第56話 正人と茜 ③

違う場所に移動してきた事を目を閉じる正人は、五感で感じた。


空気が澄んでいる、肌寒く感じるし、入ってはいけない世界に居る感じがする。


「目を開けて良いよ、着いたわ」


「ここが・・・あの世か?」、正人の目に映るのは、靄に包まれた淡い水彩画の中の景色。


さっきまでハッキリとしていた色彩が全てぼんやりとしている。

 

呆然とする正人の手を茜は引っ張った。


「どうして此処に来たかったのよ、これからどうするの?」


「そうだ、俺は、宏さんに会いたくて此処に来たんだ」


「やっぱり。それじゃあ、四条大橋の方に行きましょう。死んだ人が、往来する橋だと聞いているから」

 

二人は鴨川に沿って川の上流へ移動する。


時間が止まった見慣れた街並み、すれ違う人は誰も居ないし、車も走っていない。

 

白い人影が幾多も往来する四条大橋が見えて来ると、突然、正人は誰かに肩を掴まれた。


「ちっ、誰だ!」と、正人は振り返った。

 

背中に光の輪を持ち、白く薄い衣を幾重にも重ね着する神々しい女性の姿が、正人の目に映った。


「此処は、お前達が来て良い場所ではありません。現世に帰りなさい」


「嫌だ、俺は宏さんに会うんだ。は、離せよ」


「嫌と言うのでしたら、私がお送りしましょうか」

 

正人の前に現れたのは、黄泉を管理すると言われる菊理媛命くくりひめのみことだった。


彼女は、強引に正人を引き寄せると、背中越しで強く彼を抱きしめた。


茜の方を見ると、目で傍に来るよう合図する。


「さあ、二人とも帰りましょう」


「絶対に嫌だー」と、叫んだ正人は力づくで菊理媛命の懐から出ようとした。

 

幾らもがいても体を自由に動かせない。


宏に会う事も出来ず、このまま現世に帰されるのは御免だと思うと、怒りが込み上げてくる。


「どうして、どうして俺の邪魔をするんだ。何も悪い事はしていないだろ!」

 

正人の怒りは、頂点に達した。


彼の額から角が二本生えて来ると同時に、口からは牙が姿を現す。


全身が膨張すると、筋肉質な身体に変貌してしまった。


「お、お前は、鬼の子か? 人の血と鬼の血が混ざりあっているのか?」

 

強引に菊理媛命の懐から抜け出した正人は、茜の手を取りその場から逃げた。

 

鬼の姿に変貌した正人を見た茜は、言葉を失い恐怖で血の気が引く。


「ふぅ、四条大橋に着いたな。どうやって宏さんを探せば良いんだ」

 

茜はうつむいて、ガタガタと震えていた。


「どうしたんだ、茜?」


「ま、正人をどこにやったの? あ、あなたは、誰なのよ?」


「何を言っているんだよ。俺は、正人だけど」


「ち、違う! あなたは、お、鬼でしょ」

 

恐怖で引きつった顔と涙目の茜は、正人を指さした。

 

正人は、訳が分からない様子で、両手で自分の顔を触る。


違和感に彼は、恐る恐る自分の手や体を見つめた。


「どうして? 角が生えている。この手や腕、体、俺はどうなってしまったんだ」

 

初めて鬼神化した正人は、自分の姿に狼狽うろたえる。


自分に何が起こったのか理解出来なかった。

 

正人は両手で頭を抱えうずくまり、どうして良いのか分からなくなった。

 

ふわと、そよ風が吹いたのを感じると、正人は誰かが自分の頭の上に手を置くのに気が付いた。


顔を上げると、笑顔の宏が立っていた。


「どうしてこんな所に居るのだ、正人」


「宏さん、やっと会えた。でも、どうして俺だと分かったの」


「鬼神化してしまったのか。どんな姿になっても、親なら自分の子供は分かるよ」


「俺、こんな姿になってしまった。どうしよう」


「怒りの力で鬼神化すると、源一郎君から聞いていた。怒りを抑え元に戻りたいと願えば、いつもの姿に戻れるはずだよ」

 

幼少の正人を源一郎の所に初めて連れて行った日に、宏は彼から鬼神についての説明や注意点を聞かされていた。

 

成長すれば、何時か正人は覚醒するだろう。


そう考えた宏は、怒りに支配されない強い感情を正人には育んで欲しいと願い育てて来た。

 

「叔父さん、私、怖くて正人に酷い事を言ってしまった」


「茜ちゃん、正人と一緒に来ていたのか。変貌した正人の姿に、ビックリしたんだね。鬼神化しても正人の心は、何も変わらないから大丈夫だよ。私の息子は優しい心の持ち主だから、何かあったら助けてあげて欲しい」

 

茜は、「はい」とだけ返事した。


「宏さん、いや、お父さん。俺、伝えたいことがある」


「何だ? 言って見なさい」


「あ、有り難う。今まで、本当の息子の様に育ててくれて、本当に有り難う」


「馬鹿だな。お前は、私にとって本当の息子だよ。お前と巡り合えて本当に幸せだったよ。有り難う、元気でな」

 

時間が来たのか、宏の姿は靄に包まれ白い影となり橋を渡って行った。

 

良かった、ちゃんと伝える事が出来たと宏を見送る正人は、晴れやかな気持ちになった。


それと同時に今まで抑えていた感情が溢れ出し、両膝を地面に付けた正人は、茜が傍に居る事も忘れ大声で泣きだした。


「正人、元に戻ったよ」

 

茜の言葉を聞いた正人は、両手で顔を触った、「本当だ、角が無くなった」


「もう、用は済みましたか?」と、菊理媛命が二人の前に現れた。

 

どうやら、事情を察した彼女は、正人と宏を引き合わせてくれていた様だった。


「はい、お騒がせしました。ごめんなさい」と、正人は頭を下げた。


 

何か最後に嫌なことを思い出したのか、茜は両手を握りしめ小刻みに震えた。


「そうよ、思い出した。家に戻ったら、何故か術を使った事がお父さんにバレて、もの凄い権幕で怒られたの。あの時、正人は大丈夫だと言っていたのに、お父さんの顔を見たら私を残して一目散に帰ってしまったのよ」

 

忘れていた続きを思い出した茜は、当時の怒りが蘇ってくる。


「それは、災難だったわね。話からすると茜は、正人に付き合っただけで何も悪くないのにね」


「確かに、中学生だったとは言え、逃げるのは駄目ですよね」


「はあ、確かに私の父は、怒ると恐ろしいからね。正人が逃げたのも分かるけど」


「それじゃあ。当時の償いとして、茜が退院したら正人の奢りで、快気祝いをしましょうよ。茜は、何が食べたい?」


「そうよね、しっかり食べてやりましょう。焼き肉にしようか」


「賛成!!」と、隼人と桜は声を揃えた。

 

お見舞いに来た隼人と桜に思い出話をした茜は、殺人鬼から受けた心の傷が和らぐように感じた。

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