死ぬ僕と生かす死神
暁 千里
第1話 最悪な初めまして
今思えば、朝からついてない一日だった。
寝坊をして走って駅に向かえば、定期券は昨日付けで期限切れだったし、財布を鞄から取り出せば、開いていたのか鞄の中に小銭が散らばっていた。
上司に怒られながら仕事を始め、昼食は当たり前のように忘れそれでも何とか仕事を終わらせて定時から二時間程過ぎたところで会社を後にすれば外は雨が滝のように降っていた。
勿論、寝坊して定期券にも見捨てられ、お金を鞄の中に散らばせた俺に傘を持っているなんて奇跡はなく、俺の心を現したような雨にただため息一つ零すだけ。
だから、仕方ないんだ。
こんなについてない一日だから、奇妙なものを見ても仕方ない。
そう思いたくなる程に目の前の現象を受け入れられない。
「あれ、もしかして私のこと見えてます?」
目の前にいる奇妙なものはそう言って首を傾げた。
見かけは人そのもの。年は二十歳前後ぐらいの女性で身長はかなり低め。
そう、そこまでは良いんだ。問題はそこじゃない。
身にまとっている服は、どこぞのファンタジーかと突っ込みたくなるような白のローブで手には背丈に合わない巨大な鎌。まだ、6月のはずなんだが、夏のコミケが今日あったかと思いたくなるようなコスプレ女が俺の目の前に立っていたのだ。
でも、問題もそこじゃない。コスプレ女ぐらい無視出来る。
そういう趣味なのかー。良いと思います。ただ雨の日なので自作の鎌はいかがなものかと。ぐらいで納得できる。
一番の問題は彼女が透けている事だ。
彼女の向こうに杖をついた老婆が見える。つまり、そう、彼女はコスプレをしている幽霊。
「あれ、見えてないですか?それとも見えているだけで声は聞こえてないのかな」
絶句したまま何も言えない俺を置いていくように彼女は顎に手を当てて悩み始め、そのままこちらに向けて歩を進め始める。一歩一歩、歩を進める度に揺れる鉛色の鎌。やけにその鎌が光っているように見えてようやく俺は後ずさる事が出来た。
しかし、傘を忘れて会社の玄関前で立ち尽くしていた俺に下がれる距離は左程なく、背中はすぐに玄関の扉に触れてしまう。
梅雨特有の暑さとは反対に、体は震え上がり、うまく噛み合わない歯はガチガチと音を鳴らし、脂汗が額に滲む。それでもじりじりと距離を縮めてくるコスプレ女はそんな俺に気づくことなく、呟きながら近づいてくるもんだから余計に怖い。足ががくがくと震え、腰が抜けて尻餅をついたところでやっと声が出た。
「な!なんですか!?あなたは!!」
絞りだした声は、上ずり震えていて、言いたいことの一つも言えない程。
それでも目の前のコスプレ女は、そんな声を聞いて嬉しそうに笑ったのだ。
でかい鎌をそのままに小さな体をピンッと姿勢正して綺麗なお辞儀をした彼女は楽しそうな声でとんでもない事を告げた。
「やっぱり、見えていたんですね!私のことを見える方なんてそうそういないからうれしいです。私は、死神の滝野と言います。浅木 裕也さん。あなたの寿命が後わずかなので、私の使命を果たしに来ました!」
死神。寿命。その言葉だけで十分だった。
殺される。このコスプレ女は俺を殺そうとしている。
理解したのが先だったのか立ち上がったのが先だったのか、気が付いたら俺は駅に向かって駆け出していた。
滝のような雨の中、傘も差さずに走る俺を奇妙な目で見ている人が多くいたけれど、今の俺には、あの奇妙な女から逃げることしか考えられなかった。
びしょ濡れになった体をそのままに、電車に乗り、電車から降りたときにはあのコスプレ女の姿はもうどこにもなかった。その事実が、震え上がっていた体に血を巡らせ、雨を大量に含んだ服の重さを実感させた。
助かった。その言葉だけが頭の中に何度も浮かび上がる。
夜ごはんを買い忘れたし、スーツがびしょ濡れで明日の出勤もどうしたら良いのかわからないけど、今はどうでもいい。
助かった。コスプレイカレ女から逃げる事が出来たのだ。ふっと笑みを浮かべ駅から一歩歩道に歩みを進めた時、俺の視界の端に、白い服を捉えた。
「もう!人の話は最後まで聞いてくださいよ!」
それは先程、確かに振り切ったコスプレイカレ女だった。
駅にも電車の車内にも居なかったはずの女が先回りしている。
「俺、殺されるのか・・」
せっかく逃げたのに。こんな変な女に殺されるのか。
まだ、守れてないのに。
震えながら呟いた言葉に目の前のコスプレ女は目を大きく見開いた。
「え!?違いますけど!?ちゃんと説明するので、最後まで聞いてください。ただ、私の姿はあなたにしか見えないので、可能ならあなたの家に行きましょう。」
そう言って困った顔をした女はさっきまで地面につけていた足を浮かせて、それから消えた。そこまでして、やっと現状を理解し始めた俺は逃げれない事を悟り家に向かって歩を進める。
別に女の意見を信じたわけではない。
消えた女は恐らく幻覚か、本物の人外。なら、逃げてもどうしようもないと悟ったのだ。
あぁ、本当に今日はついてない。
まさか、こんなことになろうとは・・・。
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