制服高校生と飯の話

春沢P

第1話 姉との3分間

――ピンポーン――

 トモキは、ドアの呼び鈴の音が聞こえた瞬間に、リズムゲームのフリックに失敗し、あと少しというところでフルコンボを逃した。

「うわあっ!」

 派手に悲鳴を上げ、スマートフォンを落とした。

――ピンポンピンポンピンポンピンポーン――

 絶望感に追い打ちをかけるように呼び鈴がけたたましく鳴った。

「はいはいはーい」

 うんざりした気分でダイニングから浴室の前の廊下を抜け、アパートの玄関を開けた。

「こんばんわー」

 白い半袖のブラウス姿の女子高生が、笑いながら馴れ馴れしく挨拶した。

「また?」

「お姉ちゃんだよー」

「えー」

 トモキは、うんざりした声で応じ、ドアをそのままに奥に戻った。

「弟くんは、元気にしてるかな?」

 ドアを締め、鍵をかけ、靴を脱いでドカドカと上がり込むと、背中から降ろしたリュックをダイニングの椅子に投げ、慣れた動作でもう一つの空いた椅子に座った。

「またそのゲーム?」

「ユカリのせいでフルコンボ失敗した」

「アチャー><」

 片足を膝の上に置くと、ユカリは額に手を当ててのけぞり、はでにリアクションした。チェックのスカートの下から素足があらわになった。

「またうちに泊まるん?」

 トモキは、テーブルの上の食べ終わった弁当の容器と空のペットボトルを片付けながら聞いた。

「もう9時だからねー。ここなら8時まで寝られる」

「いいけど、お母さんには?」

「連絡済み」

 リュックからスマートフォンを出し、メッセの履歴をトモキに見せた。

「お母さん会いたいってよ。たまには帰ってきなよ」

「帰るって、俺の家まだここだから」

「そっかー」

 ユカリは肩を落とすと、やれやれというしぐさをわざとらしくした。

「まだここにいるつもり?」

「高校にいる間は、そうしたい。あっちに行ったら片道1時間増える」

「転校してもいいんじゃない?」

「一人暮らしの方が気が楽だ」

「一人かー」

 ユカリは手に持っていたコンビニ袋を、カサカサとテーブルに置いた。

「一人はいいけど、ちゃんと食べてる?」

「もちろん」

「栄養には気をつけるんだよ」

「カップ麺を夕飯にしようとしてるくせによく言うよ」

「お湯ー」

「聞いてねー」

 トモキはヤカンに水を入れると、電磁調理器の上に置いてスイッチを入れた。


 トモキはこの春高校に上がった1年生。ユカリは2つ上の高3。受験のために塾に通っていて、遅くなって帰るのが面倒になるとここに来る。7月になって週一で来ている。夏休みになったら夏期講習のためとかいって居座るかもしれない。

「もう2ヶ月かー」

 ユカリはダイニングから見える、2つの部屋を見比べながら言った。片方はトモキの部屋。戸が開いていて、ベッドと乱雑に散らばった教科書や雑誌とパソコン、部屋に干してある衣類が見えた。もう片方の部屋はぴたりと閉まっていた。

「でも、靴は下駄箱にしまったんだね」

「そりゃね」

 ユカリが最初に一人でここに来たときのことをトモキは思い出した。


 4月の入学式が終わり、学校にも慣れてきた5月の連休開けに、父が倒れた。夜中になっても会社から帰ってこないので、心配になって外に出たら、アパートのすぐ前で道に倒れていた。慌てて救急車を呼んだ。スマートフォンに登録してあった、別居中の母親の電話番号に、この日初めて電話した。

 次の日の朝に、父はこの世を去った。脳梗塞だった。トモキは父と男どうし気さくな生活を続けていた。食生活はコンビニで適当に買うか、ラーメン屋か、肉をドカンと買ってきて豪快に焼くかだった。好きなだけ食べて、酔っ払ってゲラゲラ笑ってそのまま寝てしまう。そんな父の好き放題な生き方が、血管の劣化を招き唐突にその生命を奪った。

 倒れた直後に救急搬送していれば助かったかもしれない。しかし、トモキは父の発見が遅れたことをミスとして悔やむような感覚がなかった。女子がいない気ままな生活が、太く短く終わった。そんな感じがしていた。

――お父さん?!――

 姉のそんな取り乱した声だけが、トモキを戸惑わせた。

 葬儀が終わり、一人の生活が始まって最初の週末。ユカリが弟の様子を見に一人でやってきた。玄関にあった父の革靴を見て、父のことを呼ぶと、ドカドカと家にあがりこみ、家の中の扉という扉を開けて父を探し始めた。

 ダイニングで戸惑って見ているトモキに気づき、姉はようやく立ち止まった。目に涙がいっぱいに溜まっていた。一人暮らしの様子を弟に聞けるようになるまで、しばらくかかった。


「あたし一人で食べちゃっていい?」

「いいよ。俺はもう食べた。2個食べたほうがいいんじゃない? 夜中腹減るよ」

「いいの」

 出来上がったカップ麺を、ユカリはズルズルと音を立ててすすった。跳ねる汁も気にしなかった。傍で見ていたトモキに、それはものすごくうまそうに見えた。

「じゃあ、お風呂貸してくれる?」

「いいけど、掃除しないと湯船は使えないよ」

「掃除からかー」

「あーっ、もう、脱ぐのは脱衣所で!」

 ブラウスをはだけて浴室に行こうとしたユカリをトモキは注意した。

「興奮した?」

「うるせえ!」

 一緒に暮らしていた頃には想像できない、立派な女子高生に成長した姉。しかし、その下着を見ても全然気にならない自分にトモキは気がついた。

――これが『姉弟』ということなのか――

 派手なピンクのブラジャーを隠しもしないでユカリは浴室に消えた。

 トモキは閉まっていた扉を開け、父のベッドの布団を整えはじめた。

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