第12話 おまじない

 その後、由衣は制服を着替えると言って二階に上がって行き、戻ってきたのは一時間以上後の事だった。着替えるだけにしては長い時間だと思うが、何か考える事でもあったのだろう。

 俺も混乱した頭の中を整理するには時間が必要だった。

 

 着替え終わって戻ってきた由衣は驚くほど普通の様子で、先ほどキスをしてきた事など微塵も感じさせない雰囲気だった。何食わぬ顔でゲームの続きをやろうと言い出し、コントローラーを持ち、ソファーに座る。ただ、先程と違うのは、俺と由衣の座っている位置が、多少離れている事だろうか。

 横目で由衣の顔を盗み見るも、綺麗な笑顔が見えるだけで、何を考えているかなど分かりはしない。

 直接聞ければ悩む事など無いのだが、そんな勇気が俺にあるはずも無く、ただ悶々としたままゲームを続けていた。

 

 

 夕食時になり、一家団欒として食卓を囲む。

 ここでも由衣はいつもと変わらぬ様子で、家族の中心になり、俺達に満遍なく話題を振りまいて場を賑やかにしていく。

 俺はというと、どうしても由衣の事が気になり、自然と視線がそちらに吸い寄せられる。とりわけ、由衣の唇を見つめていた。パクパクとご飯を食べるその艶やかな唇が、えらく官能的に感じられる。

 

 俺はすっかりあのキスに毒されていた。

 やわらかく、あたたかく、心地よくて、気持ちの良い、あのキスに……

 考えてはいけない事なのに、が知りたいと、そう思ってしまうくらいに俺は毒されていた。



――



 食事も終わり、俺が片付けを手伝っていると由衣が話しかけてくる。


「お兄ちゃん。宿題、教えて欲しいんだけど……良いかな?」

「……大丈夫だよ」

「じゃ、先に準備して待ってるね」


 由衣は嬉しそうな顔を見せ、自分の部屋へと戻っていった。

 

「仲直り出来て良かったじゃない」


 そんな俺達のやり取りを見ていた母さんがクスクスと笑う。


「あんた達に元気がないと、ご飯がおいしくないのよね」

「……そう」

「ところで何で喧嘩してたの?」

「んっと、まあ……いろいろとね……」

「何よ、あんたまで。由衣も何も教えてくれないんだから、気になるじゃない」


 いやね、とてもじゃないが親に話せるような事じゃないのだ。

 いくら由衣と母さんの仲でも教えてはくれないだろうさ。


「もう済んだことだから気にしないでよ」

「そういうふうに言われると余計気になるのよねえ」


 これ以上追及されるのも面倒くさいので、俺は手早く片づけを済ませ、由衣の部屋へと急ぐことにした。

 母さんは面白がっているようだが、こちらとしては問題がすべて片付いているわけではない。

 それどころか、さらにややこしくなっている。

 今の状態で、由衣と二人きりになるのは……少し不安だ。



――



 二階に上がり、由衣の部屋の前に立つ。

『ただ勉強を教えるだけ』と、自分に言い聞かせ、ノックをしてから部屋の中に入った。

 

「お兄ちゃん、早く早く」


 由衣は急かす様に手招きをしてから、となりにある俺用の椅子をポンポンと叩く。

 どうしてそんなにも普通の態度でいられるのだろうか……


「ほら、ここ、わかんないの」

「……どれ」


 緊張が漏れ出さぬように、ゆっくりと由衣の隣に座り、呼吸を整える。

 余計な事を考えなくて良いように、問題に集中しようとした。

 油断するとつい由衣の唇に見入ってしまう。

 邪な妄想が頭の中を巡る。


「お兄ちゃん? どうかしたの?」


 俺は必死に邪念を振り払おうと頭を抱え、それを心配したのか、由衣は俺の顔を覗き込んできた。

 近づいた由衣の顔が凄く魅力的に見えて、ドクンと大きく心臓が鳴る。

 このまま、もう一度、キスがしたいと――そんな考えがチラつく。


「ごめん……ちょっと調子悪いみたいだ。今日はその……やっぱり手伝えない」


 このままでは自分がおかしくなってしまいそうで、怖くなった。

 正しい兄妹でありたいと願ったはずなのに、そんな事はもうどうでも良いじゃないかと思い始めている自分が怖かった。


 俺は立ち上がり、逃げるように自分の部屋へ向かおうとするが――

 

「お兄ちゃん!」


 由衣に腕を取られ、引き留められる。

 

「……今日はもう、休みたいから……」

「うん、分かってる」

 

 そう言うと由衣は腕を離し、俺の正面に立った。


「元気の出るおまじない、してあげるね」


 由衣のしようとしているが、いったい何なのか――予想がついているのに、俺は知らないふりをする。これは自分の意志ではなく、由衣が勝手にやっている事だと、そう言い訳するために……


 俺達は見つめ合い、由衣の瞳が少しずつ大きくなっていく。


 お互いの吐息の震えすら分かる距離まで近づき、そして――

 由衣のが、俺の唇に優しく触れる。

 もっと由衣を感じていたいと願うが、数瞬してそれは離れていく。


「おやすみ。お兄ちゃん」


 顔を真っ赤にした由衣が微笑む。


 それを見て、俺は溺れそうになる。

 由衣から向けられる愛情に、溺れそうになる。


 どうしてこんなにも、俺は妹の事を好きになってしまったのだろうか。

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