第8話 謝りたくて
小さな頃は由衣といつも一緒に遊んでいた。
ただ、成長するにつれて「いつまで妹と遊んでるんだよ」と、友達から冷やかしを受けるようになっていき、自然と二人でいる時間は少なくなっていく。
それでも俺は由衣との時間を大切にしたくて、どうにか一緒に居れないだろうかと考え、由衣がゲームをやりたいと言ったら付き合ったし、勉強を教えてくれと言われたら夜遅くまで頑張った。
徒歩で登校しているのも、少しでも長く由衣といたかったからだ。
今思えば、由衣も俺と同じ気持ちだからこそ、付き合ってくれていたのだろうか?
それが今じゃ、家に帰るのが憂鬱だ。
由衣の事を無視して、自室にこもり、顔を合わせない。そんな関係が辛すぎる。
俺にとって、由衣は特別な存在で、俺の幸せそのものと言っても過言じゃない。
そんな由衣を苦しめている現状は最低で、最悪だ。
俺は昨日と同じく、学校で時間を潰してから家に帰った。
少しでも由衣といる時間を少なくしようと、そう思ってだ。
以前の俺からは考えられない理由だろう。
玄関のドアを静かに開ける。
由衣と顔を合わせぬよう、物音を立てずに自室へと向かう。
階段を上り、由衣の部屋の前を通り過ぎようとしたのだが、不意にドアが開かれた。
「あっ」
「ッ……!」
由衣と鉢合わせしてしまい、思わず声を掛けそうになるのをグッとこらえ、そのまま横を通り過ぎる。
「おにぃ――」
俺を呼ぶその声が届かないように、足早にその場を離れる。
『怒る演技が出来ないのであれば無視をしろ』という先輩のアドバイス通りの行動だ。
見ないふりをして、聞こえないふりをして、自分の部屋に逃げ込もうとした。
「お兄ちゃん!」
だが、ドアノブに手をかけ、ドアを開きかけたところで、後ろから強く手を引かれ、由衣に引き止められた。
咄嗟に手を振り払い、呼び止めを無視して、無理にでも部屋に入ってしまうべきだったのかもしれない。
でも、由衣は俺の手を絶対に離すまいと、力強く握りしめてきた。
それを乱暴に振り払うなど、俺に出来るはずもない。
「お兄ちゃん……その……あの、ね……」
手に込められた力強さとは裏腹に、由衣の声は弱々しい。
言葉に詰まり、上手く話しが切り出せないようだ。
「私……あ兄ちゃんに…………あの時の、こと…………」
次第に俺の手を掴む力は弱くなる。
「……」
「……」
結局、何も話を切り出すことが出来ずに、由衣は黙ってしまった。
流れる沈黙からは、由衣の呼吸の震えが伝わってくる。
繋がった手からは、由衣の身体の震えが伝わってくる。
きっと、精一杯に勇気を振り絞り、俺を引き留めたんだ。
これをどうして、無視など出来ようか。
後ろを振り向くと、今にも涙が零れ落ちそうな由衣の瞳が見えた。
「おにぃ、ちゃん」
絞り出すような、その呼び声に、酷く胸が締め付けられる。
『優しくしたら駄目。そうしたらお兄ちゃんの事をもっと好きになってしまうから』
先輩に言われた事を思い出す。
由衣が俺の事を好きならば、今この場は優しくするべきではないのかもしれない。
でも、こんなにも辛そうな妹を、これ以上、放ってはおけなかった。
「……久しぶりにゲームでもするか」
「えっ……?」
由衣に掴まれた手を、優しく握り返し、返事を聞くことなく、そのままリビングへと手を繋いで行った。
状況が飲み込めず、困惑する由衣をよそに、TVラックの中からゲームソフト入れを取り出し、それを手渡した。
「ほら、どれでも良いぞ」
「……」
由衣は戸惑いながらも、パーティーゲームものを選ぶ。
「……ええっと、これ……」
それを受け取り、ゲーム機にセットして、二人並んでソファーに座った。
肩が触れないギリギリの距離で並び、一緒にゲームのロード画面を眺める。
「……」
「……」
ゲームが始まっても俺達にさしたる会話は無く、TVのスピーカーから流れるゲーム音と、コントローラーのボタン音だけが虚しく響いていた。
ただ、それでも、俺はこうして由衣と並んで一緒にゲームをしていることに、途方もない幸せを感じていた。
由衣が側に居てくれるだけで、俺は幸せなんだ。
「やっぱり由衣には勝てないな」
「……うん」
一通りのプレイを終え、そう言葉を交わした。
ゲームの内容はいつだって由衣の方が上手だ。
でも今回は少し、動きに元気が無かったというか、遠慮があったというか、そんな気がした。
「まだやるか?」
「……ううん、もう大丈夫」
「そっか」
そうは言ったものの、由衣は腰を上げようとはせず、俺もそれに付き合って、黙ってソファーに腰かけていた。
TV画面にはゲームのハイライトが永延と流れている。
「……」
「……」
二人でそれを眺めながら、静かに時を過ごす。
ふと肩に重さを感じ、横を見ると由衣が俺の肩に頭を乗せていた。
「……お兄ちゃん」
「どうした?」
「…………ごめんなさい」
由衣は小さな声でそう言った。
おそらくは遊園地での先輩とのいざこざを謝っているのだろう。
由衣から見れば、それが俺の怒っている原因であるからだ。
ずっと、謝りたかったのかもしれない。
もとより俺は怒ってなどいないし、逆に、俺のために行動してくれた由衣に、感謝したいくらいだ。
「気にしてないよ。もう、大丈夫」
そう言って俺は由衣の頭をそっと撫でた。
「ごめんなさい」
由衣はもう一度、謝罪の言葉を口にした。
「俺は大丈夫だから。泣かないで」
顔は俯いていて良く見えないが、嗚咽が漏れ出していた。
何度も何度も、由衣の頭を優しく撫でる。
由衣は俺の胸に顔をうずめると、大きく肩を震わせた。
ずっと、俺に無視されていて、辛かったのだろうか。
ずっと、俺が怒っていると思い、苦しかったのだろうか。
今、由衣が泣いているというのに、そこまで想われていたのかと、嬉しさが込み上げる。
由衣のことが、どうしようもなく、愛おしい。
『優しくしたら、お兄ちゃんの事をもっと好きになってしまうから』
もっと好きになってしまったのは、俺の方だ。
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