リリカローズは王国の華
かがり 結羽
本編
01. レリッサの憂鬱1
新聞の紙面に文字が踊る。
一面は、先だって明るみになった財務室官僚の横領事件。ここ最近大した事件がないからか、かれこれ二週間も同じ内容を、何度も舐めるように書き連ねている。二面も同じ内容で、三面には軍部内のクーデターが未然に制圧されたとの中程度の扱いの記事。続いて、ゴシップ紛いのスキャンダラスな事件が紙面を埋めるページを読み飛ばして、ようやくレリッサは、一番の目的である小説欄に行き着いた。
顔の横に垂れた淡い茶色の髪を耳にかけて、本腰を入れて読もうと前かがみになる。文字を追う視線からは期待の色が現れて、アメジスト色の瞳がきらきらと輝く。
毎日、新聞の小さなスペースに連載されている小説。今シーズンは出来の良いサスペンスで、事件の黒幕がいよいよ発覚しようか、と言うところで終わっていたので、昨日は一日、続きが気になって仕方がなかったのだ。
「失礼致します。レリッサお嬢様」
(ああ、やっぱりこの人が黒幕なのね)
「レリッサお嬢様」
(ショックだわ。好きなキャラクターだったのに)
「まったく…。レリッサ!」
「っ、はいっ!?」
あまりに小説にのめりこみすぎていたせいで、外野の声が全く耳に入っていなかった。
レリッサは、自分を強く呼ぶ姉の声でようやく、びくりと体を震わせて反射的に返事をして顔を上げた。
顔を上げてみれば、
サロンにいる全員の視線がこちらに向けられているのを、レリッサは居心地悪く思いながら姿勢を正した。
「ごめんなさい」
「本当に、レリッサお姉様の悪い癖。読み始めると、集中しちゃってダメなんだから。それって、活字中毒って言うのよ」
そう言うホーリィに、返す言葉もない。
朝食の後のわずかな
エメリアが優雅にカップをソーサーに下ろしながら、ふっと笑った。女性ではあるものの、切れ長の瞳でどこか中性的な雰囲気を醸し出す彼女の笑みには、女性をもどきりとさせる麗しさがある。輝く金色の髪を後ろで一つに束ねて、長い睫毛の下に輝く瞳はまさにエメラルド。先の尖った襟のシンプルなシャツが、彼女の中性的な魅力をさらに引き立てている。
「だが、そこもレリッサの良いところだ。ホーリィも、少しは見習って本でも読むと良い」
「やーよ。読書の何が面白いんだか。そう言うのは、学園で散々やったんだから、もう良いの!」
ホーリィは唇を尖らせてエメリアに口答えした後、それよりとレリッサの側に立って離れないダンを指差した。
「ダンが用事のようよ、レリッサお姉様」
「え」
ダンを振り返る。ロマンスグレーを後ろに撫で付け、折り目正しくお仕着せの執事服を着て、柔和な笑みを浮かべている。
「こちら、今朝届いた郵便でございます。ご家族そろっての、このお時間にお渡しするのが一番よろしいかと思いまして」
差し出されたのは、同じ紙質の、同じ大きさの封筒が全部で七通。宛名を見てみれば、家族全員それぞれに当てたものだった。
手触りの良いその封筒を一枚表に返して、レリッサは「ああ…」とつぶやいた。
薔薇と雄鹿の紋章。スタッグランド王家の紋章だ。
「そう。そういう時期だものね。パトリスお兄様はシーズンの初めには間に合わないと、前もってご連絡があったから、後で私が代筆して欠席のお返事をするわ。ダン、後で書斎に一番良い便箋のセットを用意しておいて」
「かしこまりました」
それからレリッサは、順番に封筒を手渡していく。
エメリアはさして興味がないようで、封を開けもせずにテーブルに置いた。逆にホーリィの方は、待ちきれないというように、奪うようにレリッサの手から封筒を受け取ると、ダンにレターナイフを所望している。ライアンとサマンサは、それぞれレリッサの前に立つと、こわばった顔で封筒を受け取った。
二人ともふわふわのパーマのかかった柔らかな明るい茶色の髪に、ぱっちりとしたレリッサと同じアメジストの瞳。違いと言えば、ライアンは短髪で、サマンサは肩で切り揃えていることくらい。体格差もそろそろ出てきて良い頃だが、背丈も体つきも驚くほどそっくりだった。
二人は、双子らしく同じタイミングでゴクリと唾を飲み込んだ。
「二人とも、デビュタントね。大人の仲間入りだわ」
「おめでとう、ライアン、サマンサ」
エメリアが、まるでグラスを掲げるように、コーヒーカップを持ち上げる。
今年で十四歳になるライアンとサマンサは、毎年シーズン初めに王宮で催される舞踏会でデビュタントを迎える。今まではお留守番だったが、これからは大人と同じように着飾って夜会へと繰り出していくことになるのだ。
不安そうな双子の肩に、レリッサはそっと手を置く。
「大丈夫よ。最初は、国王陛下にちょっとご挨拶して、ファーストダンスを踊ってお終いよ。二人ともダンスは上手じゃない。何も心配ないわ。普段なら悩みの種のパートナーも、あなた達はお互いで済むんだし」
ここまで言って、レリッサは「あ」と口元に手を当てた。
やや聞きづらい内容だったので、少し声を落とす。
「もしかして、他に一緒に行きたい人がいるなら、別なんだけど…」
晩餐会はその限りではないが、舞踏会は必ず男女ペアで参加すると言う暗黙のルールがある。相手が親でも
デビュタントでは、皆初めての舞踏会なので、誰とペアを組むか頭を悩ませることになる。
ちなみにレリッサはなかなか相手を見つけられず、兄のパトリスとペアを組もうかと考えていたところ、舞踏会ギリギリで声を掛けてくれた学園の同級生とペアを組んだ。
「何の心配をしてるの? レリッサ姉さん」
「いるわけないわ」
ライアンとサマンサは、そっくりな顔で呆れた表情をよこす。
「学園の男子は子供みたいで嫌。ライアンとの方がずっとマシ」
「マシだなんて失礼だな、サマンサ。僕だって、普段男子生徒と関わりのない君のために、パートナーになってあげようって言うのにさ」
ライアンが心外だと言うように眉を上げると、サマンサが何か言い返そうと口を開き掛けた。
そこで、パンッと一つ、手を打つ音が響いて二人は言い合いをやめた。エメリアだった。
「そこまで。君たち、そろそろ出発の時間だろう」
「「はーい」」
二人は手に持っていた封筒をダンに預けて、鞄を手に取る。
それから、サマンサはスカートをつまみ上げて、ライアンは胸の前に手を当てて、それぞれに簡易の礼をとった。
「「いってまいります」」
「いってらっしゃい。二人とも」
双子を見送ると、レリッサもダンからレターナイフを受け取って、自分の封筒の封を切った。封筒と同じく薔薇と雄鹿の版が押された招待状が入っていた。日時は二週間後だ。
「二週間後ですって! どうしよう? 色々迷ってまだ今年は新しいドレスを用意してないの! レリッサお姉様、今から仕立てて間に合うと思う?」
スタッグランド王国の社交シーズンは冬の始まりから夏の始まりまでの半年間。シーズンの始まる一ヶ月前にはドレスを用意しておくのが常だ。ライアンとサマンサの衣裳も、夏の終わりにはすでにオーダーが終わっている。まだ用意していないと言うホーリィの言葉に、レリッサは冷や汗をかいた。
「どうして用意していないのよ…。マダム・モリソンにお願いしてはみるけど…」
「だって! 今年の流行を外したくないじゃない? みんながどんなドレスをオーダーするのか、聞いて回っていたらタイミングを逃しちゃって…。それに、レリッサお姉様だってまだオーダーしてないじゃない!」
「私は、去年のをまだ着られるから…」
そう言うと、ホーリィが信じられないと言う顔をした。
「去年のって、それは一昨年のと一緒ってことでしょ? 去年もそう言って作らなかったんだから!」
「だって、まだ着られるのよ? 体型もそんなに変わっていないし…」
「あの若草色は、もうとっくに流行遅れよ!」
それに、とホーリィがレリッサの胸元に手を伸ばした。姉妹の気安さで、躊躇いもなくホーリィの手がレリッサの胸に触れる。
「ちょっ…!」
「ほら。このワンピースだって、胸のとこが窮屈そうじゃない。お姉様だってまだ十八なんだから。まだ育つわよ」
「良いから、離して。あのね、ホーリィ…」
ラローザ家は、王家から伯爵位を賜っている貴族の家柄だ。歴史はそれなりに古い。領の特産物と言えば、麦と豊富に取れる果実といったところだが、父は軍の要職についているし、国からは毎年領地を運営するためにそれなりの額の手当てが支払われているので、決してお金には困っていない。しかし、ラローザ家は昔から質素倹約をモットーとしている。
貴族が貴族としてやっていけるのは、領民がいてこそ。品格を保てる最低限の収入を差し引いて、あとは全て領民に還元しているのだ。
なので、贅沢ができるような余裕はさほどない。
「今年は、ライアンとサマンサのデビュタントのために衣裳を何着か新調したし、まだ二人の学費があと一年はかかるし、サマンサは卒業後には魔術師団の見習いになりたいって言っていたから、そのためには少しお金を貯めておかないと。エメリアお姉様と違って、私は何もお仕事をしていないし…」
「大丈夫よ! そのために、パトリスお兄様が領地で新しい改革に着手してるんじゃない! お姉様は心配しすぎ!」
とにかく、とホーリィは指を立てた。
「お姉様も、あのダサい若草色のドレスはやめて、新調すること!」
そうは言っても、今からではいくら仕事の早いマダム・モリソンとは言え、二着も新しいドレスを作るのは無理だろう。とにかく後で連絡を取ろうと、頭の片隅に置いておく。
「それはそうと、二人ともパートナーは大丈夫かい?」
やり取りを傍観していたエメリアが、ようやく封筒の封を切りながら言った。
「私は大丈夫よ」
ホーリィが間髪入れずに答えた。
「セダックが誘ってくれたの。本当はマイラスを狙ってたんだけど、彼、最近婚約しちゃったのよね」
「セダックって、リンドール伯爵家の次男かい?」
「そうよ」
「ホーリィ…、ついこの前まで、君はミルドランド公爵家の三男と付き合ってなかったか?」
エメリアが手を止めて眉間にシワを寄せている。
レリッサはレリッサで、また違う顔が思い浮かんで言った。
「ラードリード子爵家のハドソン様じゃなかったの?」
揃いも揃って、若くて美丈夫と噂の貴公子ばかりだ。
だがホーリィを一度見てしまえば、皆納得するだろう。パーマのかかった金髪は手入れに手間暇をかけた極上の艶めき。輝くエメラルドの瞳を縁取る睫毛は長くクルンとカールして、目の形はくりっとして可愛げがあるのに、その薄い唇で微笑めば実年齢が吹き飛ぶような妖艶さを醸し出す。色合いはエメリアと全く同じなのに、造形が違うとこうも雰囲気が変わるのかと驚かされる。
十四歳で社交界にデビューして以来、今やすっかりホーリィは『社交界の華』だった。
ホーリィはしれっと「なんで知ってるの?」と言うと、肩にかかった髪を払い落としながらため息をついた。
「ミルドランド家の三男…メナードはお友達。彼は婚約者がいるの。ハドソンは、だいぶ前に別れたわ。セダックも友達止まりかな。今回はその方が都合が良さそうだし」
「「都合が良い?」」
ふふ、とホーリィが得意げに笑った。
「極秘情報なんだけど、お姉様達には教えてあげる。今年はいよいよ、王太子様の婚約者を正式に決めるんですって。もちろん、お相手の候補は公爵家や侯爵家がほとんどでしょうけど、
「ホーリィ。まさか、王太子妃になろうって言うんじゃないだろうね?」
「あら、もちろん。王太子様なんて、最高のお相手じゃない!」
目指せ玉の輿! とホーリィは腰に手を当てて息巻いている。
レリッサは、脳裏に毎年シーズン初めにしか見かけない王太子を思い浮かべる。確か御年二十七歳。銀髪に涼やかなアクアマリンのような瞳が印象的な青年だ。もちろん、王族と言うだけあって見目麗しい。品のある物腰と所作は、見るものを魅了する。レリッサも夜会で王太子を見かければ、見惚れずにはいられない。
だが、本人は社交的なタイプとは言い難いようで、王宮主催の夜会には参加するものの、ダンスの誘いはほとんど断っているし、ファーストダンスを踊ったあとはさっさと引っ込んでしまう。
綺麗だが、冷たそう。と言うのが、レリッサの正直な感想だ。
だがその王太子の婚約者を本格的に決めると言うのであれば、今年は例年よりはずっと長く夜会に滞在することだろう。となれば、ダンスをする機会も増える。
エメリアは二十一歳、レリッサも十八歳になったばかりだから、王太子のお相手として良い年齢だった。もちろん今年十七歳になるホーリィも、婚約者として申し分ない年齢と言える。
「馬鹿馬鹿しい。私は王太子妃なんてごめんだね。面倒ったらない」
エメリアがハッと鼻で笑うように言って、首を振った。その言葉に、ホーリィが頬を膨らませる。
「えー! もったいない! エメリアお姉様は、もっとその見た目を上手く使うべきよ! ちゃんとすれば、男がほっとくわけないんだから」
そんなんだと、行き遅れるわよ! とホーリィは言うが、エメリアは興味がなさそうだ。
二人のやり取りを、言葉を挟むことなく見守っていたレリッサは、不意に二人分の視線が自分の方を向いて、びくと小さく肩を揺らした。
「な、なに?」
「もちろんレリッサお姉様だって、あり得るんだからね」
「そうだな。レリッサなら、王太子妃も十分務まるだろう」
「…ちょっと、エメリアお姉様。私と随分反応が違うじゃない?」
「理由なら片手じゃ足りないが、聞くかい?」
「…やめとくわ」
やや不服そうにホーリィは言って、再びずいっとレリッサの方へ顔を近づけた。
「良い、お姉様。絶対に、絶対に、お姉様は幸せにならなくちゃダメなのよ。分かっていて? だからね、ドレスは新しくしなくて良いとか、そんなこと言わないで、今シーズンはちゃんと着飾ってね」
これ、命令だから! とホーリィは強めの口調で言った。
だが、口調とは裏腹に、握られた手は優しい。
ああ、とレリッサは、ホーリィがそう言う理由に思い当たって、苦笑いをした。
「そうね。分かってるわ」
そう答えたものの。
本音では、恋なんてしばらくはいらない、と思う。
けれど握られた手の温もりに、それを告げるのは
不意に、サロンに扉のノック音が響いた。すぐに扉が開いて、ダンが顔を出した。
「レリッサお嬢様。よろしいでしょうか」
「ええ。なに?」
すっと近づいてきたダンが、手に持っていた小さなメモを差し出してくる。
「旦那様が、急にご入用とのことで、こちらの書類を書斎からお持ちくださるようにと」
メモを開けば、確かに父の筆跡だった。
列記された書類は、兄のパトリスがいない今のラローザ家では、他に探し出せるのはレリッサしかいなさそうだ。
「分かったわ。ついでにお着替えもお持ちしましょう。まだしばらく、軍本部に詰めていらっしゃるようだし」
「すぐにご用意いたします」
ダンが一礼してサロンを出て行く。
レリッサが書斎に行こうと立ち上がると、同じタイミングでエメリアも席を立った。
「私もそろそろ行かなくては。今日は市中の見回りでね。一日外回りだ」
そう言うと、椅子の背もたれにかけていた黒味がかった深緑の軍服をシャツの上に羽織った。立ち上がると、下はやはり同色の乗馬服だ。
深緑は軍の下級士官の制服だ。エメリアは、父と同じく軍人なのである。普段は
「今晩は当直だから、明日の朝に戻る。それまで家を頼むよ、レリッサ」
「はい。お姉様」
兄のパトリスが父に代わり、領主代行として領地の運営をするようになって二年。パトリスはシーズン以外はずっと領地にいて、エメリアはこの通り当直の多い仕事だ。父もまた、週の半分以上を軍の本部で過ごしている。
母は幼い頃に亡くなっているため、父や頼れる上の二人がいない間、王都のラローザ邸を取り仕切るのはすっかりレリッサの役目だった。
軍服のボタンを留め終わり、腰に細剣を差したエメリアは身内ながらため息が出るほどに麗しかった。ホーリィもうっとりと頰に手を当てて見入っている。
エメリアとレリッサは、ともにサロンを出て、玄関に出た。
「行ってくる。…さっきの話だけど」
「はい?」
さっきの話、と言うのが何を指すのかわからず、レリッサは首をかしげる。
「舞踏会のパートナーの話。もし相手が必要なら言ってくれ。信頼できる部下に声をかけてみるから」
「ああ…。大丈夫よ。荷物を届けついでに、お父様にお願いしてみるわ」
そう言うと、エメリアは「そうか」とうなずいて、身を
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