はつなつのゆき

夢美瑠瑠

はつなつのゆき

   

 その日もおれは得体のしれない焦燥感に悩まされていた。

 デイトレーダーとか名乗るのはあまりにもおこがましいが、おれは為替の売買でそれなりに儲けてもいる、素人投資家だった。 

 寝たきりの母がいるので仕事は辞めて、介護に専念している。ほとんど家から出れない。まあ囚人のような生活の、「自宅警備員」だった。

 (だが空き巣に入られたりもするので頼りないことおびただしい警備員なのだ。)

 せめても利殖をしようと為替をしているが、まあ境遇は「傘貼り浪人」のようにさえないのが実情であった。

 週末のトレードは一日中不調で、スイングせず、いたずらに砂時計をひっくり返してばかりいるような、「無意味」の音が味気なくジリジリと鼓膜を焼くだけのような時間が遣る瀬無く過ぎ去っていくのみだった。

 もう梅雨入りの初日で、蒸し暑い。蟻地獄だかアキレスの亀だか、そんな風なトレードの微分的な世界に疲れておれは趣味の小説を少し書いたり、「KーPOP」のアイドルの動画をエンドレスにして眺めたりしていたが、倦怠感は募るばかりだった。疲れてくると魔が差すというのか、存在論的な疑問というのか、「時間というのは何だろうか?」というような疑問も湧いてきた。今、ドル円の相場は1弗=107円12銭である。買いを入れているので5分後に15銭になると300円儲かる。しかしおれにとってそれは本当に自分にとって無駄のない、有効な時間の使い方だったろうか?取り返しがつかない、かけがえのない人生の時間…おれはそれを分刻みのトレードなどという無意味なギャンブルで無駄に費消しているのでは?   

 「煮詰まっているんだな」そう呟いて、今度はテレビを眺めてみたが、お笑い芸人が不倫のセックスをして芸能活動を自粛するという愚にもつかないニュースを延々とやっているだけだった。「おれだって死ぬほど金があって女にもてれば遊びたいよなあ。バレてもいいからw」と、ツイッターに呟いてみたが、「いいね!」が一つついただけだった…業を煮やしたおれは風呂に入ったり、外を散歩したりしてみたが、どうしようもないやりきれなさから逃れられなかった…

「煮詰まる」というのは、つまり精神のエントロピーというやつが増大している状態だと思う。エントロピーというのは要するにエネルギーの反対概念で、エネルギーがだんだん低下していくのに比例して増えていくわけだ。端的に言うと「疲労がたまっている」状態かもしれない。こういう時には気分の転換が必要だ。自分という生体システムがエントロピーを減らしていく方向に流れを変えればよい。流石にそれくらいはおれにもわかっている。が、気分転換にもいろいろある。何を採用すべきか?…考えた挙句に最も安易な?方法を取ることにした。身銭を切って、痛いお金ではあるが、綺麗な若い女性にお座敷を設けてもらうのである。もっとありていに言うと「風俗」で遊ぶ、というやつだ。経験的に言うと、非常に安易ではあるが、これで気分が転換できなかったことはまずない。… …

 「RRRRR…RRRRR…」

 「マリアですが?ああいつもおおきに。また違う娘でっか?」

… …

 退屈な記述になるので詳細は端折るものの、そういうわけで勢いづけにビールをあおりつつ「また違う娘」の到着を待つことになったのだが、待っているうちに疲れが出たのか、おれは自分の汚部屋で布団を被って寝てしまっていた。小半時して…「!」。人の気配がしてはっと目を覚ますと、なんと、汚部屋の入口に体格のいい若い女の子が目を丸くしてたたずんでいる!「え、えーとあの…」「あの…デリヘルです」わかってます。だけど失敗したんだよなあ。おれは女性の到来に備えて、二階にきれいに片づけた部屋とベッドを用意して、照明もムーディーに整えていたのだ。ここでサングラスもかけていない素顔を見られるのはいかにもまずい。「びっくりした?ごめんね。ここじゃないんです。ハハ。ハ…」

 で、まあちょっとごたついたのだが、おれたちは二階の寝室にしけこむ手はずに落ち着いた。

 源氏名は確か「まお」ちゃんだったと思う。

 まおちゃんは落ち着くとなんかうれしそうな笑顔で体を寄せてきて、にこにこ笑う。

 (後で聞くとその時に人恋しくて寂しくて「病んでいた」そうだ)

 これはいい子だな、とおれもやにさがった。

 体はプリンプリン、という感じによく太っていて肉がみっしりしている。

 マザコンのおれにはおあつらえ向きの女性だ…


「この辺ってえ、民家とかあるの?」

 人跡未踏の奥地にでも連れてこられたみたいに思っているらしい。あたりは真っ暗だからしょうがない。母はお嫁に来るときに「運転手さん道間違えたんちゃうか」と心配になったらしい。わが茅屋のあるのはそれくらい奥まった田舎なのである。もちろん茅葺きではない。

「あるある。200人くらい住んでるよ。あんまり田舎に結構にぎやかな集落あるから、ここって平家の隠れ里じゃったんじゃないかなんて言われてるんだよ」

「ふうん」

「いくつ?」

「ニジューロクウ。」

「おしゃれな首飾り…あっ服の飾りか」

「うん…プラチナア」

 他愛もない会話で何となく親近感が深まる感じ…こういうのを心理学では「ラポールをとる」というなあ、とかお決まりの想念が浮かぶ。

… …


 だんだんに接近していってまずアメリカンなキスをする。まじかで見ると顔が丸くてつるつるでかわいらしい子である。

「顔かわいいね」とかコミュ障なりに頑張っていろいろしゃべったり、ケータイの自作の小説を読んでもらったりする。

 まおちゃんは「私も小説も読むのよ。太宰治の「女生徒」とか好きよ」と言う。へええと思って、「「女生徒」というのはこれこれこれこういう背景の小説で、僕なんかは好きだからほとんど内容覚えている」とか説明する。「ふうん」と、ちょっと見直した感じ。ずっといいムードなので「モテない君」としてはうれしい。


 客好きの猫と遊んだり、いろいろ駄弁っているうちにまおちゃんは時間が迫っているのを気にし始めて、「それじゃお風呂行こか」ということになる。

 バスタブは今日買ってきた「バスタブクレンジング」でピカピカに磨いておいた。

 ときめく「脱衣の儀」の時間が訪れた。

 …服を脱ぐと、まおちゃんはかなり脂肪が乗って、ぽっちゃりしている。肌はきれいだがアレルギーぽいらしい。

 お腹が大きいので「おめでたですか」と冗談を言うと「もおお」とぶちにくる。でも「デブ専なんでうれしいよ」とフォローすると「アハハ。ほおんと?」と笑う。

 本名は「ゆき」ちゃんで、かに座らしい。かに座とは相性がいいが、この前に出会った別の「ゆき」ちゃんしか今までかに座の人とは遭遇していなかった。偶然だなあ…おまけに7月3日…これは「誕生日大全」という本ではおれとベストパートナーという星回りである。おれはすっかりうれしくなってペラペラしゃべると、「示唆に富んでる」とかちょっと面白いことを言う。おれは「19の時に付き合ってた人に似ている」らしい。その男も優柔不断で軟弱なタイプだったのかもしれない。

… …


 無事にベッドインに至った。

「バイブはオプションだから」というので、5000円払って「これは秘密兵器みたいなすごいバイブでねー」と説明して、いつも使っている「エロチックラバー」というシリコン製のバイブを使ってあげる。ウヒーこれで喜ばない女性はまずいないのです。

「アアン…アッ、イイ!ウウン…イヤッ!」とかまおちゃんも豊満な女体をのたうたせて悶えて喘ぐ。こういうところはR18なのだが、淫行ではないのでご容赦いただく。「訪問マッサージはいかがっすか。お嬢さん」とか言うと、「アアン…すごおくいい…こっちが接待されてるね」と笑う。

 掌の中の「はつなつのゆき」は、雪の運命らしく、すぐトロトロにとろけてしまったな…おれはそう考えてニマニマしていた。


… …


 思う存分にHプレイを堪能して、メアドも交換して、後日の再会を固く約して、二人は行きずりの情事の余韻に浸りつつ手を振って別れた。

 いや、もっと感じたかったけど中途半端だったのかな?ちょっと疲れた顔していたな?

 とかいろいろ気をもんだりもしたが、気が付くとおれのすっかり気分はリフレッシュされて、昼間の倦怠感はどこかに吹き飛んでいた。

 「あんた、遊びなはれ。酒も飲みなはれ」という春団治の内儀さんのセリフが思い浮かんでちょっと笑った。

 「くさぐさの物思いせしよりひとつきの濁れる酒を飲みしかめやも」という古歌も思い出した。

 いわゆる「カタルシス」とか、そういう効能を求めるなら、女性に触れるのに勝ることはない…

 「飲む、打つ、買う」の三拍子揃えた社会不適応者のスケベなおっさん坊や(どういうんやろ)はまたそういう思いを強くするのであった。



<了>


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