夜尿症ドキュメンタリー
はおらーん
前編
「それでは今日の特集にまいります」
テレビの中の女子アナが促すと、スタジオから映像に切り替わった。MSBの医療関連のドキュメンタリー番組だ。多くの人が悩む国民病や、患者数の少ない難病など、取り扱うものは様々だ。映像のオープニングとともにナレーターの声が流れる。
「今日の特集は、夜尿症です。聞きなれない方も多いかもしれませんが、おねしょと言い換えればみなさんもよくご存じでしょう」
背景ではベランダに干されたおねしょ布団、パジャマ姿で泣いている幼児などが次々と映し出される。
「おねしょ自体は幼少期にみなさんご経験されていることでしょう。大半の子供は2歳までは毎晩おねしょをし、年齢を重ねるごとに頻度が減っていきます。医療の世界では5歳以上で月に一回以上おねしょする状態を夜尿症と定義しています。今日は大きくなっても夜尿症に悩む患者さんへの現状やインタビュー、専門の医師からのアドバイスなどをお送りいたします」
カメラがスタジオに戻ると、先ほどのアナウンサーの横に白衣の男性が座っている。長年夜尿症の臨床を行っている権威らしい。夜尿症の身体的原因や、医療の観点からの解決方法などを順番に説明した。
「夜尿症は、命に係わる病気じゃないんですね。しかし、子供の自尊心に大きな影響を与えます。おねしょしてしまう自分はダメなんだとか、毎朝お母さんを困らせる子なんだとか。自尊心の小ささは精神的な成長の大きな阻害になります。病院で解決できることもあるので、心配な方はまず医療機関に相談するという選択肢も考えていただきたいですね」
医師の言葉を受け、アナウンサーが続ける。
「先生ありがとうございます。最近は夜尿症患者の年齢が上がっていると聞きましたが」
「そうですね、本来10歳以降を境目にグッと患者数が減るのですが、最近では高学年以降でも夜尿症の通院が多いと感じます。もともと年齢が上がると自分で処理でき、周りには隠そうとすることもあって、実際の有病率はもっと高いとは思います。最近は病院で治療できるという風潮もできつつあるのだと思いますね」
医師とアナウンサーのやりとりが5分ほど続き、番組は次の流れに入る。再度映像に切り替わり、今度はレポーターらしき人がマイクを握っていた。隣にはリビングに座る親子が映しだされる。二人とも顔にはモザイクがかかっていた。
「今日は実際に夜尿症患者さんのご自宅へ伺っています。中学2年生の詩織さんと、お母様です」
レポーターの紹介を受けて二人は軽く会釈した。画面下のテロップには詩織(仮名)と紹介が書かれていた。軽く自己紹介が済むと、レポーターはお母さんに夜尿症の経緯を聞き始めた。
「詩織さんはいつから夜尿症に苦しんでらっしゃるですか?」
「えっと、元々はおむつ外れも早くて3歳の頃にはおむつも上がってしまったんですね。ただおねしょはなかなか治らなくて、たしか6歳くらいのころまでは夜のおむつは卒業できなかったと思います」
「そうなんですね。では6歳の時に一度おむつは卒業できたんですか?」
「そうですね、たまにおねしょすることはあったんですけど、週に1回あるかないかくらいだったので、おねしょシーツだけで対策するようになりましたね」
レポーターに詩織と呼ばれた女の子は時折下を向きながら真剣に話す二人の方を見ていた。まだ一言も発していないが、長髪の聡明そうな少女だった。
「ではそのあとまた夜尿症が再発されたということですか?」
「そうですね、小学校の低学年のときはほとんど夜尿が出た記憶はないですね」
お母さんの言葉が、おねしょから夜尿に変わった。おねしょと夜尿の医学的な違いも理解しているのか、テレビ局からそう言うように指導されたのかはわからない。
「4年生の時にちょっと友達関係でトラブルがあって… あまり気の強い方ではないので、精神的にしんどかったんだと思います。そのころから夜尿が始まって、段々と症状が悪化してきた感じです。最初は私も驚きました」
モザイク越しの少女がアップで映る。その頃のことを思い出していたのか、少しうつむいて悲しそうな表情をしているようだった。そのあとも宿泊学習での苦労や、詩織のおばあちゃんにあたる実親からのプレッシャーなど、親目線での夜尿症への大変さを語った。
「では普段の夜尿症への対策というのは、どういったことをされているんですか?」
「とにかく寝具を汚さないのが一番ですので、普段は紙おむつを履いているのと、おねしょシーツですね」
お母さんがそう言い終えると、階段を上がっていくお母さんと詩織を追いかけるカメラアングルに変わった。レポーターを含む三3人は詩織の部屋にやってきた。詩織とレポーターが小さなテーブルを挟んで座る中、お母さんはおもむろにクローゼットを開けた。段ボール二つと使いさしのビニールのパッケージをカメラの前に持ってきた。パッケージにはでかでかとおむつと書かれ、おむつのイメージイラストもついている。
「普段使っているのがコレですね。尿量が多いので吸収量が多いのを選ぶようにしてますが、たまに漏れることもあります」
「中学生になると大人用のおむつになるのですね。サイズ選びなどは大変じゃなかったですか?」
「今は大人用のSSサイズでぴったりですけど、子供用から移行するかどうかの時は大変でした。子供用は一番大きくても35㌔なので、高学年以降だと結構きつかったと思います」
お母さんは古い段ボールも開けながら、過去に使っていた夜尿グッズも紹介した。夜尿に反応してブザーが鳴るものや、シーツを汚さないためのシート、見た目は布のパンツのようなおねしょパンツなど、詩織が過去試してきたものや、サイズアウトした紙おむつのパッケージなどがぎっしりと詰まっていた。
お母さんへのインタビューに一区切りがついたところで、日が落ちた玄関前に立つレポーターの映像に変わった。
「ここからは、夜尿症患者の現状を見ていただくために、お母様と詩織さんにご協力いただいて普段の様子を撮影させていただきます。プライバシーに配慮するため、一部編集での映像になることをご了承ください」
場面は家族の晩ごはんのシーンだ。父と小学生の妹を入れた4人家族はテレビを見ながら食卓を囲んでいた。お母さんが小声で「一杯だけね」と伝えている。映像にはナレーターの言葉が続く。
「詩織さんは夜18時以降の水分制限を課されています。小学生の頃は、まだ飲みたいとせがむ詩織さんに制限させるのが苦しかったとお母さんは話します。水分の摂取を控えるため、晩ごはんでは辛いものやしょっぱいものはできるだけ避けるようにしているそうです」
お風呂にも入りパジャマに着替えた詩織がリビングにやってくる。お母さんから少量の水が入ったコップと錠剤を受け取った。薬の袋にはミニリンメトルと書かれている。夜尿症の治療薬だ。寝る前に詩織が摂取できる水分はこれが最後になる。お母さんは「もう履いておきなさい」とだけ言って台所に戻っていた。時計の針は22時半を指している。
詩織の自室にもカメラが設置してある。勉強机、本棚、ベッドとシンプルな部屋だった。部屋に戻った詩織はクローゼットを開けて、すぐ手前に置いてあるビニールのパッケージから紙おむつを取り出した。半分ほど減っているパッケージの横には、新しいパッケージが2個積んであった。パジャマのズボンを脱ぐと、サッと紙おむつに足を通し、パジャマのズボンを履いた。プライバシー保護のため、もちろん大事なところは見えないように配慮されている。ナレーターが続ける。
「再び夜尿が始まった4年生から、詩織さんは毎晩欠かさず紙おむつを履いてベッドに入ります。詩織さん自身は、夜尿が治らないことよりも、おむつを履いて寝ることのほうが恥ずかしいと話します。月に数回お母さんがドラッグストアにおむつを買いに行く日は、誰かに見られないことを祈って家で待つそうです」
ズボンの腰回りを直しながら、詩織はクローゼットからタオルケットのようなシートを取り出して、ベッドの上に敷いた。
「尿量の多い日はおむつから漏れることもあるそうで、念のためおねしょシーツも敷きます。お母さんは詩織さんの自立を促すため、寝具やパジャマが汚れた場合は自分で処理するよう教えています」
詩織は部屋の明かりを消し、ベッドに入った。映像は一度暗転し、朝のシーンに移る。伸びをしながら起き上がった詩織は、いの一番にパジャマのズボンをめくって確認をした。今日はしてないかも!という期待は毎日裏切られ続けている。立ち上がった詩織のズボンは、濡れたおむつが垂れ下がったせいで、服の上からでもおねしょをしたことがわかる状態だった。再びナレーターが続く。
「今朝もダメだったようです。5年生になる詩織さんの妹は早い時期におむつを卒業したようで、妹に失敗を見られたくないので早起きして先に着替えるそうです」
お母さんはすでにお弁当と朝ごはんの準備をしているようで、脱衣所に向かう詩織に向かって「どうだった?」と聞く。詩織は無言で脱衣所に向かった。垂れ下がった紙おむつのサイドを破り、器用に丸めてテープで閉じた。洗濯機の横に置いてある電子ハカリに載せてから専用のごみ箱におむつを捨ててシャワーを浴びた。
「朝一番に夜尿の量を計るのも詩織さんの日課です。月に2回ある夜尿外来への通院時にレポートを出します。夜尿の有無、おむつの重さなどを記入した用紙を提出するのです」
最後に詩織がリビングでレポートを記入しているところで密着映像は終わった。夜尿症に悩んでいること以外は、本当にただの中学生のようだった。
再び3人がリビングにいる映像に切り替わる。番組の最後は実際に夜尿に悩む本人へのインタビューとなる。
「では、最後に詩織さんにお話を伺いたいと思います。詩織さん、率直に話してくれていいからね」
レポーターの口調も中学生に対するものへと変わった。落ち着いた様子で、詩織は「はい、お願いします」と答えた。
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