第76話 バレンタイン③
朝本さんからの告白の後、名都さんからの告白も受けてしまった。
名都さんも朝本さんと同様に、返事はすぐに出さなくても良いと言っていた。
俺は言葉を発することができなかったのだ。
ただただ名都さんが立ち去る姿を見届けるだけだった。
その後、俺は上の空で学校の正門に差し掛かり、帰路に着いた。
いつもなら何かしら物事を考えながら歩を進めるのだが、今日はそうはいかなかった。
朝本さん、名都さん。2人から告白されたシーンだけが何度も頭にフラッシュバックし、それどころではなかった。
ある程度時間を掛け、自宅に到着し、靴を脱ぎ、母親と少量の言葉を交わして、早々に自室へと足を運ぶ。
自室に入室し、そのまま学校の制服から部屋着に着替えず、ベッドにダイブする。
布団の柔らかい感触が身体全体を伝う。
脳が動くなと命令しているかのごとく、身体から力が抜けてゆく。
部屋着に着替えなければならないと頭の片隅で思いながらも、裏腹に瞼がどんどん下降する。
視界が徐々に縮小し、黒い部分が時間の経過によって増加する。
そして、視界がすべて黒になったとき、俺の意識は遠くに消えた。
・・・
突如、口の中に激しい渇きを覚え、意識が覚醒した。
乾燥したためか、わずかに喉に痛みを感じる。
俺は部屋全体が暗く、窓に取り付けられたカーテンから光が侵入していないことに気付くと、制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。
時刻を確認するためだ。
電源ボタンを押し、画面から黄色の明かりが放射される。
21時20分。
スマートフォンのデジタル時計はそう示していた。
2時間ぐらい寝ていたんだな。
そう心の中でつぶやくと、重い身体を起こし、ベッドから床に足を付ける。
床の冷えた温度を直接知覚する。
しかし、それにもすぐに慣れ、自室を出る。
階段を降り、喉の渇きを潤すために、お茶を飲む。
1杯では満たされなかったため、2杯いった。
その後、口の何とも表現できない気持ち悪さを解消するために、洗面所に向かい、歯を磨く。
3分間ほど磨いた後、水道水で口をゆすぐ。
その結果、気持ち悪さはすっきり抹消された。
それから、お母さんが俺のために取っていてくれた食事を取り、遅い夕食を済ませる。
食器を片付け、自分でそれらを洗い終えると、ソファに腰を下ろす。
何も考えず、行動せず、呆然とするだけ。
だが、今の俺はこうするしかできない。
こうなってしまう事態が今日2度も起こってしまったのだから。
そんな心情の中。
ピンポーン。
突如、インターフォンの通知音が家内に反響する。
来訪者が来たのだろう。
俺はめんどくさいと思いつつも腰を上げる。
リビングを退出し、下駄箱で靴に履き替え、ドアを開放する。
ガチャっといった音を他所に視界が拡大される。
完全にドアが開かれたことで来訪者の姿が俺の視界に捉えられた。
「香恋?どうしたの?こんな時間に」
俺は咄嗟に香恋に言葉を投げ掛ける。
香恋は、なぜかこの時間にも関わらず、学校の制服を身に纏い、不自然な形で手を後ろに組んでいる。
「ち、ちょっと、用事があって」
「俺に?」
「・・・うん」
香恋は緊張感が漂う面持ちで首肯する。
俺はそれに疑問を持つが、言葉に出さない。
「用事があるのはわかった。でも、寒いから中に入ろうよ」
俺は手を自宅の廊下の方に向け、香恋にそう提案する。
「ここでいいから。それと、ドアも閉めて欲しい」
香恋が拒否の意志表示をする。
そのときの香恋の表情は真剣そのものだった。
「・・・うん。わかった」
俺は香恋の顔を数秒ほど凝視し、彼女の意志を汲み取り、ドアを閉めた。
再び、ガチャっとドアが音を立てる。
「これでいいかな?」
俺は香恋に確認をする。
香恋は俺の言葉を最後まで聞き、頭を縦に振る。
「用事というのは、これを渡すためなんだけど」
香恋は話を切り出すと、後方からジップロックの箱を露にする。
中には茶色の板チョコがいくつか詰められている。
「今日、バレンタインでしょ。だから、下手なりに自分で作ってみたの」
香恋は恥ずかしそうに頬を紅潮させている。
「これ敦宏のために作ったから、・・・受け取って欲しい」
香恋は視線を逸らし、こちらにジップロックの箱を差し出す。
その箱を大事に持つ香恋の手はなぜか不自然に赤みを帯びていた。
「あ、ありがとう」
香恋からバレンタインをもらうなんて初めてであるため、戸惑いつつ、箱を受け取る。
受け取る直後、なぜか箱から温かみを感じた。
「それと・・・」
香恋は目線を変え、真剣な眼差しを俺にぶつける。
それを視認した瞬間、嫌な予感が俺の心を襲う。
「このタイミングしかないと思うから。だから伝える」
香恋の表情とは、裏腹に俺の身体に悪寒が生まれる。
「ずっと昔から、小学生のときから好きでした!敦宏の優しさ、顔、性格、すべてが好きです!!だから、私と付き合ってください!」
香恋の表情は今まで見てきたものとは一線を画する女性の顔をしていた。
幼馴染の香恋からは決して想像ができない女性の顔。
しかし、その情景を捉える目とは対照的に、俺の脳と心はひどく動揺し、身体には寒さを感じなくなっていた。
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