第7話 ティンダロス その三



 殺される。彼は本気だ。

 ガブリエルの瞳のなかにあるたしかな殺意を感じて、青蘭はあとずさった。

 マイノグーラからは逃れたものの、一難去ってまた一難だ。危地であることにはなんら変わりない。


(パラサイティクス。邪神のスパイ……僕が、クトゥルフの……?)


 そんなことあるわけないと思うが、天使のころの記憶はもどかしいほど希薄だ。違うと断言できるほどの確信はなかった。


「……僕を殺してもムダだよ。魂は別の人間になって蘇る」

「だが、その死体から快楽の玉を回収することはできる。それに、私にはマイノグーラを退魔するほどの力はない。おまえを殺してしまえば、やつの愚かしい野望に悪用されることはなくなる。我々の宇宙を守ることができるのだ」

「…………」


 こうなれば、アンドロマリウスに頼るしかない。

 たとえ、そのために自分が自分でいられる時間が短くなっても、今だけは生きていたい。今はまだ。


 青蘭はなんとなく感じていた。

 つがいになると約束した。あの天使との誓いが果たされるのは、今生しかないと。今のこの八重咲青蘭という生でなければ、二度とそいとげられない。

 そんな気がする。


 だから、なんとしても命をつないで、今度こそ一つになる。

 二つの心臓をかさねて、たった一つの卵になる。

 それが、青蘭の願い。


「アンドロマリウス。命令だ。ガブリエルを倒せ」

「いいだろう。どこをさしだすんだ?」

「どこでも。おまえの好きなところを」

「いい子だ。青蘭」


 アンドロマリウスの魔力が高まる。

 この力が放出されれば、アークエンジェルにすぎないガブリエルは一瞬で霧散する。


 ガブリエルの顔色は変わらない。狙いすまして矢を放ってくる。

 だが、やはりどこか平静ではなかったのだろう。風を切って飛ぶ矢はわずかにそれて、青蘭の耳元を通りすぎた。


 青蘭はアンドロマリウスを解き放つために、取引に身をゆだねようとした。取引を完全に青蘭が受け入れたとき、アンドロマリウスの意識と一体になる。


 時間にすれば、ほんの一瞬だ。

 だが、今まさに青蘭がアンドロマリウスを受け入れようとしたとき、ふいに背後から呼びとめられた。


「青蘭? リエルさま? 二人とも何をしているんだ?」


 フレデリック神父だ。

 なぜ、ここに彼がいるのだろうか?

 ガブリエルがつれてきたのだろうかと、大天使をうかがう。


 ガブリエルは翼をたたみ、人の姿に化身した。神父はガブリエルの真の姿を見ても、とくに何も言わない。リーダーが天使の化身だと知っていたということか。


 青蘭はアンドロマリウスとの取引を実行させるべきか迷った。

 ガブリエルが自分をどう思っているのかはよくわかった。今後も命を狙ってくる可能性がある。今ここでやっておくべきだろうか?

 だが、神父がジャマするかもしれない。

 それに、ガブリエルは人に化身した。とりあえず今のところ、青蘭を殺害することをあきらめたということだ。

 青蘭のほうも、リミットの近いアンドロマリウスの力をむやみに使いたくない。長考のすえ、ここはようすを見ておこうと思いなおす。


「別に。それより、なぜ神父がいるの?」


 チッと、青蘭のなかでアンドロマリウスが舌打ちをついた。悔しそうな感情がつかのま浮かび、胸の奥底に沈んでいく。アンドロマリウスは眠りについた。次に青蘭が呼ぶまでは出てこない。


 フレデリック神父が答えた。


「さっき、村を覆う封印がとけた。龍郎の気配を追って村はずれの洞窟に入ると、そこにゲートがあったんだ。龍郎はすでに、ここに来ているはずだ」

「龍郎さんが?」

「ああ。一人なのか、誰かといっしょなのかどうかまでは感知できないが」

「なんで、龍郎さんの居場所がわかるの? エクソシストって、そこまでできるもの?」


 神父は黙りこんだ。

 ガブリエルの顔色を見ている。

 それきり何も言わないので、リーダーから無言の圧力をかけられたのだろう。


 青蘭は彼らに背をむけて勝手に歩きだした。龍郎を探すためだ。


 龍郎に会いたい。

 かたときも離れていたくない。

 龍郎といるときだけ心の底から安心できる。

 龍郎がいるときだけ、世界は薔薇色に輝く。

 龍郎といるときだけ、ほんとの自分でいられる。

 龍郎といるときだけ……。


「龍郎さん。龍郎さん。どこ?」


 たしかに、お腹の底がぼんやりと熱い。龍郎の苦痛の玉がそばにあるせいだ。その感覚が強くなるほうへ、青蘭は歩いていった。


 それにしても変な世界だ。

 平面的で硬質なのに、どこかから腐臭がただよってくる。曲線がただの一つも見あたらない。


 どうやら建造物のなからしい。

 柱のようなものや、換気口なのか通路なのか理解不能だが、天井や床に多角形の穴がボコボコあいている。その穴は不定期に開閉していて、ときどき床にとうとつに現れる。ほとんど落とし穴のトラップだ。


「危ない! 青蘭。一人で歩きまわるな」


 足元をすくわれそうになる青蘭の腕を、神父がつかんだ。


 青蘭は心臓をわしづかみにされるような気分を味わった。神父の手のひらから青蘭の腕へ、脈打つような力が流れこんでくる。


 この感覚。

 これを自分に与えられるのは龍郎だけだと思っていたのに。


 青蘭は神父の端正な顔を凝視した。

 神父はわざと青蘭の腕をつかんだのだ。青蘭に伝えるために。

 神父が左手にを持っていることを。


「あんた……」


 神父は「しッ」と青蘭のつぶやきをさえぎる。

 きっと、ガブリエルに禁じられたのは、このことだ。彼が苦痛の玉の持ちぬしだと、青蘭には知られたくないのだろう。


(そうか。だから、龍郎さんの行動を追えたんだ。苦痛の玉の大部分を宿している龍郎さんと、そのカケラを持つ神父。僕と龍郎さんが二つの玉を通して共鳴するように、神父も龍郎さんと……)


 いや、龍郎とだけではない。

 青蘭とも共鳴する。

 今、こうして、つないだ手から、鼓動が伝わる。

 どこか懐かしいと感じるのは、玉の共鳴のせいだろうか……?

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