10万円あったら

神戸 茜

1千万円あったら

 ミケとタマは気が合って同居中。

 今日は日曜日。

 めずらしく、2人そろって休みの日。

 四角い形の軽自動車を運転して、少し遠いところまでお出かけすることにした。


 目的は、となりのとなりの、さらにとなりのM市に、古本と古着とバッグを売りに行くこと。

 ついでに、最近気になっていたカフェでランチをする計画だ。

 古本はM市に住んでいる専門学校時代の友達が、少し高値で買ってくれることになっている。古着とバッグは近所でも売ることはできたけれど、せっかくなら離れた場所で売って、置いて帰りたかった。


 M市まで、2時間のドライブだ。

 ラジオをつけて車を走らせていると、ミケがこんなことを言い始めた。

「1千万円あったら、何に使う?」

 単調な田舎道に意識がぼんやりと薄れ始めていたタマは、

「ええ?」

 と聞き返した。

「私だったらね、分譲マンションを買うよ。」

「マンション?」

 タマは眠気のぼんやりを、ミケの脈絡のない話のぼんやりに増長されて苛立った。

「うん。今のアパートは、築30年。改修工事なんかあったら、追い出されるでしょ。でもね、新築のお部屋を買えば、この先もタマと一緒に暮らせるでしょう。」

 ミケはタマを見てニコッと笑った。

 いつまで続くか分からない同居生活をしている2人だから、お互いに先のことを約束したことはなかった。

 ありえない、仮定の話ではあるけれど、ミケの言葉は初めての告白だ。

 タマはブレーキをそっと踏んで、道の途中で車を止めた。

 助手席を見ると、タマは微笑みを返してくれる。

 ピンク色のチークが薄くのった、柔らかな頬にタマはキスをした。

「タマ……。」

 ミケはタマの顔を見つめた。

 タマも、目をそらさずに視線を受け止めた。

「タマ、唇が熱いよ。眠くなっているんじゃない。」

 ミケは、水筒に用意した氷入りの冷たいコーヒーを紙コップに入れてタマに手渡した。

「うん、少し。」

 タマは、色んな感情が込み上げながらもそれらを心の隅に寄せて、コーヒーに口をつけた。


「着いたよ。」

 タマの優しい声に起こされると、ミケは、この世界に何かとてもいいことがあるような気がする。

「んん、どこに。」

「リサイクルショップだよ。」

 目を開ければ、大型リサイクルショップの入口が目の前にある。雑多な店内には、使い古されたさまざまなものが並べてある。

 二人は車を降りて、後部座席の紙袋を一つずつ手に持って、それから、売却予定のブランドバッグをそれぞれの手に一つずつ持って店内へ入った。

「ついに手放すんだね。」

 ミケがしみじみと言った。それぞれの手に持ったブランドバッグは、高校時代に流行ったブランドのバッグだ。高校卒業と同時に始めたバイトで一年かけてお金を貯めて買った憧れのバッグだった。

「うん。やっと、決めたから。」

 高校時代には、あれだけ流行ったバッグだったけど、同じ世代の人たちからすると、「ああ、何年か前にみんな持ってたやつでしょ」という存在だ。つまり、あまりにも人気だったせいで、今では持って歩くのが恥ずかしい。

 査定を待つ間、ミケは店内をうろうろと歩き回った。

(お洋服、家電、家具、楽器……みんな、一度は持ち主の役に立ったはずのものだ。ここに、私が一生懸命働いて買ったバッグとお洋服が紛れてしまうことが悲しくなってきた。)

 ミケは、泣きそうな顔になって、トイレの前に立ち、タマが出てくるのを待った。店内にはひとつだけ女性用トイレがあるので、ミケが先に入り、今はタマが入っているのだ。

 トイレのドアを開けて出てきたタマは、一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに優しい顔になった。

「どうしたの。悲しいの?」

「うん。」

 タマはミケの手を取って、店内をゆっくりと歩いた。

「ねえ、ミケ。きっとね。

 お洋服の気持ちになったら、うちのクローゼットに閉じ込められているよりも、仲間たちとここで過ごす方が楽しいよ。」

「ほんとう?」

 タマは返事をする代わりに、ミケとつないだ手をぎゅっと握った。


 M市内の割と中心地近くに住む友達の家を探して、ミケが運転をしている。長距離運転はタマの方が得意。ごちゃごちゃした道は、ミケのほうが得意だ。

 助手席でタマは5千円札をひらひらさせながらしゃべった。

「実家だったっけ。トラの家。」

「そうだよ。駐車場も広いって聞いてる。」

「もうすぐ着く?」

「うん。もうすぐ着く。」

 見覚えのある家の前まで来ると、トラが家から出てきて手を振った。

 ミケが駐車場に車を止めると、トラは興奮した様子で駆け寄った。

「二人とも、相変わらずのおそろ感、かわいい!車の中までかわいくしてる!!」

「トラはずいぶん大人っぽくなったね。」

 ミケの言葉に、トラは微笑んで答えた。

「大人っぽいんじゃなくて、もう、大人でしょ。」

 段ボール箱いっぱいの少年漫画は、全てトラが買い取ってくれた。

「本当にいいの?どれも全巻そろってるし、こんなにきれいなのに。」

「うん、いいの。もう、読まないから。」

「ありがとう。今、仕事やめちゃったから暇なのよ。」

 トラの突然の言葉に、二人は目を見開いた。

 トラはあわてて付け加えた。

「違うの。結婚して、他のとこに就職するのよ。」

「おめでとう。」

 二人は声をそろえて言った。

「ありがとう。」

 トラはとても幸せそうな様子である。

「せっかくだから、彼に会って行かない?もうすぐ、お昼を食べに来るのよ。」

 顔を見合わせた二人の気持ちは同じだった。

「あれ、お昼、すましてきちゃった?」

「うん。ドライブしながら食べたから、おなかすいてないの。」

「そう、残念。」

 本当に残念そうなトラの顔を見ると、嘘をついた二人の胸は少しだけ傷んだ。

 漫画の代金として、トラは5千円を渡してくれた。

 大手の古本屋で売るよりも、ずっといい値段で売れたことになる。

 駐車場まで見送りに出てきたトラに、また会おうと約束してエンジンをかけたとき、白いエコカーが家の前に止まった。トラは、そっちを振り返って、大きく手を振った。その仕草は、小さい子供のようだ。

 ミケは静かに車を発進させた。タマは、こっそり振り返ってエコカーから出てくる人を見た。少し丸いシルエットの男の人だ。

(きっと、お金持ちなんだろうなあ。)

「気になるの?」

 ミケは、信号待ちで停車した車内で、前を見たままタマに質問した。

「何が。」

「ううん。何でもない。」

 車内は、いったん、静かになった。

 が、しばらくして、タマが口を開いた。

「さて、1万円あったら、何をする?」

 タマは、2枚の5千円札をひらひらさせた。


 お昼よりも少し早い時間に着いたので、店内は想像したほど混んではいなかった。

 案内された席からは、かわいらしい裏庭を眺めることができる。

 食事を待ちながら、ミケが言った。

「お花、育てたいな。」

 タマも言った。

「私はお野菜がいいな。」

 二人は、お互いに微笑み合った。

「ベランダに鉢植えをたくさん置こう。」

「もう、半年くらいベランダに出ていないもんね。」

「ときどきは、ベランダに椅子を出してティータイムをしようよ。」

「あ、かわいいね。」

 一万円の使い道が決まり始めたとき、料理が来た。

「ランチセットの方は……。」

 ミケが、小さく「はい」と返事をした。

「ランチセットとソイラテ、それと、単品の特製プリンとキャラメルラテです。」

 ランチセットをミケの前に置いてもらったけれど、タマはプリンしか食べないというのではない。小食のふたりは、それぞれが一人前を食べることはほぼあり得ないのだ。スマホでランチセットの写真を撮ったミケは、トレーを90度回転させて、「いただきます」をした。

 ランチセットを仲良くつつきながら、ふたりはベランダの花園を計画した。

「チューリップ」

「ミニトマト」

「小さいバラ」

「小さいニンジン」

「……。」

「……。」

 お互いに、花の名前も野菜の名前もよく知らないということが分かっただけであった。

 実際に苗を買いに行くと、知らない名前のかわいいお花がたくさん売られていて、そんな計画は必要なかったと分かるのだけれど。

 とにかく、二人は花の苗と、野菜の苗と、それから、種と、土と植木鉢などを買いそろえて帰路についた。


 ランチとガソリンにかかったお金を合わせても、1万円を使い切ることはできなかったが、贅沢をして、なんだか新しいことが始まったというわくわくを得ることができた。

 二人は、ベッドを並べて眠りにつく。

 ベランダでは、まだ花が咲かず、実が成らない植物たちが深い呼吸をしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る