第3話

◆◇◆◇

 クロが槍を吐き出してから3日後、俺はダンジョンにやってきていた。


時刻は21時を少し回ったところか。勤務先の会社から車でおよそ1時間のところにダンジョンはあった。

 お前だけ早上がりかよ、とでも言わんばかりの周囲の視線をよそに俺はこそこそと帰社すると(それでも定時を2時間超えていたが)、会社近くに止めていた自家用車に乗り込んで意気揚々と目的のダンジョン近くまでやってきた。


 目的のダンジョンは閑静な住宅街が有名な某駅近くの空き地に存在していた。

 ダンジョン発見当初は周囲の土地価格が暴落し、新築戸建てを買ったばかりの家庭が大いに嘆いたそうだが、早々に★0ダンジョンに認定されてからかなり地価は持ち直したらしく、今でも建設中の一軒家がちらほら見受けられた。



「ここが【ダンジョン№98 春道ダンジョン】か」

 空き地内に不自然にぽっかりと口を開けている。俺が探していたダンジョンである春道ダンジョンの入口が見つかった。

春道ダンジョンは昨年に見つかったダンジョンで、ダンジョン自体は特筆するポイントは何もない。

規模は非常に小さく、また、出てくるモンスターがゴブリンやコボルトといった所謂雑魚ばかりという事でドロップも乏しく、人気のないダンジョンとして有名だった。

 すでに間引きも完了して休眠ダンジョンとされており、初心者向けとして認識されているが、あまりにも規模が小さい事、そしてドロップが少ないという事で初心者にすら見向きもされないダンジョンとしての方が知られているらしい。(ネット情報)


 春道ダンジョン…★0、定期巡回3カ月に1回(変更あり)

 ポップモンスター…ゴブリン、コボルト


 これが探索者協会HPで春道ダンジョンについて記載されている内容だ。

 ぺらっぺらの内容で、注釈などもろくに書かれていない。

 全く警戒していませんよ、興味もありませんよ、とでも言わんばかりだ。

 定期巡回はまさかの3カ月に1回で、しかも変更ありと書かれている。

 たぶんこれから何度か定期巡回しつつ、段々と巡回の回数を減らしていくつもりなのかもしれない。

 ただでさえ枯渇気味な探索者を星0ダンジョンにまで派遣し続ける意味は少なく、ドロップも少ない。

 協力探索者に少なくない謝礼を協会が支払わねばならない事を考えると誰も喜ばない図式が出来上がってしまっているのだ。

だがそんな春道ダンジョンの現状は俺にとっては非常に好ましい状態だと思えた。




◆◇◆◇


「靴よし、服よし、カバンよし、ヘッドライトよし、最後に槍、よし」


 ダンジョン付近に人の気配はまず無いと確認した俺は、ダンジョンアタックする事を決めた。事前準備はすでに済ませてある。

 トレッキングブーツ、サバイバルナイフ、ヘッドライド、小物などを入れるリュックを買ったりなどだ。


 俺はソロなので当然荷物も全て自分で持つ必要がある。

 上級探索者にもなると泊まり込みでダンジョンアタックをする事もよくあるらしいが、企業戦士である俺は当然ながら日帰りで行って帰ってくるつもりだ。


 ってかいきなりそこまでする勇気は俺には無い。なので荷物は最低限のみで。


 初めてのダンジョンなのでどの程度進めるかは不明だが、事前にスマホで3時間後にアラームが鳴るように設定しておく。スマホのアラーム設定を終えるとスマホをリュックに突っ込んだ。


 ダンジョン入口前に立ち、ライトで中を照らしてみる。

 本来なら、ライトに照らされて内部が見えるはずなのに、まるでそこに壁でもあるかのようにライトの光量はダンジョンの中には一切入っていかないようだった。うん、やっぱりクロの口内とよく似ているな。


 ダンジョン内部はその入口の大きさと相反し、様々なフィールドや階層があるらしく、中には厳寒地帯や大草原地帯などもあるそうだ。

 ただし各階層のフィールド特性は固定だが、毎回内部構造が変化するらしくマッピングは一切意味を為さないらしい。

 それらを探索者協会HPで読んで、まるでどこぞの不思議なダンジョンだなと思ったのでよく頭にも残っている。

 しかもこれまたゲーム的特徴なのだが、同時アタック人数は1パーティーで5名まで、と決まっているらしい。

 5人までなら経験値がパーティー内で共有されるとの事。…ソロ確定の俺には全くもって意味を成さない情報だな。ま、まぁ…ソロなら経験値総取りラッキーとポジティブに捉えよう。


 6名以上でアタックした場合、あぶれた人間は別パーティーとして認識されるらしく、別の場所に転移させられる為、絶対にしてはならないときつく書かれていた。


 ちなみに世界で最初に出現したナミブダンジョンは、5×80の400人でアタックして生還者が1名だというのだから恐ろしさが改めてよくわかる。


「あんまり悠長にもしてられないし、早速だけど入ってみるか」

 俺はヘッドライトの位置を調整し、深呼吸をするとダンジョンに足を踏み入れた。



◆◇◆◇

 春道ダンジョンでのポップモンスターはゴブリンとコボルトだ。

 どちらも超初心者向けとされており、注意して戦えば無傷で倒せるモンスターとされている。

 とはいえ俺が持っている槍がそもそも通用するのかどうか?などの不安要素もあるので、用心するに越した事はない。


 だが、拍子抜けするほどに何の変哲もないダンジョンをゆっくりと歩きながら色々と考えていた。

 春道ダンジョン内はいたって平凡な作りの構造だった。

 横幅は5メートルほど、高さも同じくらいか。道は一本道が延々と続いている。

 立ち止まって周囲に耳を澄ましても、何の音も聞こえない。

「…いくら★0だと言ってもこんなに何も出てこないもんかね?」


 ブツブツと独り言を言いながら歩く。

 張りつめていた緊張は知らず知らずのうちに解かれており、槍は右手にしっかりと握られているが穂先はすでに下を向いていて、もしも目の前にモンスターが現れても咄嗟の対応は出来ないような状態だった。


「……なんだこれ?扉か?」

 モンスターも現れず、宝箱もなく、分かれ道も無い。

 そんな変化の乏しいダンジョン内で、道の途中に扉を見つけた。

 扉には変な模様が描かれているだけで、特に何も書かれていない。

 取手が無いので押すタイプだろうか?


 そっと扉に触れてみる。

 なんとなく少し力を入れただけで開きそうな感覚だった。

 明らかに罠くさいこの扉を開けるべきか、はたまた開けざるべきか…。

 俺は扉に手を触れたまま悩んでいた。リュックからスマホを取り出す。

 すでにダンジョンに入ってからおよそ2時間弱が過ぎていた。

 

「……ふむ。このままだと何のために来たのかよくわからんね」

 その言葉の通りだった。

 時間と労力を費やし、今日のアタックの為になんだかんだで数万使ってしまっている。

 マイナスを取り返す為にさらに突っ込むのはギャンブルにハマった人間と同じ思考みたいでいやだが、それでも何も無しはいくらなんでも酷すぎる。

 俺の決意を返してくれ、とでも言いたくなる。



 槍を握る手に、少し力を入れる。

 扉をゆっくりと押し開いていく。

 身体半分ほど押し開いたところで、ヘッドライトで室内を照らした。

 およそ20畳ほどの薄暗い部屋だ。部屋の奥中央には簡素な木箱が一つ置かれているようだ。

 あれは、宝箱的なやつだろうか。


 宝箱の等級はその箱の豪華さで示されると探索者協会HPにも書いていた。

 見えている宝箱らしきものは、しょぼくれた木箱だから等級はかなり低いものだろう。

 それでも初めて見る宝箱に嬉しくなり、扉から手を離す前に改めて周囲を見渡すと特に注意するべき点も見当たらなかったのでそのまま室内に入り込んだ。


 ギイィィ……バタン。カチャリ。

 扉がいやな音を立てつつ閉まると、これまた最後に非常にいやな音が聞こえた。


 途端に嫌な汗が出てくるのも厭わずに力を込めて扉を押してみる。

 扉は、開かない。

 不意に、背中から気配を感じる。

「な、なんだ!?」

 慌てて振り向いた先には、醜悪な顔をした小鬼のような緑色の生き物。

初心者向けと言われているゴブリンが各々の手に斧や短剣などを持った状態で6体、俺の前に現れたのだった。




「くっ!うらぁっ!クソが!!」


 槍を無茶苦茶に振り回しながら俺は叫んでいた。

 無情にも時間とともに体中に傷が増えていく。


 ゴブリンは6体現れ、それぞれに短剣や斧などを持っていた。

 弓がいないだけマシな状況なのかもしれない。

 それでもゴブリン達は連携をしつつ左右から攻撃を仕掛けてくる。

 俺は迎撃をしながら少しずつ移動をし、小部屋の角へと逃げる。

 これで少しでも左右からの揺さぶりが減るはずだ。


 ゴブリンはコボルトと並んで初心者向けだと言われている。

 個々の能力は非常に低い。

 だが初めての戦闘が複数戦とは想定などしていなかった。


 初めての戦闘はモンスター1匹って相場で決まってるはずだろうが!

 いきなり罠部屋にハメられて6体との戦闘なんて聞いた事ねぇよ!

「くそっ、くそっ、くぅ…!!いってぇ!」

 

 短剣を持ったゴブリンが左手から攻撃してきた。

 わき腹を掠めるように放たれたその攻撃に思わず声を上げてしまう。

 左わき腹から、どくどくと血が流れるのがわかる。

 だが、痛みばかりに気を向けていられない。ゴブリンは間断なく攻撃を繰り返してくる。


 息が切れ、心臓は今にも破裂しそうなほどに鼓動を続けている。

 血を流してはいけないとわかっているのに気が急いてしまい、心臓はさらに鼓動を速め続ける。


 このままでは不味い…。

 とにかく近寄られたくなくて、振り回していた槍をゴブリン達に再度向けなおす。

 いずれこのままでは死ぬ。

 力を込めて槍を握りなおすと、眼前にいた斧を持ったゴブリンに向けて突き出した。

 「ぐっ……!!」


 わき腹の痛みに思わず苦悶の表情を浮かべるが、突き出した槍の力は弱めない。

 「グゲゲッ!」

 槍がゴブリンの胸を貫く。

 ゴブリンは悲鳴を上げるとそのまま後ろに倒れた。

 ずるり、と音をしつつゴブリンの胸から槍が抜けていく。

 槍には突き刺す前にはなかった鮮明な赤色の血がべっとりと付着した。

俺が握る柄の部分とは全く別物になってしまった槍を、勢いそのままに左手にいたゴブリンへと突き刺す。

俺のわき腹を攻撃したゴブリンは横にいた仲間が殺された事に一瞬驚いたようで、その隙に槍を突き刺した。


 これで2体目。あと4体…。

 もはや声を出す余裕もない。

 わき腹はじくじくと痛むし、膝はガクガクだ。

 だがここで止まってしまったら確実に死だ。

 俺は血で槍が滑らないように注意しつつ、無心で向かってくるゴブリンに槍を突き出した。


 仲間を2体殺された事で残る4体はいきり立っているようだった。

「グギャギャギャ!グギャー!!」

 2列目にいたゴブリンが短剣を振り回しつつ攻撃してくる。

 俺はゴブリンから視線を外さず、槍を握る手に力を込めて突き刺す。


 これで3体目。突き刺されたゴブリンはそのまま倒れ落ちた。

残りは半分だ。


 半分まで減った事で、残りのゴブリンの目つきが変わった。

 先程のようにいきり立って攻撃をしてこない。

 俺の失血死を待っているのか。

 いや、違う。

 6つの目が俺をじっと見据えている。

 その目はまるで、何かの機を図っているかのように。


 ゴブリン達が3歩下がった。

 俺の頭に疑問符が浮かぶ。

 すでにゴブリン達は槍の間合いの外にいて、さらに3歩下がる理由がない。

 それに俺はもはや満身創痍で、迎撃は出来ても自分から攻撃出来る気がしない。


 ゴブリン達が小さく息を吐き、身体をわずかばかり前のめりにした。

 まずい!俺は3体のゴブリン達の意図を理解した。

「ギャ!」

 掛け声とともにゴブリン達が横一列のまま俺に向かって駆けだしてきた。それは俺が最もして欲しくないゴブリン達の攻撃だった。

 俺はソロでのアタックであり、同時攻撃による横からの揺さぶりに弱い。事実、すでに殺したゴブリンも隙を衝いた単独撃破でしか対応出来ていない。俺が振り回す槍の動きから素人である事がわかったのだろう。一斉突撃をする事で俺の視界全てから攻撃を仕掛けるのだとわかった。


 いずれかのゴブリンは突き刺す事によって殺せるかもしれないが、残りの2体によって俺の身体はズタズタに切り裂かれてしまうのは間違いない。


 どうせこのままでは死んでしまうのだ。

 最後の気力だと言わんばかりに槍を強く握る。

 痛むわき腹に耐えつつ、両足を少し広げて踏ん張るようにわずかに腰を落とした。

「うおぉぉぉぉ!!」


 ゴブリン3体が間合いに入る。

 両足でしっかりと地面を踏みしめ、精一杯の力を込めて右から左へ槍を薙ぎ払った。

 まともに槍を振るった事のない俺の技量では綺麗な横一文字に薙ぎ払えず、右下から左上へ巻き上げるような形となったそれは、右手にいたゴブリンを腹あたりから、中央にいたゴブリンを胸から、右手にいたゴブリンを首から真っ二つにした。

 右手にいたゴブリンを切り払った時に、槍からは”ピシッ”と軋む音が鳴る。


 ゴブリン達は血を噴き出しつつ崩れ落ちた。内臓がはじき出されるように飛散する。

 俺はゴブリン達の鉄臭い返り血を浴びながら、必死に最後の力を振り絞って槍を杖のように立てて掴まる。


 もはやピクリとも動かないゴブリン達を確認すると、俺は槍を持つ手から力が抜けていくのがわかった。

 からんからん、と槍が床を転がる。そのまま槍は真ん中から二つに割れてしまった。

 よくここまでもってくれたもんだ…。

 俺は心の中でそう思いながら急速に意識が遠くなっていくのがわかった。


 両膝から力が抜ける。

 力を失った身体は、そのまま床に崩れ落ちた。



『レベルアップしました』



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