第4話

「くせぇ…気持ちわりぃ……」

 血のすえた臭いで俺は目覚めた。

 ゴブリンを倒したところまでは覚えている。

 最後は右から左へ槍を薙ぎ払い、ゴブリン共の大量の血を浴びたはずだ。

 内臓やら色々なものが飛び散りながら真っ二つになるゴブリンの姿が脳裏に映る。


「おぇ……」

 せり上がってくる吐き気に耐えきれず、その場で嘔吐してしまった。

 吐き出すものが無くなっても胃酸が次から次へと腹から上がってくるように感じる。

 喉が胃酸によって痛められ、思わずせき込んでしまう。

 あまりの痛みに思わず涙が出てきた。

 せき込みながら涙を流していると、段々と笑みが沸き上がってきた。

「げほっ、ごほっ、…は、あはは…。あはははは!!」


 その場で立ち上がり、両手を上げて強く突き出す。


「あはははは!!やったー!!」


 それは正しく生の衝動だった。

 あんな力はもうこの先出せないかもしれない。

 唯々無我夢中で槍を振り回した。こんなに何かに必死になったのは子供の時以来かもしれない。


「やったやったー!俺はやってやったぞー!!……ん?」

ピョンピョンと子供のように飛び上がって喜んでいるとこで気付いた。

あれ?どこも痛くねぇじゃんか、と。


左わき腹を軽くなぞってみる。

…痛くない。

だが、服はゴブリンに短剣で斬られた時そのままに裂かれている。

それに服には大量に血痕が付いていて、傷を負った事実を物語っている。

なのに左わき腹には全く傷はなかった。


左わき腹以外にも負った小さな傷もよく見ると全く残っていない。

よくよく考えてみると、あれだけ傷を負って血を大量に流したにも関わらず問題なく生きている事自体もおかしい。


 そこまでしてから初めて周囲を見渡した。

「ゴブリンの死体が、ない…?」


 確かに槍で突き刺した、薙ぎ払ったゴブリンの死体が全く残っていなかった。

 部屋の端にいつの間にか落ちていたヘッドライトを手に持ち、周囲をくまなく見まわる。

 すると床がキラッと光った。

「ん、これは…魔石か」

 床には小さな光る石が落ちていた。

 およそ小指ほどの光る石だ。


 探索者協会HPで見たことがあるのでわかった。

 次世代エネルギーとしてすでに利用されていると書かれており、主に電力の代替として使われるとも書かれていた。

 最も小さな魔石がこのサイズで、買取価格は1つ500円程度。

 モンスターがダンジョン内で討伐された時にドロップする最たる例として魔石が挙げられており、下層に生息するモンスターの魔石は天井知らずで買取価格も上昇するそうだ。


 恐らくだが、討伐されたモンスターの死体はダンジョンに吸収されたのだろう。

 目覚めて初っ端でゴブリンの惨殺死体を見なくて済んだ事にほっとした。



 魔石の他に、床には真ん中からぽきりと折れた槍が転がっていた。

「まぁ、プラスチック製にしてはよくもったほうか?むしろ6体もスパッと斬れた事に驚きだけども」


 せっかくクロが愛情込めて?作ってくれた槍だったが、やはり素材の問題ゆえか初戦で壊れてしまった。

 それでもクロなら再度飲み込んで吐き出してくれるかも、と思い回収する事にする。

 今回はたまたま最後までもってくれたが、槍が途中で折れてしまっていたら確実にお陀仏だったな。


 と、そこまで考えてすでに次のアタックを考えている自分に苦笑する。

 喉元過ぎればなんとやら、どうも俺は先程までの死闘で懲りていないようだ。

 元来の楽天的な性格も相まっているのかどうかはわからないが、次はもっと上手くやらないとな、と思えている時点で全く懲りていないな。



「さてさて、いよいよお目当ての宝箱開帳っと」

 この部屋に入ってきた当初の目的に近づく。

 回収した折れた槍の柄で宝箱を何度かつついてみる。

 特に罠などは無さそうで宝箱はぴくりともしない。

 もう少し強く押してみたが、どうやら宝箱は固定されているらしく動かす事は出来なかった。


「まぁ★0ダンジョンでそんな凶悪な罠があったらビビるわな」

 そう言いつつ宝箱に近づき、蓋を開けると同時に後方へダッシュした。

 ギィィ…という軋んだ音とともに宝箱が開く。

 少し離れた場所からヘッドライトを宝箱に当てつつ暫く様子見をしたが、遠くて中身が見えない。

 警戒しながら恐る恐る近づいて宝箱の中を見ると、そこには小瓶が入っていた。


「これは、ポーションかな…」

 ヘッドライトで小瓶を照らすと、中には鮮やかな青に染まった液体が入っていた。

 ポーション…いわゆる傷薬・回復薬の類だ。

 老化などには効かないが、擦り傷に切り傷、果ては内臓破損や欠損まで治してくれるものもあるらしい。飲んでよし、塗ってよし、浴びてよし、だ。

 小瓶を少し揺すってみると、瓶内で液体が緩やかに揺れる。若干の粘度があるようだ。

「たぶんポーションだろうな。まぁ春道ダンジョン産だから大した等級じゃないか」


 とはいえ、俺にとっては初めてのお宝だ。

 割れないように気を付けてながらリュックの中にそっとしまった。

 ポーションをリュックにしまう時にスマホを取り出す。ダンジョンにアタックを開始してからすでに3時間弱。間もなく設定したアラームが鳴る、といったところだ。

 この部屋にアタックしたのが2時間ほど経過した時だったから、戦闘時間を考えると俺が気を失っていた時間はかなり短かったようだ。

 傷が全て無くなっている事などにも改めて疑問を感じつつ、俺は小部屋を出た。

 閉じ込められた時とは大違いで、扉はスッと開いた。



◆◇◆◇

 ダンジョンを出たのは結局日をまたいで1時半を過ぎていた。

 帰路はほとんど小走りだったから行きよりも時間は短縮されている。それでも近くのコインパーキングに止めた車に戻る頃にはヘトヘトになってしまっていた。


 俺は今すぐにでも目を閉じてしまいたい気持ちをなんとか抑え、車を走らせて帰宅を急いだ。

 なぜか全身に浴びた血は消えていたが、それは俺の身体の事であって衣類には血がこびりついている。時間経過ですでに血は黒くなっているが、それでも鉄の臭いがずっと鼻につく。

 それにこんな格好のままで誰かに見られたら間違いなく即通報ものだろうな。





 帰宅後、ひとしきりクロを抱きしめて気持ちを落ち着けた後、シャワーを浴びてリビングでやっと一呼吸吐いていた。


「ぽっきりと折れちゃったな…」

 机の上には、真ん中からポキリと折れてしまった槍。

 まだスペアが3本あるとはいえ、目の前の槍を改めて見ると鬱屈とした気分になる。

 無我夢中で振り回していた時には気付かなかったが、穂先は欠け、柄もよく見てみれば折れた部分以外でも細かな傷がたくさん付いている。

 恐らくだが穂先はゴブリンの持っていた武器に当たったりした時に欠けてしまったんだろう。柄についても遮二無二振り回していたので、あちこちに当たっていても不思議じゃない。

 槍にはそこかしこにゴブリンの血が付いており、すでに変色してどす黒くなってしまっていた。


 なぜだか無性に申し訳ない気持ちになり、立ち上がってキッチンからタオルと水を浸した小鍋を持ってきて汚れた槍を綺麗に拭いていく。

 みるみるうちに槍の汚れは取れ、タオルが汚れていく。


「よし、ある程度は綺麗になったな」

 槍は折れてしまっているし、傷も多い。

 それでも俺はクロが作ってくれたこの槍を綺麗にする事で、わずかばかりの平静を取り戻せたような気がした。


「クロ、ぽっきり折れちゃったけどこの槍修理出来る?」

 俺の作業風景を見ていたクロに声を掛けた。

 ぷるぷる。


 ……ふむ。一回だけ震えたな。

 いつもなら二回震えるのに一回しか震えなかった。

「直す事は出来るってことだな?」

 ぷるぷる。ぷるぷる。

「ふむふむ。直す事は可能だけど、ただ同じように直すだけって意味か?」

ぷるぷる。ぷるぷる。

やはりそういう事か。


 クロの言いたい事はなんとなく理解出来た。

 直せるけどそれでいいの?またすぐ壊れるよ?とでも言いたいのだろう。

 その懸念点は俺にも十分理解していた。槍を大事に扱わない、というわけではないが、不必要に槍の破損状況を気にする事で隙も生まれるだろうし、かといって気にせずに槍を振り回して万が一戦闘の途中で槍が壊れたりでもしたら目も当てられない。槍の耐久血を上げる方法は急務だった。


 ならば、と俺は壁に掛けられていたスペアの槍を指差す。

 まだスペアは3本ある。

 接近戦用に別の武器も作ってもらうつもりなので全ての槍を使う事は出来ないが、少なくとも1本くらいなら大丈夫だろう。

「あそこにある槍のうち、1本を一緒に使って密度の高い槍を作るのはどうだ?」

 俺の言葉にクロは壁に掛かった槍をちらり、と見てから俺に向き直った。

 ぷるぷる。

「2本使ってもまだ弱いって事か?」

 ……。

 ん?違うの?

「うーん、そもそも槍を2本使って密度を高くする事は出来る?」

  ……。

 …マジか。

 どうやらクロは今ある槍以上の物を作りだす事は出来ないようだった。



 どうしたものか…と悩む。

 現状を打開する方法を二つ考えるが、どちらも弱い。

① 槍を複数本所持してアタックする……どう考えても無理がある。

② 槍を諦めて剣などを複数本所持してアタックする……接近戦怖い。あくまでも接近戦は敵に近寄られた時だけに限定したい。


 これら二つの方法以外を模索する、という体で問題を棚上げする事にした。

 客観的に自分を見つめた時に、接近戦を上手くこなせる自信が全くない。かといって所持キャパ的に考えて槍を複数本持つとかどう考えても無理がある。


 槍問題は一旦横に除けて戦利品を確認する事にした。リュックからポーションと6つの魔石を取り出す。ポーションはあの木箱から出てきたお宝で、魔石はゴブリン達から手に入れたものだ。

 ゴブリン達がドロップした魔石自体の価値は非常に低い。買おうと思えば普通に買える程度の価値だ。


 小瓶に入ったポーションを机に置き、パソコンを立ち上げる。

 開くページは探索者協会HPだ。

 以前、魔石の相場価値を見ていた時に、ポーションの買取相場も見たことがあった。

 どうせ俺は探索者登録もしていないはみ出し者だから買取はしてもらえない。

 だがそれでも自分が初めて手に入れたお宝の相場を知りたかった。


「F級ポーション、買取価格は5000円か…」

 思ったよりも高くてびっくりした。

 魔石が一つ500円の6個で3000円に、F級ポーション一つで5000円の計8000円か。

 危うく命を落とす危機だった事を考えると、高いと捉えるか、安いと捉えるかは微妙なところだな。きちんと鑑定してもらったわけではないからF級ポーションで確定ではないが、記載されている内容を見るとまず間違いないだろう。

 とはいえ、俺は買取が不可だから自分で消費する他使い道が無い。

 まぁこのポーションがもし買い取ってもらえるとしても売らんけどね。


「でもなんだかんだ言って先立つものが無いといつまでもこのまま継続出来るとも思えんしなぁ…。どうしたもんか」


 パソコンの画面を睨みながら腕を組んで唸る。

 初アタック前に買った上着はすでに今日のゴブリン戦でダメにしてしまっていた。

 他にも帰ってきてからよく見たらヘッドライトも傷だらけになってしまっており、そう長くは保たないだろう。



 俺は薄給ブラック企業に勤めているが、幸い?悲しい?事に碌な趣味も友人もいなかったので、極端に支出の少ない生活を送ってきてお陰で今すぐに資金が枯渇するという状況にはならない。


 とはいえ所詮は薄給サラリーマンだから一回のアタックで支出がどんどんと続けばそのうちに限界を迎えるだろう。しかもクロが作る武器防具には常に耐久値の問題を孕んでおり、定期的に資材の確保も必要となる。


 探索者を始めるうえで最も初期資金に使われる武器防具が安く済ませるのは大きな利点だが、壊れやすいという致命的なポイントは解決案が見出せていない。


 ぐぬぬ…と唸る俺だったが、ふとクロを見ると何やら口をモゴモゴとさせていた。


「クロ、お前何食べてんだ?この辺にクロが食べそうな素材は無かったはずだけど…?」

 ふと、机を見るとそこにはポーション瓶しか残っていない。

 小指程度の大きさの魔石が6つあったはずなのに、それらが綺麗さっぱり無くなってしまっている。


 クロの口の中からはコロコロ、と音がする。

「もしかして魔石を食べてるのか!?」

 俺はびっくりしてクロに近寄る。

 魔石が勿体なくて驚いたのではない。

 所詮一つ500円程度の物だ。しかも買取不可だから実質無価値。

 無くなったとしても痛くも痒くも無いが、そもそもモンスターが生み出した魔石を、曲がりなりにもモンスターであるクロが食べても大丈夫なのだろうか?


 んべェ…とクロは長い舌を出して俺に見せてきた。

 舌先には6つの魔石が乗っているが、少し溶けてきてる?

「え、なんなのそれ。甘いの?アメ的なものなの?」

 ぷるぷる。ぷるぷる。

 マジかよ、本当にアメ的なやつだったよ。

 いやまぁ、人体?モンスター体?に影響が無いのならいいけどさ。


 しばらく口の中でコロコロと魔石を転がしていた(コロコロという音はクロの口内で魔石がぶつかり合った時の音だと途中で気付いた)クロだったが、数分ほどして口内の魔石が小さくなったようで、ごくん、と飲み込んだ。


 途端、クロの身体がピカッと光りすぐに消えた。


『レベルが上がりました』



「えっ」

俺の頭の中で無機質な言葉が流れる。

 感情を削げ落としたAIが喋ったような感じだ。全くもって意味が分からない。

 


「クロ、もしかしてレベルが上がった?というか魔石食べたらレベル上がるの?」

 ぷるぷる。ぷるぷる。


 あー、そうかー。そっち系かー。

 ぷるぷる震えるクロになんだかちょっと笑えてきた。




◆◇◆◇


……あれ?

と思ったのは、木曜日の事だった。


 すでに時刻は深夜12時を過ぎている。例のごとく馬車馬のように働き例のように終電に飛び乗って帰宅してから晩酌していた時だ。


 「……なんでこんなに元気なんだ?」


 日曜は深夜までクロとレベルアップについて色々と考察をしていて、就寝したのはかなり遅い時間だった。そこから2時間程度だけ眠って、遅刻しそうになって慌てて出社、そのまま終電まで働いた。火曜も水曜も、今日も同じ。ブラック企業ここに極まれり!なんて勢いで働いていた割には、それほど疲れていない。いや、疲れているんだけど、気力がそこまで落ちていないっていう感じ?


 今までであれば土日にこれだけ無茶をして月曜を迎えた場合、週末になるともはや体力が尽きてメンタルだけで徘徊するリビングデッド状態のはず。

 そう考えると今の俺は元気過ぎる気がする。勿論疲れているんだけど、数値にするとまだHP100の内の80はあるって感じか?それも今日寝たら明日には全快してそうな気がする。

 大体、今までなら終電で帰宅後ににクロと遊びながらゆっくり晩酌なんてしなかったはずだ。酒の力など無くても布団に横になったら寝られたし、寝たとしても翌朝の爽快感は無く、死んだように起きていたはずだ。


 こんなに元気な理由は一つしかない。先週までと今週との違い…。

「レベルアップが原因か」


 それしか考えられなかった。予測したように本当に体力値が1.5倍になっているのかもな。

 そりゃぁ体感するほどにもなるってものだ。

 むしろ木曜日まで気付かなかった俺バカタレだわ。火曜日くらいには気づいとけよ、と心の中で自分に毒を吐いた。

 しかしここまでレベルアップによるステータスアップが劇的なものなら、なんで皆もっと積極的にダンジョンアタックしないのだろう。武器防具の値段が問題?でもそれはあくまでも庶民だけの話であって、多少の金持ちなら皆こぞってダンジョンアタックしそうなものだけどな。俺は腑に落ちない思いを抱きつつ、眠りに着いた。



 ヨシ、と小さく呟いて春道ダンジョンに足を踏み入れる。

 右手には勿論、クロ謹製のシンプル槍だ。強化+1ってとこか?


 時刻は土曜早朝5時を少し回ったところ。

 金曜は22時頃に帰宅出来たので、晩飯を食べて日をまたぐよりも早く布団に入ってしまったのだが、なぜか4時前に目が覚めてしまった。

 1週間の疲れは全く残っておらず、驚く程爽快な目覚めだ。レベルアップすげぇ。


 二度寝も出来そうにないし、どうしようかな…と逡巡したが、槍の調子も見てみたかったし、前回の失態を取り返そうと決意して、ミュートにしたテレビをじっと見ているクロを軽く撫でてダンジョンに来たのだ。

 

 ってか、俺が寝る時にまだ起きていて起きた時もテレビを見ていたクロはいつ寝ているのだろうか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る