デウス・エクス・マキナを殺せ Extra Edition

ほりえる

薄氷の上で踊る Ⅰ

 闇夜に抱かれる雪原の空に、その黒さにはっきりと浮かび上がる純白の羽を震わせて。


 一羽の雪鴉が飛ぶ。


 雪の中にそびえ建つ巨大な影。金属とも石ともいうことの出来ない、しかし雪原よりなお白い、どこか神聖さまで漂わせる塔がそこにはあった。鴉はその塔を迂回しようと翼を傾ける。


 前方、吹き荒れる猛吹雪の中に一対の深紅の瞳。


 本能的に危機を感じて方向転換しようとした烏は素早く伸びてきたナニカに飲み込まれて消える。


 けたたましい鳴き声はすぐに、乾いた枝を折るような音にとって変わる────それすらもすぐに聞こえなくなる。


 広い塔の頂上、悠々と嘴を擡げたそれは、空気を震わせる咆哮を雪原に響かせる。


 あまりにも激しい咆哮は、半ば衝撃波となって雪上を駆けた。


 ◇◇◇


 …………?


 一瞬何かが聴こえた気がした。気の所為だろうか。今夜は猛吹雪だから、風の音だったのかもしれない。本のページをめくりながら溜息を吐く。デウス・エクス・マキナの雷龍キトゥリノと契約してからというもの、溜息ばかりのような気がする。まあ仕方が無いだろう。逆に、これと契約して溜息をつかないというケット・シーが居るならば会ってみたい。


『マスター』


「なんだ?」


『マスターは感情の起伏がなさすぎます』


「いきなりなんの話だ……」


『昨日だってせっかく悪夢を見せたのに……』


 せっかくとはなんだせっかくとは。本当にこいつらはどうしようもない。俺は遊び道具ではない……まあ見ようによってはそうかもしれないが。それにケット・シーの尺度を別のいきものに持ち込むのも微妙ではある。多分。


『とにかく、もっと苦しんでください。悲しんでください』


「ああ、うん、そうだな」


『傷ついてください。泣き叫んでください』


「ああ、うん、そうだな」


「……マスター、聞いてますか?」


「聞いてるぞ」


 適当に答えておく。デウス・エクス・マキナとまともな会話をしてもロクなことがない。


『絶対聞いてませんよねマスター!』


「邪魔をする方が悪い」


 そう、キトゥリノと遊んでいる暇などありはしない。明日は大事な日なのだ。誠に不本意ではあるが。


 クラドヴィーゼン家には、「神前宣誓」という儀式がある。一人前と認められるには、雪原に建つ塔の一番上で儀式をこなさねばならない。しかし、塔にはフューリーが潜んでいる。辿り着くには、奴らを排除しながら高い塔を登るしかない。


 正直に言って、ただただ面倒だった。


 だって意味が無い。俺は神を信じていなかった。理由は明白だ。そもそも、神を信じることには二つの目的がある。一つ、自分の精神を安定させるために神という絶対的存在に縋りたい。二つ、その感情を統治、あるいは支配に利用したい。


 生憎俺はそのどちらにも該当しなかった。神という存在を未だに信じられるほど、恵まれた生活を送ってなどいないし、思ったより世界はどうにもならない。クラドヴィーゼンの氷結魔法アブソリュート、「心血」によって負の感情を制限されている俺には、不安や恐怖は無縁だ。


『おお、美しきアーヴィンダル!畏れ多くも氷神様がお造りになった────』


 ぱたりと本を閉じた。もううんざりだ。神を讃えるのは間に合っている。今回儀式を行う塔、アーヴィンダルについての本を片っ端から漁っているのだが、先程からずっとこの調子だ。内部構造とか、フューリーの分布とか、そういったものが知りたいのだ。この役立たず。


 胸中で吐き捨てつつ窓の外を見る。もういい時間だ。眠った方がいいかもしれない。しかし、普段から俺は寝付きが悪い。冷たい寝台に潜り込んだ所で、十分な休息を得られるかどうかは疑問だ。それなら調べ物をした方が効率的なのか……?クラドヴィーゼンの現当主、クォーウルに儀式の実施を命じられた際、大した情報を寄越してくれなかったので明日は慎重に行く必要があるかもしれない。明日、というか既に今日だが。出発は早朝という事になっている。


 仕方が無いので本を机の隅に寄せ、俺は立ち上がった。ちょっと早いがまあいいだろう。儀式を行なう時間などは特に決まっていない。むしろ、「氷神が創った塔」に登ること自体が儀式と言ってもいい。装備一式と外套を引っ掴んで扉を開ける。



 空一面に水晶が散ったようだった。


 まだ夜が明けたばかりだからか身を刺すような冷気、しかしそれを一瞬忘れてしまうほどの静謐なうつくしさ。空から舞い降りる氷の結晶が、夜でもなおきらきらと僅かに瞬く。ダイヤモンドダストだった。


 ああ、綺麗だ────


 素直にそんな感情を抱けたことに少しだけ驚いた。そんなものはとうの昔に磨り減って、なくなってしまったのだと思っていたから。特別な水晶によって守られている家の扉周辺から、そっと足を雪の中へ踏み入れる。早朝とも言えない時間のため、もちろんケット・シーは誰一人として歩いていない。鳥でさえ囀ることのない、静寂。


 さく、という少し湿った音が耳に響くようだった。


 自らの呼吸音ですらよく聞こえる。この静けさを不気味だと嫌うケット・シーもいるだろう。しかし俺はそうは思わない……どちらかと言えば、心地が良かった。









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