第4話

茜は持っていたポーチを放り投げて、凛香に駆け寄った。

目を開いたまま意識だけ失うとはあり得るだろうか?

いくら茜が彼女の名を叫んでも、ピクリとも反応しない。

体を大きく揺するのは躊躇われた。

心臓発作や脳疾患であった場合は、症状の悪化につながるからだ。

とにかく確認すべきことを確認しなければと思って彼女のそばにひざまづいた。

顔を覗き込むと蒼白。

血の気のない顔。

目はどこかを見つめているまま。

心臓は動いている?呼吸は?

右手を彼女の首筋に当てると規則的に脈打ってるのが伝わった。

そのまま口元に手を持っていくと呼気が感じられた。

そこには問題がない。

では、なんだ?

てんかんの発作?

違う。そんな症状を持っているとは伊達からは聞いたことがない。

てんかんならば、体の痙攣が始まるはずだ。

四肢からは力が抜け落ち、まるで人形のように地面に横たわっていた。

投げ出された手や手首にも触れてみた。

さっきまで活発に動いていたとは思えないほど、冷たくなっていた。

茜は口元を指で押さえると考え込んだ。

凛香本人が持つ身体的なあるいは精神的な事柄が原因なのか?

しかし病的なものは感じない。

病的なものでないのだとしたら、あと考えられる原因は「この場所」そのものか、「ある特定のもの」が引き起こしている何かだ。

茜はポケットに入れていたスマホを取り出し、車にいる怜奈を呼び出した。

2回コールの後、すぐ玲奈が出た。

「茜さん、どうしました?ロードサービスが到着して、今、作業中です。原因はなんでも…」

話を続けようとする怜奈を厳しい口調で遮った。

「怜奈、凛ちゃんが大変なことになっているの。今すぐここに来て!」

いつも明るい声の茜ではなく、叫ぶように話す様子に怜奈もただならぬ雰囲気を感じた。

弾かれたようにドアを閉める大きな音が聞こえた。

「えっ、あっ、はい。りょ、了解!只今!急いでっ!すぐっ!」



電話で説明された場所に怜奈が辿り着くまで、およそ10分を要した。

その10分は茜には永遠の長さに感じられた。

その間も凛香の様子に変化はなかった。

呼吸も脈も安定しているが、意識だけが戻らないのだ。

まるで突然電池が切れたおもちゃのようだった。

待つ間にも茜はやるべきことを済ませていた。

凛香の周りに茜が持つ24個の水晶でできたルーンストーンを地面に埋め込んでいた。

等間隔で彼女の体がすっぽり入るほどの円形に埋めた。

身体的なものが原因でなければ、考えられる原因は「霊的」なものである。

彼らは神秘蔵アヌビスの構成メンバーである。

むしろそちらの方に出会う可能性が高いのだ。

茜はルーンと魔法鏡を使った霊視を得意とする。

なみなみと水を湛えた水面鏡を使った幻視操作を得意としていた。

怜奈は二敷の一族ゆえ、神寄せの巫女の能力を有する者だった。

「茜さんっ」

「怜奈、来たわね」

息も絶え絶えになってる怜奈は呼吸をするのに必死だった。

かなり汗だくになってる。

額の汗をぬぐいながらも、地面に横たわる凛香が目に入ってくるとさらに猛ダッシュで近づいた。

「凛ちゃんっ!」

「さっきも電話で説明したとおり、ずっとこの状態なの。もうかれこれ30分になるわ」

「救急車を呼ばないと!」

「それも考えたんだけど、その前に怜奈に視てもらおうと思って。ここには水面鏡もないし、ルーンは円陣に使用中なのでそれも使えないしね。私は役立たず」

「わかりました。ただ、正式な御霊おろしはできないですし、最近は美名子さんにもおいでいただけていないので…。」

「眩夢館の一件以来、音沙汰なしなの?」

「はい。その存在も完全に隠匿するように感じられません。美名子さんには何かお考えがあるのでしょう。堂宮さんのことも関係していると思いますが。普通、神下ろしの儀式では巫女は神を身に招くのみで、その言葉を聴くのは神事を司るものの役目です」

「怜奈のところで言ったら、二敷さんね」

「はい。そ〜なります。私もまだ修行中なので、でもできることをがんばりますw」

「前回も前々回も怜奈はともかく、私はあんまり実動部隊じゃないからね。とはいえ、この状況をなんとかしないと…凛香が」

「まったく、同感です。いきなりは視れないので、凛ちゃんが倒れたときのことを検証しませんか?」

「そうね」

「ここまで、あの坂を登ってきてから、凛ちゃんは?」

「祠を見つけて、質問した。ほら、あれ。近くまで行かないと枯れ葉と斜面に埋もれるようにあるからわかりづらいけど」

「で、ここに立ってこの斜面にあった傘を見つけたんですね」

「そう。その傘を取りに斜面を下って拾い。またこの場所に戻ってきた。そして、傘を開いて肩にかけながら今倒れている場所でくるくると何周か回って見せたら、いきなり倒れた」

「その持ってた傘はこれですか?」

「その黄色い傘」

怜奈はそばに開いてた傘を手に取った。

「随分小さいんですね」

「小学生か、それより小さい子が持つような傘よね?」

「はい。確かに」

「さっきは詳しく見なかったけど、傘なら名前書くとこあるよね?書いていない?」

怜奈は傘の外側についているネーム布を見つけ、見てみた。

かすれた油性ペンで名前が書いてあるのが見えた。

「やの…かのん。女の子のものですね」

その声を聴いた途端、凛香はむっくりと起き上がって、彼女らほうを見た。

目の焦点は合っていない。

ぼんやりと眺めているっといったふうだ。

頬や髪、パーカーに付いていた枯れ葉がハラハラと地面に落ちた。

身体中についた葉を気にする様子でもなく、払うわけでもなく、ただ立ち上がると少し首を傾げながら彼女らのほう不思議そうに見ていた。

「! 何!?」

「凛ちゃん?」

目に生気が宿ると凛香はにっこりした。

「わあ、お姉ちゃんありがとう!かのんの傘、拾っててくれたんだね!ずっと探してたの。どこで落としちゃったのかな〜って。高橋のおばちゃんに買ってもらったお気に入りの傘だったんだよ。わ〜い!」

「か…?」

「…のん?」

「あの、」

怜奈から大切そうに傘を受け取ると凛香は嬉しそうにさすとハンドルを両手でくるくると回し始めた。

傘地が駆け回る子犬のように回り始める。

遠心力でネーム布も立ち上がってきた。

凛香から思わず笑い声が漏れた。

小学4年生の笑い声ではなく幼い子供の笑い声だった。

茜も怜奈も言葉遣い、表情、体の動きなどから凛香本人がふざけているのではないことを確信した。

伊達凛香ではなく目の前にいるのは矢野花音という名の女の子なのだ。

生き霊なのか死霊なのかわからないが、凛香の体には花音という女の子が憑いていた。

「凛ちゃん…」

おそるおそる玲奈が話しかけた。

すると凛花はキョトンとした顔で彼女らを見た。

「私、りんかなんて名前じゃないよ。かのん。お姉ちゃんたち、だあれ?」

首を傾げながら、立ち尽くした。

ちょうど小さい子が手足を投げ出しがら尋ねるように。

茜は目で怜奈に合図をした。

話しかけるから、その間に「視て」と。

それを承諾するように怜奈はうなづいた。

茜は傘をさしている凛香のそばに近づいていき、しゃがんだ。

小さい子供の目線で話かけ、怖がらせないようにするためだ。

「お姉ちゃんたち車でドライブしてここに来たんだけど、かのんちゃんはこの辺に住んでるの?」

「うん!高橋のおばちゃんとあそこのアパートに住んでるよ」

そう言うとこの雑木林から見える昭和風な古いアパートを指さした。

「あそこの2階に住んでるよ。今日はお客さんが来るから、外で遊んできてねって言われたから、ここに来たの。また子犬を見つけられるかな〜って」

2人が話す声を聴きながら怜奈は美名子に語りかけたが、何の返答もなかったので黒い御柱様に助力を願った。

もともと怜奈は二敷家の者なので、黒い御柱様の巫女の家系だからだ。

「ふーん、そうなのね。あそこがかのんちゃん家か。高橋のおばちゃんってお母さんじゃないの?」

「違うよ。高橋のおばちゃんはママじゃないよ」

「ママはどうしたの?」

「ママね。いないの…」

「パパは?」

「パパも遠くなの…でもね、かのんがいい子にしてれば、また川の字になって一緒に寝れるっておばちゃんが言ってた」

「そっか。かのんちゃんはよい子だね」

「いい子」と言う言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに笑った。

怜奈は言葉ではない神託のようなものをいくつか受け取っていた。

声ではない、イメージのようなものだった。

茜の肩を後ろから軽く叩き、耳打ちした。

茜は凛香の方を見たままその声を聞いていた。

「茜さん、この子もう亡くなってる。…そう多分、殺されてる…」

「⁉︎」

茜はギョッとした。

こんな子供を殺した?

「この場所で亡くなっている気がするんだけど…」

「え?じゃ、なに、地縛霊ってこと?」

小声で茜が言葉を発した。

怜奈は横に首をかすかに振った。

「それが、不思議なんですけど、成仏しちゃってる霊みたいです」

「もっとおかしいじゃない!?成仏した霊が何で凛ちゃんに取り憑くのよw」

「な、なんでなんでしょう〜あははは」

苦し紛れに怜奈は笑うしかなかった。

「お姉ちゃんたちどうしたの?なに話しているの?かのんもまぜてっ」

「あ、ごめんごめん」

茜はにっこりと凛香に笑いかけた。

「あと、茜さん。その子がいる円陣の中に入れって、指令が…」

(ってことは、まだ終わらないってことね)

2人の間に電気のように緊張が走った。

真剣な表情で花音と名乗った凛香に近づいていき、彼女の頭を優しく撫でた。

彼女は傘を下ろして、茜を見上げさらに嬉しそうに笑った。

彼女が立つ場所が円陣の中心だ。

そこを茜も怜奈も目指して近づいた。

怜奈は表情を険しくしながら辺りを警戒した。

感覚のアンテナを四方広げ、何かが起こる前兆を察知しようとした。

それをわかっている茜は話を続けた。

「ところで、かのんちゃんのお年はいくつ?」

「4つ。このあいだお誕生日だったの。お兄ちゃんにとってもいいもの、プレゼントにもらったんだ!」

彼女は右手の指を4本立てて見せた。

「そう!何をもらったの?」

「あのね、大好きなアニメの変身スティック!変身呪文を唱えると強くなるし、魔法が使えるんだよ!」

凛香は黄色い傘を折り畳み、まとめるとその変身スティックを使うように柄を持って振り始めた。

「そのお兄ちゃんは優しいね。かのんちゃんの本当のお兄ちゃんなの?」

「違うよ。かのんの部屋の下に住んでるお兄ちゃん。お相撲さんみたいで強くて、優しいんだよ。かのん、毎日、お兄ちゃんに朝は『いってらっしゃい』って言ってるの!」

「偉いわね!ちゃんとご挨拶できるんだね。ところで、かのんちゃんのお家ってどこなの?」

「おうち?おうちはここから見えるよ。ほら、あの二階建てのアパートだし」

凛香は山の西側を向くと辿々しい指でコンクルート造りの古びたアパートを指した。

鬱蒼と茂った木々の隙間から辛うじて建物の壁が見えた。

茜も怜奈もその建物を視認すると小さくうなづいた。

「よければお姉ちゃんたちが送っていこうか?ここは雨も降っているし、高橋のおばちゃんも心配しているんじゃない?」

「!…茜さんっ」

玲奈が叫んだ。

周囲の空気が変わった。

雨が降っているひんやりした森の空気が、一変した。

冷たく、暗い闇の持つ雰囲気に変わった。

あたりは夜になってしまったのではないかと思わせるほど暗く感じた。

太陽の残照が陰ったわけではない。

それでも肉眼で見える景色の明度が明らかに変化したのだ。

何かが這い上がってくる。

何かが近づいてくる。

「ふ、複数です」

「え?一体じゃないの?」

「よくわかんないですけど、一体じゃないですっ」

「何がくるの?」

茜と怜奈は360度に全神経を向けた。

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