第1話 妹

 俺の名前は澄谷優人すみたにゆうと、高校二年生。

 特に何の取柄も無い、つまらない男だ。

 運動能力は人並みだし、学校の成績も平均より少し良い程度。

 派手な格好や目立つような行動もしないように心がけている。

 特別なことをしたいと思わない。

 平凡な日常が過ぎてくれれば良いさと、そんな気持ちだ。


 別に自分に自信が無いとか悲観的になっている訳ではない。

 俺は現状に満足している。

 

 普通の自分に平凡な日常。それが幸せだからな。

 

 俺の日常に特別はいらない。



―――――――



 まだ冷たい空気が残る朝。

 温かい布団の中で丸まっていると、部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。

 足音はドアの前で止まり「お兄ちゃん入るよ?」と、声をかけると同時にドアを開けて入って来る。

 ノックなど無いし、俺の返事を待ったりもしない。


「やっぱりまだ寝てる……」


 部屋に入って来るなり呆れ気味にそう言ったのは俺の妹、澄谷すみたに由衣ゆいだ。

 今年度から俺と同じ高校に通う、ピカピカの一年生だ。

 真新しい制服に身を包み、着崩すことなく、スカートの長さも校則通り。

 髪は手入れが面倒くさいとの理由で短く、肩口でそろえられている。今まで染めたりしたことは無く、サラサラとした綺麗な黒髪だ。

 そして兄の俺が言うのも身内贔屓に聞こえるかもしれないが、顔は結構可愛いと思う。


 由衣はその可愛い顔を少し困らせている。


「お兄ちゃん起きて」


 やや面倒くさそうにそう言うと、布団の上から俺を揺すってきた。

 最初は小刻みに揺する程度だったが、俺が反応しないせいか「いい加減に起きろ!」とグワングワンと大きく揺らしてくる。


「……んー、もう少し……頼むぅ~……」

「だめ!もうお母さんもお父さんも朝ごはん食べ始めてるんだから!」

「由衣……俺の分も食べといてくれ……」

「馬鹿なこと言ってないで早く起きる!」


 由衣はそう言って勢いよく布団を引きはがした。

 俺と布団で育んだ暖かい空気が霧散していき、少し冷たい空気が肌に触れてきた。


「……さむいんだけど」

「起きて動いてればあったかくなるって」


 その無慈悲な回答に、身体を猫のように丸め、目を堅く閉じることで抗議をする。


「……」


 俺のそんな姿を見て、由衣は困ったように溜息をついた。


「もう……しょうがないんだから」


 そしておもむろにベッドに腰かけ、俺の頭をポンポンと優しく叩きながら「お兄ちゃん」と呼び掛けてくる。

 

「……………………」


 それでも断固として沈黙を続けていると、何かが顔に近づいてくる気配がした。

 いったい何をするのだと体をこわばらせていると、今度は耳元で「お兄ちゃん」と囁きかけてくる。

 なんだかムズ痒くなるような感覚を味わう。

 そして……


「ごがぁあ!!」


―と、とても下品な音で、口から空気を吸い込んでしまった。

 

 どうやら俺の鼻が何かによって塞がれたらしい。

 ゆっくりと目を開け、その様子を確認すると、由衣が俺の鼻の穴に指を突っ込んでいた。それはもうグッサリと喰いこんでいる。


「……」

「……」


 俺はフーフーと口で息をしながら由衣を見つめる。

 由衣は俺の鼻を塞ぎながら、無表情で俺を見つめている。

 

「…………」


 鼻を塞がれてなお、俺はベッドから起きることは無い。

 正直、目はとっくに覚めてしまったのだが、由衣のやつが次にどういった行動に出るのかが気になった。

 俺はさらに由衣を見つめ続ける。


「……」


 すると由衣は鼻を塞いでいない、もう片方の手をスウッと動かした。

その手は俺の顔に少しずつ近づいてきて……

 俺は『まさかな……』と思ったよ。

 さすがにそこまではしないだろうと……

 だが残念ながら、そのまさかは的中するんだがな!

 

 そう、由衣は俺の口も塞いだのだ。


 つまり俺は今、鼻と口を塞がれ息が出来ない状態になっている!

 

 由衣の表情は変わらない。

 俺はだんだん息が苦しくなってくる。

 目を見開いてフルフルと体を震わせて懇願するも、やめる様子はない。


 限界が近づき、もう駄目だと思って由衣の手をどけようとするも、こやつ結構な力を込めてくる。


「ん”-ん”-」


 由衣の腕をタップして降参の意を示すが効果は無い。

 振りほどこうにも力の入れ具合がガチでヤリにきてやがる!


「ん”-ん”-ん”-!!!」


 このままでは本気でヤバいと思い、由衣を振りほどくために身体を起こした。

そしてそのまま後ろに倒れて、由衣の魔の手から逃れようとしたのだが……


「おわっ!」

「きゃっ!」


 由衣が手を放そうとしないもんだから、そのまま一緒に倒れこむ形になってしまった。

 俺の上に由衣が覆いかぶさって、はたから見れば『兄を押し倒す妹の図』の完成である。

 朝っぱらから何をしているんだろうね、俺たちは……


「殺す気かよ……」


 覆いかぶさる妹に抗議の声をあげるが、由衣はなんだかクスクスと笑っている。


「目、覚めたでしょ?」


 あれで覚めないやつがいるなら見てみたいよ。


「いや、覚めたけどよ……もうちょっと優しく起こして欲しいかなって」

「それだと起きなかったくせに」


 俺を責めるような口調だが表情はやわらかい。

 小首をかしげ、綺麗な瞳で俺を見つめてくる。


「お兄ちゃん」


 優しい声色で俺を呼ぶ。


「……なんだよ」


 そんな声でお兄ちゃんと呼ぶな、ドキッとするぜ。


「おはよう」


「ああ……おはよう。ちゃんと起きなくて悪かったよ」


 俺がそう言うと由衣は満足そうに微笑んだ。


「わかればよろしい」


 少し偉そうな口調でそう言うと、由衣は体を起こして立ち上がる。


「顔洗っておいで、ね?」

「お前は手を洗ってこいよ」


 きっと俺の鼻水とか涎がついてるからよ……


「大丈夫だよ。これで拭くから」


 由衣はニッコリわらってそう言うと、俺の着ているスウェットで手を拭いてから部屋を出て行った。

 

 おい

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