第13話

「はぁっ…! はぁっ…! はぁっ…!」

「高梨さんッ!急にどうしたんですか!」

 後ろからくるみの声が聞こえる。

 だが、今はそれに答えている余裕が無い。


ピロン♪『レベルがアップしました』

ピロン♪『レベルがアップしました』


「今もレベルアップの音は聞こえているか!?」

 振り向くことなく大声で叫ぶ。

 槍を右手で持ち、頭の上のクロを落とさないように左手で押さえながら。

 モンスターが現れないようにと祈りつつ、それでも俺はスピードを落とさない。

 もつれそうになる両足をなんとか叱咤し、少しでも速く、と。


「え!?……あ、はい!」

「よし、走れ!!」

 くるみの言葉にすぐさま返答すると、俺は一気に走るスピードを上げた。

 やばいやばいやばいやばい!!

 心臓は飛び出しそうなほどにバクバクと強い心音をたたき出している。

 その心音はまるで警鐘を鳴らしているかのように聞こえ、さらに俺を焦らせた。

 とにかく今はすぐにでもダンジョンを出ないといけない!

 俺が考えている”最悪の事態”の通りだとしたら、今はここにいるだけで危険だ!!


 俺は目の前に今もなお浮かび続けるコマンドバーを視界に収めながら、そんな事を考えていた。


『ダンジョンを鎮静化しました。このまま制圧化へ進みますか? Y/N 』




◆◇◆◇


 ダンジョンを出ると、まっしぐらに止めていた車まで走る。

 すでにレベルアップ音は止まっている。


「はやくはやく!とりあえず車に乗って!!」

「ちょ、ちょっと高梨さん!」

 半ば投げるようにして後部座席へ槍とヘルメットを放る。

 クロも放り出されるように後部座席に着地したが、今はそっちに構ってもいられない。

 俺を非難する声色のくるみを無視して助手席に押し込むと、俺も運転席に乗り込む。


「あぁクソッ!」

 コインパーキングの精算を終えていない事に気付いて毒づく。

 そんな自分にいら立ってつい大きな声を出してしまった。


「高梨さんッ!!」

「ちょっ!………!!」

 急いで精算をしに行こうとしたところで、横からくるみの手が出てきて、俺の左腕を掴んだ。

 つい、責めるような視線でくるみを見るが、そこにあったのは俺を責めるでもなく、避難するでもない、寂しそうで俺を心配する表情のくるみがいた。

 俺の腕を掴む手が少しだけ震えている。

きっと自分も不安なはずなのに、じっと俺の目を見つめ、心底心配してくれている。

 こんなに小さくて、それでも俺を相棒だと信じて一緒に来てくれているくるみにこんな顔をさせているわけにはいかない。




 すうぅぅ……………ふぅぅぅ。



大きく息を吸い込み、大きくゆっくりと吐く。

 くるみに掴まれていない右手で自分の頬を叩いた。

 パチン!と乾いた音が車内に響く。熱を帯びた右頬は、逆に俺の思考を落ち着かせてくれているように思えた。

 それからたっぷりと数秒待ってから、小さな声で、ヨシ、と言ってくるみの方を見た。


「ごめんくるみちゃん。ちょっと気が動転して混乱してた。もう大丈夫だよ」

「ほ、本当に大丈夫ですか……」

「大丈夫大丈夫。いつもの高梨さんだよ」

 そう言ってくるみのおかっぱ頭を撫でた。

 子供扱いするなと怒られそうだが、自分を落ち着けさせる意味でもくるみの頭を意識的にゆっくりと優しく撫でた。


「そ、それならいいですけれど……」

 そう言っておずおずとくるみが腕を離してくれた。

 顔は少し赤いが、撫でる手を止めはしなかった。

 よし、それじゃ本題を進めないといけないな。


「くるみちゃん。ダンジョン関連の掲示板とかってわかる?」

「えぇ、時折私も見ますから知ってますよ」

「匿名、実名両方含めて掲示板を調べて欲しい」

「先程の件、ですね?」


 くるみの問いに頷く。


「ダンジョン攻略のアナウンスとかはくるみちゃんも聞こえた?」

「はい、聞こえました。いくつも一気に流れてきたのでちょっとびっくりしましたけど」

「うん、俺も聞こえた。それでくるみちゃんはあのアナウンスがワールドアナウンスなのかどうかを調べて欲しい」

「ワールドアナウンス、ですか?」


 聞き覚えが無いのか、くるみが首を傾げる。

 ゲームとかしてなかったらピンとは来ないもんな。


「要するに、俺達だけが聞こえたのか、全世界に発信されたものなのかが知りたいんだ。現状、ダンジョンをどうにかする方法はまだ見つかっていないんでしょ?」

「そうですね、定期巡回でモンスターを間引く以外は……あっ」


 自分で話していて、ようやく俺の心意を理解したようだ。


「そう、ダンジョンを人類がどうにかする方法は今まで見つからなかった。それなのにさっきのアナウンスでダンジョンを鎮静化させたと言っていたよな?鎮静化の意味はよくわからないけど、これってどう考えても人類初だと思うんだよ」

「た、確かにそうですね……。もしこれが他の人にも聞こえていたら……」

「すぐに俺達の仕業だとわかるだろうね。もし本当にそうだったとしたら……俺達がどうなるのかは考えたくもないけど」


 俺の言葉に青ざめた表情のくるみ。


「大丈夫。その時はくるみちゃんだけでもなんとかするから。なので、ハイ。俺のスマホでとりあえず調べてみて」

「わ、わかりました!」


 くるみは俺から受け取ったスマホを操作し、すごい勢いで色々と調査し始めたみたいだ。

 小さく手が震えているのが見えたので、もう一度軽く頭を撫でてあげると、くるみが青ざめた表情で俺を見た。

俺が何を言うでもなく力強く頷くと、くるみは少し安心した顔を見せてから再度スマホの画面へ視線を戻した。


「よし、クロはくるみちゃんが調べている間、膝の上でくるみちゃんを癒してやってくれ。それとさっきは焦って放り投げたりしてゴメンな」


 後部座席でぷるぷるしていたクロを抱きかかえると、撫でてからくるみの膝上へ乗せてあげる。くるみもクロの重さに少し安心したようで、顔色も落ち着いたみたいだった。


 飲み物を買ってくるよ、と言って車内から出る。

 止めている車から見える位置にある自動販売機で先にホットコーヒーを一つ買う。

 本当なら今すぐにでもこの場から少しでも距離を取った方が良い事は俺でもわかる。

 だが、もうここまで来たら一緒だと思うようにした。

 最悪、くるみだけでも逃がそう。方法は全く思いつかないが。

 クロについては、もう隠しようがない。もしかしたらミニマムサイズにまで小さくなってくるみと一緒に逃げさせるのが一番いいかもしれない。



「しかし、ダンジョンの鎮静化、制圧化…ねぇ……」


 今も俺の目の前に見えるコマンドバー。


『ダンジョンを鎮静化しました。このまま制圧化へ進みますか? Y/N 』


 ダンジョンを鎮静化しました。とある。

 という事は、一時的な処置なのだろう。

 鎮静期間はどれくらいなのか?また、制圧化した時にどうなるのか?

 この辺りがよくわからない。


 そもそも、クロがよくわからなかった。

 急に口を開いたかと思うと、ダンジョンの壁から出てきたリンゴのような実。

 あればダンジョンの実でほぼ間違いないのだろうが、ダンジョンは実が生る?

 まるで樹木のような存在?ここもわからない。


 それにクロは自分の意思でダンジョンの実を飲み込んだ。

 一般的なエコスライムとは別の存在だとは理解していたが、今回で確実に違うと断言できる。エコスライムはあんな風には行動しない。


 とにかく、俺達は人類で初めてのダンジョン攻略者となった。

 どうやら春道ダンジョンはレベル0だったらしい。

 星無しダンジョンと呼ばれていた春道ダンジョンがレベル0。

 これは偶然なのか。ここもわからないポイントだ。


 そして何度も何度も鳴り響いたレベルアップ音。

 ダンジョンから抜け出す途中でその音は途切れたが、あれだけの回数鳴っていたのだから、十や二十ではない事は確かだ。

 事実、自分の身体が急速に生まれ変わって行ってるのが今わかる。

 手に持っているコーヒー缶のプルタブを開け、一気に飲み干す。

空になった事を確認し、スチール缶を強く握る閉めると、簡単にベコッ!と握りつぶせた。

体内の細胞レベルで今も生まれ変わっていっているのだろう。

明日あたりになればもっと酷くなるかもしれないな。

 ここらあたりはくるみとよく相談、確認しないといけないポイントだな。

 俺はベコベコになったスチール缶をゴミ箱へ捨て、再度ホットコーヒーと、くるみの分の紅茶を買った。



 車内に戻り、くるみに買ってきた紅茶を手渡す。だが、受け取るくるみの表情が少し暗かった。


「ほい、くるみちゃん。紅茶でも飲んで落ち着いて」

「あ、ありがとうございます。あの、高梨さん、これ……」


 俺から紅茶を受け取ったくるみが、もう片手で持っていた俺のスマホを差し出した。


「あ、あのごめんなさい!画面割っちゃいました!」

「あぁー…なるほどね」

 くるみが差し出したスマホの画面がバキバキに割れていた。

 画面下部付近が割れた中心地点になっている事から、大体は予想出来るが…。


「強くタップしたら割れちゃったんでしょ?」

「はい……。本当にごめんなさい」


 たぶんそうだろうな、と思った。

 先ほどのレベルアップの反動だな。そりゃスチール缶を握りつぶせるんだからスマホの画面くらい簡単に割れるわな。


「いいよいいよ気にしなくて。俺もさっき試しにコーヒー缶を握ったら潰せちゃったからね。たぶん明日になったらもっと酷い事になっちゃてるかもだな。それより怪我とかは大丈夫か?」

 少し大袈裟に抑揚を付けて話す。くるみに落ち込まれたら俺も嫌だしな。

 決して安くはないが、スマホ一台で実験が出来たのだから必要経費だったと割り切ろう。


「はい、怪我は大丈夫ですけど……」

「まぁまぁ、それなら良かったじゃない。…それより、掲示板には何か書かれていた?」

 くるみからスマホを取り上げて胸ポケットに隠すと、半ば無理やり話題を変えた。

 俺の胸ポケットあたりを申し訳なさそうに見つめていたが、すぐに視線を俺に戻したくるみが真剣な顔で話し始めた。


「結論から言うと、それらしき情報は見当たりませんでした」

「掲示板はいくつか見たの?」

 俺の言葉に強く頷くくるみ。


「はい、匿名、実名。それとSNS関連や探索者協会のサイトを見ても、やはりそういった情報はどこにもありませんでした」

「って事は、俺達だけに聞こえたって事か……」

「と、思います。継続して調べる必要はありますが。例えば探索者協会がそういった書き込みを表示されないようにしている可能性も考えられるかな、と……」


 くるみは探救会運営の孤児院で生活しているので、少なからずどういった組織かは理解しているようで、探索者協会をあまり好意的な目では見ていない。

 フラットな目で見てくれているならいいけどね。

 しかし、探索者協会が恣意的に情報を隠しているとなると少し厄介になるな……。

 一般人である俺達では本当に隠しているのか、それとも本当に知らないのかの判断が着かない。

 探索者協会に知り合いでもいればいいんだが、そういった人との繋がりは無いし……。


「まぁ、とりあえず情報は拡散されていない、という前提で考える事にしよう。そうしないとどうにも動けなくなるしな」

 一旦はそうするしかない。警戒は必要だろうけど、もし本当にバレていないのであれば好都合だ。今回アタックして鎮静化させたダンジョンは星無しである春道ダンジョン。

 次の定期巡回がいつなのかは知らないが、当面見つかる可能性は相当低いと思えた。


「となると、目の前にある残った問題はレベルアップとこのコマンドバーだな」

 俺の言葉にくるみが、きょとんとした顔をした。

「コマンドバー……ですか?」

「うん?もしかしてくるみにはこのコマンドバーが見えていない?」

「何も見えていませんけど」

 俺の目の前にあるコマンドバーを指差しても、くるみには何も見えていないようだった。

 コマンドバーを何度指差してもやはり見えないらしい。ポチッ。


「………あぁぁっっ!!」

「え!? なに!?」


 いきなり大声を出した俺にびっくりしたくるみが驚いた。

 やっべぇ! これやっちまったんじゃないの!?


『ダンジョンの制圧化へ進みませんでした。本日より二週間の鎮静状態に移行します』

『鎮静状態の間、ダンジョンは全ての活動を休止いたします』

『レベル0ダンジョン鎮静状態解放まで残り 十三日 23:59:59…58…57……』



「高梨さん…大丈夫ですか……?」

 俺の事を心配そうに見ながらくるみが言う。


「あ、あぁ大丈夫。ちょっとやらかしちゃっただけ…」

「な、なななにをしちゃったんですか!?」

 目の前で次々と切り替わっていくコマンドバーを凝視していると、くるみが慌てた様子で聞いてくる。その言葉尻からいかにこういう時の俺が信用されていないのかがわかるな。


「なんかよく分からんけどダンジョンの制圧化ってやつを拒否するボタンを押しちゃってな」

「何やってるんですか!!!」

「だってェ!指差してたら反応しちゃったんだってば!」

「だってとかそんな子供みたいな言い方で言わないでください!!」


 今も目の前で秒数が減っていくコマンドバーを見ながら狭い車内でギャーギャーと喚き合う。くるみが身を乗り出しながら言っている影響で膝上のクロが潰れそうになってるぞ。


 うん、やっぱり締まらない最後だったな。

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