音のある青春 -ロックと恋とセックスとー

ロッドユール

第1話 命の電話

(まだロックがロックしていて、デジタルがアナログと同居していたそんな時代。カセットテープはくるくる回り、録音時間は再生時間と同じだった。バンドブームは去っても、ロックはまだ熱く燃えていた)


 冷たく、汚れきった部屋。一日中カーテンを開けていないじめじめとした暗い部屋に今日も一人俯く。全てが眠る深夜。全てが恐ろしいほどに静かだった。

「・・・」

 全てがどうでもよかった。ありとあらゆる全てが虚しかった。寂しさと絶望と堪らなくやるせない何かが、僕の心を完全に支配していた。死、死、死――。全てのマイナスな気が満ち満ちて、荒んだ腐敗臭を発しながら、全てを虚無に飲み込んでいく。

「死にたい」

 生きていることの全ての中で、希死念慮が、常に頭の片隅を覆っていた。

「ぐぐぐぐっ」

 堪らない心の呻きが、全身に揺れる。

「っというか、死ぬしかない」

 自分のこれからが、あまりに惨めで孤独だった。体が冷たく硬直し、夢遊病者のように意識を混沌とさせた。

「・・・」

 右手に持った使い古された刃の錆びついた安物のカッターナイフを手首に当てる。痛みと恐怖。うっすらと滲む赤い血。体が冷たく、青白く染まっていった。

「・・・」

 体の芯で何か堪らない悲しみと惨めさが震えた。

「クソッ」

 僕は手に持っていたカッターナイフを部屋の壁に投げつけた。 

「・・・」

 死ぬこともできない。

「うっ、うっ、うっ」

 自分が情けなくて、惨めで無性に涙が出た。

「くそっ、くそっ」

 情けなくて、やり場のない怒りが込み上げた。

「あああっ」

 僕はベッドの上に、飛ぶようにして仰向けになった。

「・・・」

 何もない天井を見つめる。冷たい時間が流れていく。それすらがなんだか苦しかった。ベッドの傍らに立てかけてあったエレキギターを寝たまま腕の力だけで手に取ると、お腹の上に乗せ、なんの気なしに無気力にパラパラと弾き始めた。小さな虚しい一音一音の音の連なりが、メロディーになって冷たい部屋に木霊すように流れては消えていった。

「そういえば・・」

 駅前の電柱に、ピンク色の命の電話の張り紙がしてあった。なぜか、そのことをふと思い出した。

「あんなとこ電話する奴なんているのか」

 僕は思った。

「命の電話!」

 僕は跳ね起きた。もしかしたら、もしかしたら・・。なんだかよく分らない希望を衝動的に感じて、僕はベッドから起き上がると慌てて電話帳で電話番号を調べた。「い」で調べると、それは大きく載っていた。やはりNTTもそこは配慮しているのだろう。そして、僕は、僕の部屋に設置してある固定電話の子機を手に取った。

 ぷるるる~る、ぷるるる~る。

 僕の切迫した気持ちとは裏腹に何とも間の抜けた電子音が受話器の向こうで鳴り響く。

「あ、もしもし」

「は~い、もしも~し」

「えっ?」

 なんか、陽気で妙にテンションの高い声が聞こえてきた。しかも、なぜか片言の日本語だ。外人さん?

「どうした。お前」

「えっ」

 なぜいきなりため口?。

「お前、どうした」

 しかもなんか上からなしゃべり方。

「いや、あの・・」

 僕は想像していた感じとかけ離れた相手に戸惑った。

「どうした早く言え」

「あの、なんか死にたくて・・」

「・・・」

「あの、もしもし」

「もしも~し」

「もしもし、あの」

「もしも~し」

「もしもし、あの聞こえてます?」

「もしも~し、ばっちり聞こえてるぞ。安心しろ」

「はあ」

 なんかリズムが狂うなぁ。

「お前、死にたいのか」

「えっ、ええ、まあ、そうストレートに言われても困るんですが・・」

「もしも~し」

「もしもし?」

「もしも~し」

「もしもし、聞こえてます?」

「おう、ばっちり聞こえているぞ」

 やっぱり、なんかリズムが狂う。

「早く要件を言え」

「えっ、いや、あのだから・・」

「お前は死にたい」

「う、うん」

 いやだから、何度もそうストレートに言わないでくれ。

「それでどうする」

「えっ、いや、だからそれを相談するために電話を」

「死にたい奴をオレは止めなきゃならない」

「う、うん」

「オレはどうしたらいい」

「いや・・、だからそれはこっちが聞きたいんだよ」

 もう全く会話にならない。

「もしも~し」

「もしもし?」

「聞こえているか」

「聞こえているよ」

 なんか腹が立ってきた。

「よしっ、オレは一生懸命考えるぞ」

「いや、あのなんかもういいです」

 なんかもうばかばかしくなってきた。

「よし、閃いた」

「えっ」

「オレはお前のうちに行く」

「えっ、なんでそうなるの」

「お前のうちの住所を言え」

「えっ、いや、だから、もういい・・」

「言え」

「は、はい。ええっと・・」

 僕はなぜか勢いに押され正直に答えてしまった。こういう、体に染みついた気の小ささが、今の状況の原因なんだろうな。僕は落ち込んだ。

「よし、分かった。じゃあな」

 そう言って、向こうから一方的に電話は切られた。

「・・・」

 な、なんだったんだ・・。僕はしばし受話器を見つめたまま茫然とした。

「・・まあ、ほんとに来ることはないだろう」

 僕は不安ではあったが、そう思うことにした。

 僕は、命の電話に電話したことを激しく後悔しながら再びギターを手に取ると、またパラパラと弾き始めた。頭の中はさっきの電話のことでいっぱいだったが、指は勝手に動いていた。

「そういえば・・」

 気付けば希死念慮はどこかへいってしまっていた。

「まあ、よかった・・」

 とりあえず、目的は達した。僕はそう無理矢理自分に言い聞かせ、納得した。

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