第64話 偶然の偶然
(※赤森敦宏視点)
俺は放課後、偶然担任に遭遇した。ホームルーム終了後、トイレで用を足し、昇降口に向かう最中に。
担任が言うには、朝本さんに届けて欲しい書類があるらしい。なんで俺なんだろうと思ったが、それを表に出さず、素直に受け入れる。
書類は職員室にあるらしく、担任とともにそちらに足を運ぶ。
50歩ほど費やすと、職員室前に到着する。複数の生徒たちが雑談したり、係の仕事を遂行している景色が眼前に拡がる。
それらをちらりと一瞥後、担任に追随する形で入室する。目の前には、この学校に勤務する教員がそれぞれ席に着き、書類、パソコン、教科書に目を通している。ほぼ全員がそのような行為をすることで室内に妙な緊張感を内在した空気が創造されている。
「おおーこれだ。これ」
担任は自分の席に腰を下ろすと、1枚の用紙を前に出す。俺はそれを丁寧に受け取り、目を通す。用紙には、名前の欄にきれいな丸文字で”朝本 萌叶”と記入され、問題の欄に複数の〇が描写され、100という数字が右上に存在感を出している。どうやら、一昨日行われた小テストのようだ。
「これ渡しておいてくれ。頼むわ」
担任は机にと対峙する姿勢に変え、パソコンを起動する。業務に勤しむ様子が窺える。
『なんで今渡すんですか?」といった言葉を無理やり体内に飲み込み、ドア付近で頭を下げるなり、職員室を退出する。
いつ朝本さんに渡そうかといった小さい悩みに対処するため、少々思案する。そして、当人にいち早く届けた方が良いといった結論に至る。
俺は望みが薄いと感じながらも、クラスの教室に出向く。案の定、朝本さんはおろか空間には誰1人として人間が存在しなかった。
多少の落胆がありつつ、教室から廊下に出る。辺りが先ほどまでとは異なるもの
になる。まだ、外が明るいため、電気は点けられておらず、窓から射す光があちこちを照らす。
ドアを完全に締め切り、視線の方向を変更すると、思わぬ人物を発見する。その人物は、我が校の女子の制服を身に纏い、襟足が短小なボーイッシュな赤髪な上、身長は150センチ後半ぐらいの中肉中背の体形をしている。
その女子生徒は、朝本さんと非常に仲が良く、7月30日、彼女が連れてきた友人の内の1人。確か、名前は堀さんだったはず。
「堀さんだっけ?ちょっといいかな?」
俺はもしかしたらと思い、堀さんに声を掛ける。
「君は確か。赤森君だっけ?」
突然の出来事に面食らい、目を丸くしたが、すぐに平常を喚起し、俺の名前について確認を取る。
「うん。そうだよ」
俺は様子を窺って首肯する。堀さんの顔に安堵の表情が生まれる。
「それで、聞きたいことなんだけど、今、朝本さんがいる場所を知らないかな?」
他人行儀にならず、親しい友人に話しかける感覚で言葉を投げ掛ける。
「萌叶のことだよね。萌叶なら今日、家庭科室での掃除があるって言ってたけど、それがどうしたの?」
「朝本さんに渡さなければならない用紙を俺が持っているから、学校のどの場所に
いるかを知りたかったんだ」
堀さんは、俺の話を耳に入れると、「なるほど」っと質問の意図を理解する。
俺たちはそこで2、3言会話をすると、お互いに別れる。
俺は廊下を横断し、異なる校舎に設置される家庭科室の目の前に到着する。中から女子と思しき声色がするが、掃除当番の1員だろうと推測し、ドアを開ける。
視界がドアが開かれることで徐々に拡がる。そして、数秒ほどして、家庭科室の中身が見られる。
室内にはピンクのカーテンが取り付けられていた。しかし、それが目に入ったのも一瞬だけ。瞳を動かすと、そこには内心驚愕する情景があった。
2人の女子が朝本さんの腕をホールドすることで、身体の自由を奪い、1人の女子がハサミを手に持ち、朝本さんの長い襟足を断髪を試みていた。
俺は、予期できない現象に戸惑いつつ、一目散にブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、カメラ機能を稼働させる。
ピントをでたらめに合わせ、今起こっている状況を写真に収める。
パシャっと、スマートフォンがシャッター音を吐き出す。
普段では絶対できないスピードで一連の行動を終わらせると、「何やってんだー」っと大きな声を上げ、悪意を持った女子たちを睨む。
ハサミを保持した女子生徒と視線がぶつかる。
「今やろうとしていることを写真に収めさせてもらった。これを学校に提供すると、大変なことになるぞ」
普段より口調が荒くなる。おそらく、言葉に怒気も籠っているだろう。
「嫌なら今やろうとしていることやめるんだ!」
俺は証拠を脅し道具として、女子生徒たちの行動を抑止する。我が身が大事ならばば効果を発揮するはずだ。
「ちっ。あなたも運が良いわね。こうなったら仕方がない。行くわよ!」
リーダー格の女子生徒は、自分が置かれた状況を理解したのか、そそくさと2人の女子を引き連れ、家庭科室を抜ける。
あれ、予測していたよりも潔いよいな。
俺は彼女たちを追い掛けることをせず、膝を床につけた朝本さんの下に駆け寄る。朝本さんの身体の全身からは力が抜けており、顔は下を向き、表情は長い髪に隠れて視認できない。
「朝本さん、大丈夫?」
膝を折り、腰を曲げ、視線を下げて声を掛ける。焦りからか、滑舌悪く切羽詰まった口調になる。
「・・・」
返答はない。無理もない、集団からのいじめにあったのだ。並大抵ではない。それに、あくまで推測だが、朝本さんは、以前からいじめを受けていたのではないか。そうしなければ、いきなり、髪を断髪されるような事態にはならない。
「あか・・・もりくん」
朝本さんが上目遣いでこちらの瞳を覗き込む。目には大粒の涙を溜め頬には幾分かの皺を作っている。
「・・・こわかった・・こわかったよー・・」
朝本さんが勢いよく俺に抱きつく。俺は、その衝撃から軽く尻もちをつくが、痛みは感じない。そんなのどうでもいい、と脳が指令を出し、神経が一時停止したのだろうか。
「うう・・こわかった」
朝本さんは嗚咽を漏らし、ブレザーを力強く握る。指の感触が間接的に胸に伝わる。今の彼女を見ていると、何かに縋りたいように見える。
俺と朝本さんしか身を置かない家庭科室において、彼女の泣き声は、時折、嗚咽や鼻をすする音を生成した。
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