新しい世界

篠岡遼佳

新しい世界


 昔々より、もっと昔。

 あるとき、天災と疫病、飢饉にさらされたひとびとは祈った。

 助けがほしいと。

 種族の存亡がかかった祈りだった。


 そして、それは――誰の差し金だったのか――起こった。


 『助け』は時空間を飛び越え、知らない場所からやってきた。

 疫病に強く、飢饉にも負けない、新しい存在。

 天災の中でも、元いた種族と新しい種族は助け合った。

 全く知らない存在同士でも、互いに寄り添い合い、手を取り合い、すべてはそれに伴う時が解決した。

 教科書で習うのは、まあ、こんな所だろう。

 


 ――そんなわけで、私の頭には兎の耳が生えており、尾てい骨あたりに尻尾もある。

 『助け』は、二本足で歩く獣の姿の種族だったのだ。

 いまは、血は混じりに混じり合い、私のように、獣の様相を耳や尻尾にしか残さないものも多い。

 ちなみに、尻尾はスーツのスラックスの中に仕舞ってある。長い尾を持つものは、それぞれの尻尾穴の空いた服を着たりもする。

 外見的にも、体の頑健さなども、多様性を持つことで、我々の祖先はたくさんの事象に対応し、生きてきたらしい。

 秋風が微細な毛を揺らすこの耳も、その一端なのだろうか。不思議だ。



 今日は金曜日だ。仕事は午前で終わらせてきた。

 実は、数日前から少し調子が悪い。瞬きをすると、眼球に違和感がある。熱っぽいし、喉も痛む。

 病院に行ったら、「ものもらい」ということで薬を処方された。

 喉の方は今度にしよう。病院とはなぜ常に混んでいるのか、私は疑問に思う。


 とりあえず、病院に行ったことをパートナーにトトンとスマホを打って伝えた。

 ”大丈夫? 喉の方は?”

 すぐに返信が来る。心配してくれていることはよくわかった。

 彼は大学で講義を受けている最中のはずだ。”スマホは仕舞いなさい”、と、説教臭いメッセージを送って、私はスーパーへ足を向けた。


 七月から、レジ袋は有料化されるらしい。

 誰がいつの間にそんなことを決めたのかは知らないが、仕方なくエコバッグを二枚持ち歩くようになった。漫画の単行本の特典だが、なかなか役に立つ。


 ゆっくり、世界は新しくなろうとしている。


 今年、全世界的に流行した疫病も、『助け』の血を濃く持つものは、やっぱり影響を受けにくいらしい。

 私の上司は狼の相貌をしたデキる上司だが、お子さんは耳が生えているくらいらしい。マズルが長いとマスクが難しい、やっぱりフェイスシールドかな、と悩んでいた。奥さんが長い間家に居ることへの負担も考えているところをみると、実に結婚や同居、子育てとは難しいものであるなと思う。

 

 ――ゆっくり、世界は新しくなろうとしている。

 


 今日はだるいので、カレーで良かろう、と、とりあえず鶏肉を買った。

 食欲が減退した場合に備えて、炊いてある飯は冷凍して、いざとなったら雑炊にしよう。

 カレーの付け合わせにサラダ、と思い、レタスを検分してカゴに入れる。

 彼はきっとおなかを空かせて帰ってくるから、量だけは多めにしよう。あと、福神漬けも忘れずに。



 私たちが出会ったのは体育館だった。

 私は一応背が高く、兎らしくジャンプも得意だ。だから、大学の時は初心者でも大丈夫なバレーのサークルに入っていた。運動自体はあまり得意ではなかったからだ。

 体育がなくなる分、動かないと老化が早まるぞ、とよく兄が言っていた、という理由もある。


 和やかなサークルで、体育館を半面使ってなんとなくボールと仲良くなる練習をしていた。

 彼は、そんなサークルに入ってきた。

 上背があり、見た目からしてスポーツマン的な大きさがあり、やはり高校までしっかりとなにかスポーツをしていたらしい。

 "でも、膝とか腰とかダメで"

 苦笑しながら彼は言った。私は深く聞くタイプではない。そうなのか、と頷き、オーバーハンドで彼にボールを飛ばした。

 "先輩は、だめになったこと、ありますか"

 "あるよ。恋愛はダメだね"

 そう言うと、彼は目を丸くして、

 "そんなにかっこよくてもダメですか?"

 などと言ってきた。

 確かに、銀髪で飴色の目をした私に、興味を持つ人は多い。

 私は彼に、"人と親しくするのが苦手でね"と端的に答えた。

 "じゃあ、俺と仲良くしてくださいよ"

 彼はとても柔らかくボールをあげる。

 私もそれにこたえようと、テーピングした指先でボールをあげる。


 きっかけなんて、そんなものだ。

 大事なのはその先なのだから。


 よくわからないまま、私と彼は互いの家を知り、互いの酒量を知り、互いの趣味を知り、レポートも実習もなんとなく図書館の同じテーブルで行うようになった。

 それまで、とても親しい友人……親友と呼ばれる存在を持たなかった私は、彼の距離感の取り方に好感を覚え、いつの間にか心地よいものとして関係を扱っていた。


 卒業するのは私が二年早かった。

 学科も違うので、ほんとうは接点もほとんどなかったはずだ。

 そもそも、生きてきた時間も、性格だって全然違う。彼の頭には耳がない。


  "――だけど"


 そのたった一言で、彼はすべてを覆す。



 カレールーを入れた鍋をかき混ぜながら、私は増えたものを思う。

 マスク、消毒用アルコール、ハンドソープに、社会的距離という言葉。

 

 やってきた新しい日常は、私たちを急かした。

 今後、生きていく術。

 共にいるにはどうしたらいいのか。

 どうある、べきなのか。

 ほんとうはこのままでいいはずはない。

 一般論を言えば、答えはもうとっくに出ている。


 ――しあわせにしたい。彼にしあわせな人生をあげたい。


 甚だしい思い上がりだが、私はそう思って生きている。



  "――だけどね、先輩"


 そう、たった一言で、彼はすべてを覆す。


  "好きです。大好きです。どんな困難も、あなたがいれば"


 そう言って彼は笑う。

 笑ってくれる。

 すれ違いもけんかも、苦手なことも嫌なことも、珈琲の飲み方の違いも。


 私は彼の笑顔に、幸せという感情を見つけそうになる。


 この関係を、なんというのか、私はまだ決めかねている。

 帰り道、繋いだ手が、緊張で震える理由もわからない。


 だけど。


 新しくなろうとしているのは、世界だけではない。

 いや、新しくなるために、私たちは明日へ明日へと向かっているのだ。


 新しい私は、彼に向かって笑えるだろうか。

 


「ただいまー!」


 玄関の開く音がして、その声が聞こえる。

 私は苦笑する。

 エプロンをしてカレーを作って待っていた自分を、笑っている。

 答えは出ていた。



「――おかえり」


 


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新しい世界 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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