第2話 地獄の犬 その四
にぶく虹色にきらめきながら、スライムのように伸縮する石。
伸びるたびにあきらかに、ひとまわり、ふたまわりと大きくなっている。
それはみるみる子犬ほどの大きさになり、丸い形からニュッと何かがとびだしてきた。五本に割れた指。手だ。水生生物のように水かきのある手が、虚空をつかみながら伸びてくる。次には足。まるで、カエルに変態する前のオタマジャクシだ。
だが、その手足は一本ずつしか生えてこない。人間のように一対ではなかった。いや、カエルでさえひと組ずつなのに。
丸かった中心も細長く伸び、くびれがいくつかできる。頭、胴体、腰になった。頭部からはふわふわした髪が生えてきた。
色はまだ黒い石のときのままだが、形はすでにできあがっている。
女だ。
体が真っ二つに裂けた、あの女。
女が返せと言ったのは、コレだったのだ。
なぜなら、それは彼女の残りの半分だから。
女を一体にさせてはいけない。
ナシルディンが友人に夢のなかで忠告したのは、そのことだ。彼女に半身を返してはいけないと。
龍郎はあせった。
手にした剣をふりあげる。完全に人の形になる前に、刃が通るものなら退魔してしまおうと考えた。
が、阻止するように魔犬どもがいっせいにとびかかる。残りは三匹だ。石の女を守るためだろう。自分が切られることはおかまいなしで、あえて龍郎の刃の前にとびだしてくる。
一匹が切っ先にかみついた。そのまま直進してくるので、犬は串刺しだ。青い炎を放ち、メラメラと燃える。
そのすきに半分だけの女は非人間的な角度で直立した。倒れていた棒が、重力に反して自力で立ったかのような動きだ。
庭を見て、龍郎はあせった。
女の半身が立っている。
そっちの半分は断面以外、肌の色も柔らかさも人間のそれだ。
黒い石の半身を呼ぶように、こちらに断面を見せた。
すると室内の黒い女が、そのまま横にすべっていく。磁石と磁石がひきあうように、スルスルと。
「青蘭! 窓を閉めるんだ」
「わかった」
龍郎は刃にかみつき燃える犬の口中に剣を柄元までつっこんだ。いっきに燃えあがり、犬が消える。剣の自由をとりもどした。
残るは二匹。足に食いつこうとする一匹は水平にスライス。頭上にとびはね、降下してくる一匹の顔面に剣を叩きつける。ギャンと鳴いて、黒犬は床に落ちた。すかさず、心臓の位置をひと突きする。
龍郎が黒犬と戦っているあいだ、青蘭が窓辺に走りよる。テラスに続くガラス扉をしめたのだろう。ガチャリと掛金をかける音が響く。
龍郎がふりかえると、黒い石の女がガラス扉にぶちあたり、ガタガタと窓をゆらしていた。
青蘭はロザリオを女の頭部につきさそうとした。が、カチンと硬質な音がするだけだ。
「ダメだ。ロザリオじゃ歯が立たないよ。龍郎さん。コイツ、魔王か邪神クラスのやつだ」
龍郎は急いでかけよった。
窓ガラスにひっつく、人間のような石のような物体に両手をかけて、床にひきたおす。龍郎が右手でふれると、石の女の口から苦痛のうめきがもれた。苦痛の玉での攻撃なら効いている。
龍郎は意識を集中し、もう一度、退魔の剣を出現させた。
「龍郎さん!」
青蘭が龍郎の背中に手をかけると、手のうちの剣が燃えるように熱くなった。苦痛の玉、快楽の玉。二つの力が共鳴する。
ジタバタする女の体を両ひざを使って押さえこみ、剣をふりおろす。
一瞬ののちには、石の女はこの世から滅却しているはずだった。
勢いをつけ、女の胸のどまんなかに刃をつきたてる。
が——
どういうわけだろうか?
女の体が急に消えた。
いや、まるで床に描かれた絵のように平面的になり、スルスルと龍郎の足の下を這っていったのだ。
「な、なんだ?」
「二次元だ。この女、次元を超越できるのかもしれない。とっさに二次元の世界に逃げたんだよ」
すうっと床の表面を漂うように移動し、女はガラス扉のすきまからテラスに出た。
龍郎が追いかけたときには、とっくにテラスに立つもう半分の女の足元にまで逃げている。そこでまた急に厚みを持った。
半分ずつの女がピタリとあわさる。断面と断面が癒着して、一人の女になった。半身はまだ黒いままだが、女は狂気的な笑みを口辺につりあげる。
「キターーーーッ! あたしの門がひらく! 猟犬が目をさます。おまえらなんか、まとめて頭からガジガジかじってやるからな。おぼえとけよ。この低能エクソシストがァーーッ!」
ゲラゲラ笑いながら、女は人が思いつくかぎりの罵詈雑言をあびせて去っていった。空中を走っていく。
あとには強烈な腐臭と邪気がただよっていた。
「……龍郎さん。なんか、ものすごく個性的な女じゃなかった?」
「うん。下品なボキャブラリーに富んでたね。これまで見た悪魔のなかで一番、下劣かもな」
神秘的な精霊のたぐいでないことだけは明白だ。
悪魔をとり逃がしてしまった。
決して渡すなと忠告されていた半身も奪われた。
このせいで、どんな困難が起こるのだろうか?
了
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