか?
「逢河、まさか任務ってこれか?」
大将曰く、ザッピングしてみたようだが、他チャンネルも内容は同じだったそうだ。
『イタズラ電話か?』『新手のテロか?』『対応は間に合っているのか?』アナウンサーがそんなことについて話し合っている。
今になって気付いたが、遠くで警察・消防・救急を混ぜたサイレンが鳴り響いている。
外に視線を移すと、街中を行く人たちも、忙しくどこか(おそらく自宅)へ走っていく。
家を出る前は平穏そのものだったのに。なんなんだこの混沌とした状況は。
「私も半信半疑だったけど、中々に無茶なことをしてくるね……。サイバーテロってことかな。どうやらこれが、異端能力者の最後の一手みたい」
「意味わかんないんだけど……。ふざけた連中だな」
「それは同感」
だがとうとう本格的に動き出したということは理解できる。
テレビでは依然として、通報に関するニュースが取り上げられていた。
『公共機関が麻痺状態!!』『全国で渋滞が発生中!!』『停電の恐れも!?』深刻さは現在進行形で増しているようだ。最悪の場合、死傷者が出る可能性も考えられる。
伊吹の亡骸が脳裏をよぎる。あんな悲しいことはもう続けさせない。
「つまり、これを止めろってことか。甚大な被害が出る前に、異端能力者の場所を突き止めて」
「いや、居場所についてはもう特定されてる。アスカ町の駅近くにショッピングモールがあるでしょ? そこの立体駐車場」
「ショッピングモール!?」
思わず大声を出してしまい、ニュースに夢中の大将までもが、こちらに注目してしまう。
お構いなくという意思を身振り手振りで伝えると、すぐにテレビに意識を戻してくれる。
「何かマズイの?」
「マズイって言ったら、そんなの事件が起こってる時点でマズイんだが……。よりによってショッピングモールかよ」
モールと言えば、今日の放遊会の活動で向かう場所だ。現地集合だったはずだから、今ごろ柊と都乃衣先輩も向かっているはず。
『身内』が危険に晒される可能性があることを知り、手に汗が溜まっていく。
「こうしちゃいられない。すぐに向かおう」
俺は急いで残りのホットケーキを口の中に放り込み、それと一緒にコーヒーを胃に流し込んだ。できればまだくつろいでいたかったが、背に腹は代えられない。
『急ぎの用かな?』
「みたいです。すみません。大将とは話したいこともあったんですけど」
席を立つのと同時に、カウンターに置かれたナプキンをとり、口元を適当に拭う。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです。また来ます」
身なりを雑に整えてから、財布から取り出した英世二枚をカウンターに置いた。
「おつりはいいです。逢河の分も含まれてるんで」
「え、ちょ、ちょっと吉祥」
「いいから急げよ。もたもたすんな」
逢河を引っ張って店を出て行こうとすると、心配そうな大将の言葉を背中に受ける。
『叶真君、あまり、無理しないようにね』
「はい!」
『ふぅ……やれやれ。まあまた来るって言ってたし、おつりはそのとき渡そうかな』
――と、最後にそんなことを呟いていた気もするが、今は一行の猶予も許されなかった。
「ちょっと待ってって言ってるでしょ!」
外に飛び出してすぐに、逢河は手を振りほどいた。
「吉祥、焦る気持ちはわかるけど、もう少し落ち着いて……。でなきゃまた前みたいに――」
そう言って俺の双眸を見た途端、逢河は一気に熱を冷ました。
「大丈夫だよ。誰一人として犠牲者を出さずに、みんなを救う。それが俺たちの使命だろ」
「……うん、そうだね」
深く頷く逢河。どうやら冷静さを欠いていたのは逢河だったようだ。
「逢河は結香と合流してからモールに向かってくれ。俺は先に向こうに行ってる」
「わかった、そうする。けど吉祥も、くれぐれも無茶はしないでね」
「不吉な言い回しはナンセンスだぞ。パッと行ってパッと捕まえようぜ」
「うん!」
逢河と別れショッピングモールのある方向へ足を弾く。
不思議と今の俺の心は、波の立たない水面のようだった。
この一週間、現実逃避の日々を送っていたというのに、自分でも信じられないくらいだ。
都乃衣先輩宅で兄妹と遊んだり、柊に付き合わされて両親の説得をしたり、結香の知られざる一面を垣間見たり、そして逢河と喫茶店で至福の一時を過ごしたり――。
紆余曲折はあったけれど、『楽しい日常』であることに変わりはなかった。
もしも、あいつの言っていた楽しい日々を過ごすことが、あいつへの手向けになるって言うなら、俺はそれを守り抜かなくちゃならない。
……いや、本当はわかっていたんだ。だから俺は馬鹿みたいに、汗や血を流しながらも異端能力者に立ち向かっていたんだろう。
あの夜、逢河に見つかったあの瞬間から、俺はずっと迷っていた。
でももう迷いなんてない。
俺はもう立ち止まらない。何があっても前に進むんだ。
「この日常は俺が守る。絶対に止めてやる」
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