9.ヴィルの怒り

「なんなのまったく……」


 うつろな視線を虚空に投げるエルミアをちらりと見ながら、リリナはため息をついて魔法杖ロツドを背中に戻した。


「いやさすがだなリリナ……ほんと相変わらずの物理攻撃だ……」


 重い沈黙が立ちこめるなか、なんだか弱々しい調子で声をかけてきたのは、いつのまにか腰の剣を抜いていたヴィルだった。


「最悪のときは俺が助けに入ろうと思ってたけど――」


 きん、と抜いていた剣を鞘に収め、ヴィルはため息をついた。


「――まさかここまで完膚なきまでに俺の入る隙なく倒されるとは……」


 つぶやいてからがしりとリリナの肩に手を置いたヴィルは、国家級魔道士の余裕も捨て置き、冷や汗をだらだら流していた。


「いやわかってたさ……リリナがなんか知らねぇが物理が鬼ほど強いのはわかってた……! けど……! ちょっと成長しすぎじゃないか……!? 魔道ゴーレムを物理でぶっ飛ばすとか、この俺ですら初めて見たんだが……!?」


「前って私が十歳にもなってないときじゃないですか。年相応に筋力があがっただけです」


「年相応とは……!?」


 言いながら、ヴィルは頭を抱えてうずくまった。


「やめてくれ……! 俺リリナみたいに強くなりたくて頑張ったのに……! さらに強くなられたら俺はどうしたら……!?」


「いや……そんなの知りませ――」


 言いかけて、は、と周囲を見回した。


 つい数時間前までは晴れやかな卒業式が執り行われていた学校は……今や所々焼け焦げて不毛の大地と化し、卒業生たちは顔面を蒼白にして黙り込み、もはや戦場の跡地かのようにすっかり静まりかえり暗く沈んだ空気が立ちこめるのだった。


(や……やりすぎたかな……)


 さすがに少しだけリリナは反省した。妙な噂がたって今後の人生に支障を来してしまわないか、それだけが気がかりである。


「……じゃ、じゃあ私、首都に行く準備があるので、そろそろ失礼しますね」


 おずおずと気持ち程度の挨拶をして、ようやく校門に足を向けて歩き出そうとしたとき、


「き、君!」


 血相を変えて声をかけてきたのは、ライハンだ。


「なんだ今のは……!? 何をどうやった!?」


 いっそ青ざめてすらいる顔でライハンはリリナに詰め寄った。


「魔道ゴーレムを物理で殴り倒すだと……!? どう考えても人間の出せる物理攻撃力ではないだろう!!」


「さあ、なんでしょうね」


 ふいっととぼけてそっぽをむくリリナに、ライハンはぎりっと奥歯を噛みしめた。


「答えろリリナ・ローズリット……! もしこれが本当に純粋な物理なら、この人間界のことわりを覆すほどの力になる……! 場合によっては魔道士協会にも報告を」


「別にやましいことはないので報告してくれても結構ですよ。信じてもらえないでしょうけど」


「……っ」


 ライハンは言葉をつまらせると、一転してぼそぼそとつぶやき始めた。


「いや……しかし、この力がなんであれ異常な攻撃力であることにはかわりない……もしこれにしかるべき装備と、魔法の後方支援を加えたら即戦力……! いや、〈竜の酒場ドラゴンリカー〉の魔道士すら凌駕するアタッカーになるかもしれない……!」


 ライハンの声は次第に薄汚い欲にまみれていき、さきほどまでありありと軽蔑の色をたたえていた瞳は、貪欲にぬらりと光ってリリナを見た。


「素晴らしい逸材だ……! リリナ・ローズリット……!」

「さっきと言ってること違いませんか……」

「リリナ・ローズリット。先ほどは失礼なことを言ってしまったが、もしよければウチのギルドに――」

「入らないです。あと私がここの卒業生だってことは口外しないので安心してください。それじゃ」

「ま、待ってくれ! 悪かった! 言い値で契約金を払う! よく考えろ、ウチのような大きなギルドに勧誘される機会なんて、ほかにないんだぞ!」


「はいストップ」


 言葉の最後には半ば逆ギレしてリリナに詰め寄ろうとしたライハンは、しかし肩をつかまれ足を止めた。低い声で止めたのはヴィルだった。


 ヴィルは全く笑っていない殺意の塊のような笑顔をつくって、低い声をひねりだした。


「ちょぉぉぉぉぉっと都合が良すぎるんじゃないですかねぇ~? さっき、何か言ってましたよねぇ? 自分ちの魔道士がリリナ落ちこぼれと同じ学校卒に思われたくないとかなんとかぁ」


「そ……っ! それは……等級無しの魔道士だと言うから……」


「肩書きだけでしか判断できないような奴に、リリナは渡せないんですがぁ?」


「こ、これは私とリリナ・ローズリットの話だ! ヴィル・グリフォールには関係な」


「――面の皮が厚い野郎だな」


 一転してぼそり、と低い声でつぶやいたヴィルの周囲で、にわかに空気がゆがんだ。


「この辺で終わっておけって言ってるのがわからねえのか……?」


 それまで抑えていたのであろう、すさまじい憤怒の光をぎらぎらと瞳にたたえ、ヴィルの右手から青い炎がゆらりと立ち上った。


「散々”俺の”リリナをつまらねえ理屈で侮辱しておいて……てめぇが今まだ五体満足でいることが、どれだけのなのかってことを……身をもって教えてやろうか……?」


「いや私はあなたのじゃないんですけど」


「百歩譲って学生共をぶち殺すのは勘弁してやる……だがてめぇは容赦しねえぞ……一等級魔道士……!」


 リリナの抗議など聞こえていないようで、ヴィルは怒り狂った獣のように歯をむき出し、額に青筋を立ててライハンを威嚇した。


「ヒ……ヒィィ……!」


 その圧倒的な怒気に気圧されたライハンは、声を詰まらせ、顔面を蒼白にさせながら後ずさり、最後にはつまづいて尻もちをついた。


 全身を震わせ生唾を飲み込みながら、ヴィルの右手でゆらめく青い炎を凝視して、かすれる声を絞り出す。


「だ……第三魔法……!」


 ヴィルの右手でゆらめく炎――魔界の最深層、”第三層”と呼ばれる場所で渦巻く【現象】である。


 霊獣炎獄の番犬ケルベロスとの契約者しか扱うことのできない特別な魔界の火。


 それは魔界の表層部たる第一層の【現象】を具現化させる一般的な魔法とは一線を画し、第一層の【現象】など容易く飲み込むと言われている、”第三魔法”。


 もちろんそんな炎をまともにくらえば、人間など灰も残らない。


「ま、待ってくれ! 俺が悪かったッ!!」


 声をひっくり返しながら、ライハンは一等級魔道士のプライドもかなぐり捨て、みっともなく命乞いした。


「命だけは……っ、頼む!! どうか慈悲を……」

「謝る相手が違うんじゃねぇのか? てめぇは土下座してリリナに謝……――ってリリナ!?」


 すっかり戦闘態勢だったりヴィルが、言葉半ばにして青火を消した。


 さっさと校門に向かっていくリリナの姿を視界の端にとらえたのだ。


 ヴィルはライハンのことなど一瞬で忘れて、慌てて後を追った。


「待て待て話まだ終わってないんだリリナ――」

「いやもう私ほんとに帰るんで、喧嘩するなら勝手にやっててください」

「それなら俺が送る。表に馬車をつけてあるから」

「結構です。っていうかそもそも!」


 ことの元凶であるヴィルに、リリナはついに指を突きつけた。


「あなたが突然現れて突然変なこと言い出すから! 変なことになったんだからね!」


 言葉の後半はもう半分涙ぐんでいた。この男の登場のせいで、立てていた首都に行く計画がつぶれようとしているのだ。


「このまま何事もなく卒業して、今頃旅立ってたはずだったのに……!」

「”変なこと”じゃない! 結婚のこと、俺は本気だからな!」

「だから――」

「ずっと待ってたって言っただろ。そうやすやすと逃がすつもりはないぞ……!」

「――!?」


 はた、とリリナは足を止めた。いや、止めさせられた。


(動けない!?)


 左足が地に縫い付けられてしまったかのように動かないのだ。


 は、と気づいて慌てて足下を見下ろすと、足元に小さな魔方陣が描かれており、リリナの左足は足首までずっぽりと地に埋まってしまっていたのである。


「地属性魔法……足縫いの術……!」


 音も無く発動していた魔法にリリナは戦慄し、ヴィルを見た。


(くそ、この男、魔法の発動タイミングが全く読めない……!)


 発動動作どころか、魔法の気配すら感じなかった。


 息をするように自然な動作のなかで、相手に気づかせずに魔法を発動させてみせる――それだけで彼が、単なる霊獣との契約魔道士としてだけでなく、相当に戦闘慣れしている手練れだとわかる。


 歯がみするリリナに近づくや、ヴィルは問答無用でひょいとリリナを抱え上げた。


「な!? ちょっと、おろし――」

「とりあえず、続きの話は馬車のなかでしよう――早く帰りたいんだろ?」

「……っ!」


 迷い無くヴィルをぶん殴ろうとした手をぴたりと止めて、リリナは押し黙った。


 確かにこの遅れを取り戻すには馬車で帰るのが一番だ。


「……わかった」


 むす、とつぶやいたリリナを満足そうに見やったヴィルの顔は、そのときばかりは最強の魔道士の風格というより、ただの青年のそれだった。

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