ねぇ、武蔵野ってどう思う?

タニオカ

君との思い出

「ねぇ、武蔵野ってどう思う?」

 そう問いかける彼女は、ベッドの上で枕を抱えうつ伏せ、食べかけのお菓子の箱に囲まれながら、今流行りの鬼を滅する漫画を読んでいる。


 彼女は、俺の幼馴染だ。そして、俺の初恋の人であり、現在の好きな人でもある。つまり俺は、この俺のベッドの上で、俺がまだ読んでいない漫画を読みながら、俺が漫画を読みながら食べようと楽しみにとっておいたお菓子たちを、俺の許可なしに勝手に食べるような奴のことを、もう10年以上想っていることになる。


 …解せぬ…。


「…武蔵野、吉祥寺とか?住みたい街ランキング上位なんだから、いいとこなんじゃないか?あー、あとダスキン」

 彼女の質問に答えようと頭の中の武蔵野の知識を総動員したが、そんな答えしか出せなかった。俺の東京に関する知識なんてあやふやなものだ。


「んー、きっといいとこだよね…。ダスキン…?」

 聞いてきた本人もよくわかっていないようで、読んでいた漫画を伏せ置き、近くに転がっていたスマホでなにやら検索を始めた。


 俺もそれに習い、勉強の手を休め、スマホを手にした。試しに、俺たちが暮らしている街から武蔵野までの道のりを調べてみた。


 甲府→武蔵野

 …バス停しか出てこない。


 しばし考えてから、入力し直す。


 甲府→井の頭公園公園


「なんだ、結構近いじゃん」

 特急を使って1時間半から2時間程度の経路が表示された画面を見せながら、素直な感想を述べると、彼女はその画面を不服そうに睨む。

「ちょっと、貸して」

 そう言うと俺の返答も待たずに、ひょいとスマホを奪い取り、眉間に皺を寄せながら、操作し始める。

 なにもやましいことはないはずだが、人に、ましてや、好きな相手に自分の分身とも言えるようなスマホを預けるのは、なんだか心が落ち着かない。


 彼女は、ふぅとため息をついてから、ぽいっとスマホを寄越しながら、残念そうに

「やっぱ、実家から通学は厳しいかー」と言った。


 —…通学?なんのことだ?

 俺たちは、あと数ヶ月で進級する予定の高校2年生。今通っている高校には自転車で通学している。


「なんで?通学…?公園に?」

「なにそれ?バカじゃん?よくみなよ」


 そう言いながらスマホを指差す彼女。その指を辿るように手元に目を落とすと


 甲府→鷹の台

 となっていた。


 —うーん、なるほど分からん…。鷹の台ってどこだ?武蔵野?


 スマホ画面を食い入るように見つめ、首を傾げている俺に痺れを切らしたのか、彼女が少し不機嫌な口調で話し始める。


「私、ムサビに行こうと思ってるの!」

「…ムサビ?」

 頭の中でムササビが木から木へと滑空する様が浮かぶ。

「だからぁ、ムサビ…武蔵野美術大学だよ!」


 頭の中が一瞬、真っ白になった。


「はぁ?お前、一緒に地元の大学行くって言ってなかったか⁉︎」

 俺は気がついたらまくしたてるようにしていた。そんな俺にビビりながらも

「うっ、そうだけど…。やっぱり絵を描くの諦めたくないんだもん」

 そう強く言った彼女。

「あんたなら応援してくれると思ったのに…」

 口を尖らせる姿にますますイラついた。


「もういい!お前帰れ!」

「ふん!言われなくても、そうしますよーだ!」

 ちゃっかりと漫画を片手に、部屋を出て行く彼女。

 バタンと乱暴に閉じられた扉の音とともに、思い描いていた夢のような彼女とのキャンパスライフがガラガラと崩れていった。


 =====


「あんた、あの子に何言ったの?」


 夕飯の席で母が俺に対して、きつい口調で文句を言ってきた。俺たちが幼馴染である以上、母は彼女のことを幼い頃から知っている。そして本当の娘のように可愛がっている。こういう時には大抵俺よりも彼女の味方だ。

「何って別に…何もないよ」

 一方的に怒ってしまったバツの悪さから、言葉尻が弱くなる。


「はい、没収〜!」

「ちょっ!」

 無情にも目の前の皿から唐揚げが1つ取り除かれた。悲しそうに皿を眺める俺を得意げに見つめる母。

「さぁ、言う気になった?」


 —…ぐっ。仕方がない。


 これ以上貴重なタンパク源を失うわけにはいかない。仕方なしに、素直に母親に白状することにした。


「へーそう。美大受けるの⁉︎思い切ったわね〜。あの子、昔っから絵が上手だったものね〜」


 たしかにあいつは絵が上手い。今も美術部に所属しているし、コンクールに出品すれば

 常に何かしらの賞を取っているイメージがある。


「…絵なんかどこででも描けるだろ…」

「あらら、大学別になるのが寂しいの〜?」

 俺がボソリと呟いた本音をいちいち拾って、からかってくる。母という生き物は何故こうも、無神経なのだろうか…。

「でも東京かー。近いけど、遠いからね…。私も寂しくなるわ…」

 もう彼女が受験に受かったのような反応で、若干涙ぐむ母を見て、俺の心にも木枯らしが吹き、あんなに美味しそうだった唐揚げも味気なく感じた。


 =====


「あっ!そうだ、確かあそこに…」

 夕食を食べ終わり、ソファーの上でゴロゴロとスマホゲームをしていると、皿洗いをしていた母がなにかを思い出したかのようで、洗いかけの鍋を残したまま、バタバタと2階へ上がっていった。しばらくドタドタと押入れの中の荷物を漁っている音が続き、音が止むと、母が階段を嬉しそうな足取りで降りてきて、一枚の画用紙を俺に突きつけた。


「あんたこれ覚えてる?」


 クレヨンで描かれた男の子と女の子、そして紫色のリスや緑色のゾウなどの動物たち。

 忘れるはずもない。俺はこの絵をきっかけに彼女のことを好きになったのだから。


「もちろん、まだあったんだ」

「当たり前でしょ。あんたとあの子のはじめてのデートの思い出だもん。 あんたたちの人生初東京だったしね」

「えっ?あそこ東京だったの?」

「そうよー。井の頭公園の動物園よー」


 そうだったのか。あそこは武蔵野だったのか…。


 =====


 俺たちがまだ幼稚園に通っていた頃のこと。家族ぐるみの付き合いだった俺たちは、ふた家族合同で動物園にやってきた。

 俺は動物より、付属している遊園地の乗り物が楽しくて、ずっと何かしらに乗っていた。対して、あいつはずっと動物を見ながら絵を描くばかりだった。正直、この頃は、母親同士がママ友だったというだけで、俺たち自体はそれほど仲良くはなかった。

 母に促されて渋々乗り物に誘っても、あいつはあいつで「わたし、おえかきがいい」と言い、全く俺と遊ぼうとしなかった。


 そんな態度にイライラした俺は、その鬱憤の全てをコーヒーカップにぶつけ、三半規管を酷使した結果、ものすごい吐き気に襲われるという哀れな状態となった。


 吐くならトイレ!と刷り込まれていた俺は、見知らぬ土地で一心不乱にトイレの捜索をして、やっと見つけたオアシスで胃の中のものを排出し切って、落ち着いた頃には、迷子になっていた。

 とにかく心細かった。

 足の赴くままにうろうろとし、見覚えのある道を求めたけれど、辺りには見覚えのない彫刻ばかり。皆、俺のことを睨んでいるように感じた。

 あと一歩で泣き出してしまいそうになった時に、聞き覚えのある声が耳に飛び込んだ。


「いたー、こっちだよー」

 そう大きな声で手を振りながら俺に呼びかけるのは、こうなった原因を作った張本人だった。なんだか癪だったが、その時は藁にもすがる思いで、彼女に駆け寄り、暖かなその手をしっかりと握って、道案内をしてもらった。


 元いた場所から、結構離れてしまっていたようで、子供の足で歩くには少し時間がかかった。その間、彼女は何も喋らなかった。俺は迷子になったことが恥ずかしくて、その沈黙がただただ辛かった。

 ふと彼女の持っているスケッチブックが目に入った。これ幸いと、話を振ってみる。

「どんな絵描いたの?見せて!」

「いやだ!」

 あんなに愉快な乗り物にも乗らずに描いていたのだから、きっとすごい絵なのだろう、と勝手にワクワクしていたが、待っていたのはまさかの拒絶だった。

「なにそれ?けちっ!見せてくれたっていいじゃんか!」

「いや!どうせみんなみたいに笑うもんっ!」

「いいから見せて!」

 意地になった俺は彼女の手からひったくるようにしてスケッチブックを奪い、パラパラとめくる。彼女はそんな俺を不安そうにみているばかりだった。


 スケッチブックの最後のページにあったのがあの絵だ。紫色のリス、緑色のゾウ、そして俺たちと思わしき男の子と女の子。

「すげー、上手じゃん!」

 それを聞いた彼女は、ぽかんとしていた。

「…笑わないの?」

「え?なんで?すごいうまいよ!リスのフワフワした感じとかうまいよ」

「だって…色。…みんな色が変って笑うよ?」

「色?」

 もう一度絵を見る。たしかに珍しい色使いかもしれない。でも、それを超えて訴えかけてくるものがある絵だったから、全然気にならなかった。

「色なんて関係ないよ、いい絵だよ!」


 それを聞いた彼女は驚いた表情を浮かべた後に、柔らかな笑顔を見せた。これが俺の初めてみた彼女の笑顔だ。そして、俺の心を捉えて離さない笑顔でもある。


 =====


「…はい、漫画」

 昨日勝手に持っていった漫画を届けに来た彼女は、目も合わせずに、ぶっきらぼうに紙袋を突きつける。中には言葉通り漫画と昨日食べ尽くされたお菓子と同じものが入っていた。

「…おう」

「それじゃ」

 帰ろうとする彼女に画用紙を突きつけた。

「これ…覚えてるか?」

「うわー、なつかしー、まだ持っててくれてたんだ」

 さっきまでの不機嫌が嘘みたいに、ニコニコとしだした。やっぱり彼女は笑顔がよく似合う。

「覚えてるもなにも…これが私の原点だよ。初めて笑わずに絵を褒められた。それがすごく嬉しかったんだから…」

 彼女は絵を受け取り愛おしそうに眺める。

「…俺もお前の絵、好きだよ、この時からずっと…だから頑張れよ!ムサビ」


 今言える俺の精一杯の応援だった。本当のことを言うと行って欲しくない。側にいて欲しい。でも、好きなことをしている時の笑顔が好きだから…。


「…ありがとう」

 そう、少し寂しそうに笑った笑顔もやっぱり愛おしいかった。

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