第7話 スイッチ、セールスマン、そして不可解。



「なんだこれ…?」


見慣れないスイッチだった。いや、見慣れないというよりもは、見慣れすぎているがあまり見慣れないというか。

円形の、黒い台に円柱状の赤いボタンが取り付けられている。「スイッチ」と言葉を得たときに、自分の中で真っ先に想像されるような形をしてそれは、さも当たり前と言わんばかりに玄関に投げ出されていた。


見たところスイッチは何にも接続されていないようだった。しかしボタンを押す気にはならない。遠隔スイッチで、なにか想像もつかないものを起動させてしまうかもしれないし、防犯ブザーみたく大音量で無機質な音が鳴り響けば、ボロアパートの住人全員から疎まれ口を叩かれることは目に見えていた。


「触らぬ神に祟なし」


神と呼ぶにはあまりに人工的すぎるそれを靴箱の上に置いて、俺は玄関に移ろう・・・と思ったが

「ピンポーン」とチャイムが鳴った。それは不可思議なことだった。チャイムが鳴ること自体に不思議はない。Amazonやヤマト便から荷物が届く時は、決まってチャイムの音を聞いてきた。だが、今は夜更けで、当然俺の家に来訪してくるような知人もいるはずなく、この2年間夜中に来客を迎えたことはただの一度も無かった。


未知に対する恐怖が伝うのを感じた。風で揺れた木の枝の陰が瞬間的に人影に見えて恐怖した経験は誰にでもあるだろう。自分の想像、推測を超えた突然の出現、それがなにであれ、人であれ、幽霊であれ、経験したことのない、未知への生理的な恐怖が身を包む。

ちょうど俺が玄関に立っているという状況もまた不安を助長した。これがリビングで、椅子にもたれ、テレビでも見ている最中であったなら、まだ心の余裕もあったかもしれない。それは、椅子から立ち上がり、廊下を歩き、玄関に向かうまでの時間差によって生まれる余裕で、つまるところ空間的な広さによって生じる余裕だ。それが今では、目と鼻の先に不可解が対峙している。ドアを挟んでいるとは言っても目の前に…いや、ドアを挟んでいるからこそ、この重く冷たい、人を寄せ付けない鉄壁を挟んでいるからこそ不可解は対峙する。つまりドアの前は、未知との遭遇に最も近い場所で、空間的な広さが限りなく0に近いそこは、限りなく不安を無限大に近づけた。


ドアノブを掴んだまましばらく硬直していた。覗き穴から来客を確認すればいいのだが、覗き穴という限られた空間に視界を委ねることに対してもまた恐怖した。もしも覗き穴の先に、自分を恐怖させるなにかが対峙していたら、もしそれが視界の100%を占めることになったら、そう思うと怖くて片目を閉じることができなかった。


「ごめんくださ〜い」


扉を伝って声が響いた。どこか呑気で、気の抜けるような声だった。その声を聞いて、安堵している自分がいた。目の前に対峙している不可解は、少なくとも人間で、客人としての理性を持ち合わせていて、おそらく敵意のようなものを抱いていないと思わされたからだ。

不可解を理解することで、未知に対する恐怖が和らいだ。俺は意を決してドアノブを捻った。


そして後悔した。


「あ、佐伯さんですよね〜夜分遅くに失礼します。わたくし『もきち』と申します〜あ、『斎藤茂吉』の『茂』じゃないですよ〜喪服の『喪』で喪吉です〜」


喪吉と名乗るその男の話を、俺はほとんど聞いてはいなかった。なぜなら、目の前のずんぐりとした風体の男の身につけている衣装が、あまりにも場違いだったからだ。


「すみませんね〜佐伯さん、あれ?佐伯さん?佐伯さんですよね?標札に『佐伯』って書いてたから、あ、もしかして同居人の方?」


男は黒のスーツに白いシャツ、そして白黒の映画の中でしか見たことのないような黒いシルクハットを被り、茶色の杖とジュラルミンケースを携えていた。


(な、なんなんだこいつは・・・)


一見セールスマンのようにも見えるが地面につけることなく微妙に浮かせて持って見せている杖と何よりワザとらしさすら感じるシルクハットが異彩を放っていた。


「佐伯さ〜ん、もしも〜し、聞こえてますかぁ〜?」

厭に尻上がりな声がようやく耳に入り、俺は慌てて応答した。

「あ、はい、佐伯・・・ですけど・・・あの、どちらさま・・・ですか?」

そんなつもりではなかったが、あからさまに出方を伺っているといった感じの受け応えをしてしまった。それだけこの男の存在は異質に写った。


「あ、私としたことが失礼、名刺を渡しそびれていました〜わたくし、こういうものでして〜」

「『ココロと身体を近づけます 喪吉』…」

渡された名刺にはその一文が印刷されてあるだけで、全くと言っていいほど情報を含んでいなかった。

「あの、すみません。セールスの類なら結構ですので」

とにかく胡散臭い男だということだけは理解した俺は、早々に会話を切り上げることに徹した。もしかしたら一風変わった宗教勧誘かもしれない。最近はナンパのやり方も多様化していると聞くが、その宗教勧誘版だとか、そう考えると変わった風貌も納得がいく。

「いえいえそんなセールスだなんて、私はお客さまが弊社の商品をお使いになられたので、今後のご説明をさせていただきたく参ったのですよ〜」


は?


なに・・・?弊社の商品・・・?

「はい〜ですから佐伯さんが〜・・・あ、そこ、置いてるじゃないですか〜」

男が指差す先には先ほど拾って放っておいた黒いスイッチの姿があった。

「これの・・・こと?正直こんなもの頼んだ覚えもないし使った覚えもないんだが」

いつのまにか部屋に放り込まれて、それで商品を使ったなんて言いがかりをつけられたらたまったもんじゃない。そうだ、きっとこいつは詐欺師なんだ。新聞の投函口からあらかじめスイッチを忍ばせといて、あとから商品を使いましたね?金を出せといって俺から金をむしり取る気だ。魂胆がわかってしまえば話は早い、警察に電話するフリをして、追い返せばいい。

「いやだなぁそんな怖い顔しないでくださいよ〜なにもあたしはあなたからお金をいただこうだとかそんな邪なことを言いに来たわけじゃないんですから〜」

口ではそう言うものの信用しろというほうが無理がある。それにこいつは先程「商品を使用した」と言ったが俺はこのスイッチを押してもいない。

「じゃあ返品するよ、ほら、一度も押していないし俺が使ったっていうのもなんかの間違いだろ」

「ん〜?佐伯さん、よ〜くスイッチを見てください。これ、靴の跡ですよね?」

言われるまで気が付かなかったが確かにスイッチの表面にはうっすらと靴跡のような汚れがついていた。

「はは〜ん佐伯さん、あなたさてはスイッチを靴で踏みましたね?その拍子にボタンが押されたんだ。でないとほら、私がここに居るはずありませんから」

後半の言葉は意味不明だったが確かに靴で踏まれたと言われれば心当たりがないわけではない。コンビニに向かう時、足元に感じた妙な違和感はこれだったのかもしれない。

しかしこんな商品を頼んだ覚えがないことだけは確かなのだ。使ったとか使ってないとか、そんなことは関係ない。相手も業者なのだったら、注文履歴でもなんでも確認すればすぐにわかることだろう。


「いーや佐伯さん、そのスイッチは確かにあなたのものだ」


「だってそれは、あなたが望んだんですから」


まるで心が読んだ言わんばかりの、これまた不可解な言葉が投げかけられた。

喪吉は「おほほほほ」と、まるで成人男性には似つかわしくない声で笑った。

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俺、すみぺに会わねえといけねんだ 星空ゆめ @hoshizorayume

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