第8話


 トントン。


「魔王様ぁ! ベヒモスです。勇者の兄貴を連れて来やしたぜ!」

「うむ。入るがいい!」


 キィィ、バタン。


「よっ、魔王!」

「やあやあ勇者、よくぞ参った! ベー君もご苦労様!」


 勇者の兄貴だと。あのベヒモスが兄貴と呼び慕うとは。やはりこの男、お兄ちゃんタイプ!


「広くていいなぁ。ここが魔王の部屋か。散らかってると思ってたのに、偉いじゃん!」


「あ、当たり前だろ! わたしは魔王なのだから。魔界の象徴たるもの、お部屋の片付けくらい日常茶飯事だ!」


 あぁ、魔王様……そこは茶飯事など付けなくても良いのでは。


 本当に嘘がド下手だ……。


「そっかそっか。良い子なんだな魔王は」


 その言葉を放つと勇者は魔王様の頭を……撫でた!

 な、なななんと!

 あぁ、これは優しい甘やかしのお兄ちゃんタイプだ。甘やかし属性の追加ではないか!


 しかしこの目。尊きものを見るような目。

 最愛の妹へ向けてなのか、光り輝くダイヤモンドを見ているのか。……わからない。


 魔王様の嘘に気付いても尚、頭を撫でる優しさ。それを考慮しても、わからない。


「うむ! とーぜんなのだ!」


 そしてこの魔王様ありと。


 兄妹のようだと言われればそう見えなくもないが、カップルと言われれば……お似合いなのではないか、この二人。


 可能性は十二分に……ある!



「魔王様、来てさっそくで悪いのですが、ちょっくら兄貴と、ひとっ風呂浴びて来ますわ」


「うむ! 自慢の大浴場だ。勇者もゆっくり浸かるといい!」


「風呂とは聞いてたが、大浴場なのか。久々だなぁ。ここ暫くずっとドラム缶風呂だったからな。久々に足を伸ばせるのか!」


「へへっ、兄貴、魔王様の許可も降りたのでお背中お流ししますぜ! 今日はゆっくりしていってくだせえ!」


 キィィー、バタン。


 ◇

 待て。待て待て。

 いまの会話はおかしかったぞ。


 サラッととんでもないことを勇者が言った。


 ドラム缶風呂……だと?


 なぜ勇者はこんなにも貧乏なのか。

 勇者だぞ。もっとこう、金持ちみたいな存在だろう。


 ……まさか。いや、まさかな。

 いやしかし、そうとしか考えられない。


 日中は魔王様と決闘。

 家に帰れば家事を一人でこなす毎日。


 仕事をする時間がないではないか。


 本来、王国が勇者に対して何かしらの計らいをしそうなものだが、それをしていないのだろう。


 長引く引き分け。

 聖剣剥奪も目前と噂される勇者だ。


 金も名誉も失った。

 それでも尚、決闘場に赴く。その心は……。


 ハッ!

 これって、まさか……愛なのでは?



「はぁ。腰が抜けてしまったよ。ゆ、ゆ、ゆ……勇者がまさか本当にわたしの部屋に来るなんて! 恥ずかしくて死ぬかと思ったぞ!」


 しかしこの魔王様だ。

 しっかりと導いてあげねば。


 恋する気持ちが行動を制限してしまう。魔王様は恋に臆病。頬にキスすることすら叶わない。


 乗せねば。魔王様の心を乗せて高ぶらせねば!


「魔王様。プランBです。今日、このベッドで添い遂げなさい。既成事実を作るのです。互いに愛を囁き合うのです」


 ステップ1が始まりにして終わり。

 女として意識させ、そのままHere you goです!


「な、なな、なななな、なにを!」


「いいですか。怖い夢にうなされるという設定でいきますからね」


「なしてそないな設定を? そっだらこと言っで、嘘はいかんとよ?」


「魔王様! 言葉遣いが!」


「はっ!」


 両手で口を押さえ赤面してしまった。

 よもや魔王弁が出てしまうほどに緊張しているとは……。生活圏に勇者が現れたことで限界に達したか……。


 魔王様の前代、お父君は生粋の魔王弁でしたからね。こればかりは、どんなに気を使おうと血が逆らえない宿命……定め。


「る、ルーくぅぅん。わたしもう無理だよぉ。恥ずか死ぬよぉぉ」


「泣くんじゃありません! 勇者は今、真っ裸になって大浴場にいるのですよ!」


「まっ、ま、ま、ま、ま、まーー」


 “ま”より先が言葉にならないと……。


「落ち着きなさい!」

「だ、だって……だって……」


「大丈夫です。怖い夢にうなされ決闘に支障を来しているとするのです。未来形ではなく現在進行形でいきます」


「う、うん。ぐすん」


「だから今夜は、魔王様の部屋にお泊まりをして、安心させてほしいと。こうすることで添い寝は朝まで継続いたします。無論、年頃の男女。朝まで添い寝で済むわけがありません!」


「そ、そ、それはさすがに無理があるだろうて!」


 僅かながらに魔王弁が……。

 ここは安心させねば。魔王様の執事としての務めを果たすのです。


「大丈夫です。なぜなら勇者は強い。その力は私などよりも遥かに。ならばそれを理由にすれば良いのです。従者や御付きの者では魔王様よりも弱く、不安を取り除くことができないと。安眠からは程遠いと。決闘に差し支えると!」


「なる……ほど。て、天才か!」


「いえ、これしきのこと。いいですか、私が口八丁に導きますから、魔王様は「うむ」や「そうなのだ!」と返事だけをしてください」


「う、うむ。しかしそれは朝チュンというやつでは……わたし恥ずかしくてできない!」


 クッ。やはり乗って来ないか。

 ここはもうひと押しせねば。


「魔王様。「うむ」と「そうなのだ」だけを言っていれば勇者とベッドインできるのです。私が必ずや導いてみせましょう。それとも魔王様は返事をすることもできないのですか? 魔王ともあろうに……」


「な、なにを! わたしは魔王だ! 返事のひとつやふたつできないとは、なんたる愚弄か!」


「その言葉を聞けて安心いたしました。さすが魔王様です」


「う、うむ!」


 良かった。魔王様が乗ってきてくれた。


 とは言え失敗は許されません。

 万が一断られることがあれば、魔王様は心に傷を負う。それどころか、計画の破綻をも意味する。


 悪魔大執事として……成し遂げねば。



 今夜、人界と魔界の行く末が決まる。


 まさか魔王様が幼き頃から眠っていたこのベッドが、世界の命運を懸けた最終決戦の場になるとは。


 こんな未来、誰が想像したでしょうか。

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