第16話 いつもより早い朝

 今日は先輩が企画したデートの当日だ。

 

 前夜は緊張のせいか遅くまで寝付くことが出来ずに苦労した。

 そのくせ朝は妙に早くに目が覚めてしまい、すっかりと寝不足である。

 スマホで時間を確認するとだいぶ余裕があるのだが、二度寝をしようにも本日のデートの事を考えると不安が募ってそんな気分にはなれなかった。

 動悸が激しく、眩暈すら覚える。

 いつから俺はこんなにもプレッシャーに弱くなったのか……


 重い体を起こし、鬱な足取りで浴室へと向かった。

 シャワーを浴びたら優れない気分も少しは晴れるだろうと……


 そう、思ったのだが……


「えっ」


 洗面所のドアを開くと、そこには由衣が立っていた。

 その姿を見た瞬間、俺の頭の中は真っ白になり、ごちゃごちゃと思い悩んでいたものが一気に吹き飛んでいった。


「……」

「……」


 由衣と目が合う。

 垂れたしずくの音が耳に残る。


 まさか先客がいるなどとは思いもしなかった。

 完全な不意打ちを食らい、身体が固まってしまう。


「えっと……お兄ちゃんもシャワー?」


 由衣が呆然と立ち尽くした俺にそう聞いてくる。


「あ、ああ」


 かろうじて声を出すことが出来た。


 本来なら直ぐにでもこの場を離れるべきなのに、足に根が生えたように動くことが出来ない。

 

 俺の心臓は爆発しそうなくらいに暴れている。

 それなのに由衣の奴はこの状況を気にも留めていないようだ。


「ちょっと待ってね。すぐに出ていくから」


 由衣はそう言うと手に持っていたバスタオルを洗濯機に放り込み、綺麗にたたまれたシャツとショーツを手に取ると、それを素早く身に着けた。


「あっ、そうだ」


 そして何かを思い出したかのように、洗面台の下の棚を物色し始める。

 

「お、あったあった」


 お目当ての物が見つかったのか満足そうな表情でそれを取り出した。


「はいこれ、切れかかってたから足しておいてね」

「……ああ」


 詰め替え用のシャンプーを受け取る。

 近寄ってきた由衣からは暖かな石鹸の香りが漂ってきた。


「じゃ、ごゆっくり~」


 そう言いながら手を振り、由衣はその場を離れていった。


 ただでさえ気が重くなる一日だというのに、早朝からこんなにも神経を使うとは……先が思いやられる。



――――――



 家での支度を終え、先輩達との待ち合わせ場所に向かう。

 天気も良く、外に出かけるにはもってこいだろう。

 由衣は俺の隣を歩き、楽しそうな様子で話しかけてくる。

 

「あそこの遊園地行くの久しぶりだね! 小学生のとき以来かな?」

「……そう、だな」


 由衣に向けられた笑顔が少し心苦しい。いまだに今朝の光景が頭に焼き付いているからだ。

 ただでさえ最近は由衣との会話が上手くいかないというのに、余計に意識してしまう。


「あの時のこと覚えてる? お母さんがお父さんにさ――」


 由衣は家族での思い出を笑いながらに語る。

 だけど今の俺にはそれを楽しく聞くことは出来ない。

 話しかけてくる由衣に対して、「ああ」とか「うん」とか「そうだな」とか、適当に相槌を打つのが精一杯だった。

 

 俺の中では未だにあの失敗が尾を引いている。

 ……あの情けない告白の事だ。

 由衣はそのことに触れるつもりがないのか、まるでそんな事は無かったかのように振る舞っている。

 だからこそ俺はそれが怖かった。

 

 由衣があの告白をどう捉えているのか、どう考えているのかが……

 表面上は楽しそうに振る舞っていても、笑顔を向けてくれていても、本音では俺の事を気持ち悪く思っているんじゃないかと、そう考えると上手く言葉が出てこないんだ。


 ここ最近はずっとそんな感じだ。

 腑抜けにもほどがある。


「ねえ、お兄ちゃん……やっぱり私、行かない方がいいかな?」

「……えっ?」


 うじうじと考え事をしていると、由衣が突然そんなことを言い始めた。

 先程までの元気な顔とは打って変わって、不安そうな面持ちだ。


「……やっぱりさ、せっかくのデートなんだし、私が居たら、その……邪魔でしょ?」


 由衣は俺の顔を恐る恐る確認してくる。


「いや……邪魔じゃないだろ…………綾香が皆でって言い始めたんだし」

「そうかな……」

「……そうだよ」


 というか由衣が来てくれないと今日の計画がすべてご破算になってしまう。


「向こうも二人で来るんだし……由衣が来ないと弟が気まずくなっちゃうだろ」


 とりあえずそれらしい事を言ってみる。

 ここで本当に由衣に帰られると、先輩に何をされるか分かったもんじゃない。


「……うーん」


 何やら複雑そうな表情で唸っている。


「嫌、なのか?」


 率直に聞いてみる。

 あらためて考えてみると、兄貴のデートに付き添うなど普通は嫌がるもんだろうし……


「そういう訳じゃないんだけど、えっと…………お兄ちゃん乗り気じゃないみたいだし、私は行かない方が良いんじゃないかなって思って……」


 確かに今の俺は乗り気ではないが、それは由衣のせいではなく……自分自身の問題でな……

 

「……寝不足なだけだよ」


 我ながら苦しい言い訳に聞こえるが、寝不足は事実だし……


「……そう」


 由衣は納得していないのか、その表情には影が見える。

 俺が情けないばかりに気を使わせてしまった。

 

 何をやってるんだろうな俺は……

 

 妹にとっての『良いお兄ちゃん』になりたかったはずなのに、これじゃただの駄目な兄貴だ。

 

 最低で駄目な俺は、良い兄に変われるのだろうか……

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