チャリガス爆発

柿尊慈

チャリガス爆発(起)

 あまりにも突然のことだったので、しばらく何が起きたのかわからなかった。直接的な被害を受けなかったものの、僕自身も爆発に巻き込まれて、転倒しかけたからである。そこそこの大きな音で、頭が真っ白になったというのもあるだろう。


 好奇心ゆえに出向いた田舎での殺人事件を経て、僕には恋人のような、大切にすべき女性がいた。とはいっても、彼女こそがその殺人事件の犯人であったために、彼女は今罪を償っている最中で、僕たちはたまの文通のみでつながっている状況にある。そういうわけで、せめてオシャレでかわいい便箋や封筒をと思った僕は、普段行かないような雑貨屋まで足を運んでいたのだった。

 その帰り道のことである。街灯がちかちかと点滅している中、線路沿いの道をとぼとぼ歩いていると、すれ違った直後の自転車が背後で爆発したのだ。もちろん、背中で繰り広げられた出来事であったために、僕は実際に爆発の現場を目撃したわけではない。しかし、衝撃でよろめき、振り返って見えた光景――フレームがぐにゃりと曲がった自転車と負傷した男性――から、自転車が爆発したと想像するには十分だった。

 自転車と被害に遭った男性以外は、吹き飛ばされかけた僕くらいしか影響を受けていないようである。街灯は変わらずに点滅しているし、爆発の規模もそこまで大きくなかったため、近くの自販機も正常に機能しているように見えた。ガード下の駐輪場のフェンスが、爆発に巻き込まれてやや歪んでいるように見えたが、爆発音の仰々しさほどの被害は見受けられない。

 もちろん、爆発したのであろう自転車に乗っていた男性はその限りではない。清潔感のある白いシャツはボロボロになり、歪んだフェンスにもたれかかっている。暗くて顔はよく見えないが、黒い髪の毛はところどころ縮れてしまい、腕や顔の皮は火傷でめくれ、赤黒くなっていた。コゲくさい臭いがすることから、爆発したのは間違いないだろう。自転車と僕との距離がもう少し近かったなら、僕もよろけるどころでは済まなかったかもしれない。

 状況を分析している場合ではない。近くのアパートの窓から、爆発音に気づいた住人たちが顔を出していた。はっとして、僕はスマートフォンをポケットから取り出す。救急車を呼ぶ。本当に自転車が爆発したのかどうかは怪しいので、それについては伝えない。電柱に記された番地と、近くのアパートの名前を確認して、男性が火傷を負ったとだけ知らせておいた。

「……ねぇ、そこの君」

 ぜぇぜぇと、息を荒げながら誰かに声をかけられて、僕は周囲をきょろきょろと見回す。息のする方を探っていると、それが例の男性のものであることに気づく。通話を切ったスマートフォンを持ったまま、僕は彼の方へ駆け寄ろうとする。しかし、彼が突然――ゆっくりと、力を振り絞りながら腕を上げたので、僕はその意図を確認するべく立ち止まった。

 指が、どこかへ向けられている。視線を向けると、アスファルトの上に小さな物体が転がっていた。やや縦長の、銀色のボディ。それが男性のスマートフォンであることに気づくのに、そう時間はかからなかった。僕は自販機の近くに転がっている、おそらくは爆発の衝撃で吹き飛んでいたそれを拾ってから、男性に手渡す。

 男性はひどく痛がっている様子だったが、何かおかしいとでもいうのか、微笑を浮かべながらスマートフォンを操作しはじめた。画面の光が、男性の顔を照らす。穏やかな、端整な顔立ちで、できたばかりの痛々しい火傷さえなければ、多くの女性が一目惚れするであろう容姿であった。

 男性はスマートフォンが正常に動くことを確認すると、小さく頷いてから僕の方へ顔を向ける。小さくめくれた皮膚が、風で少し揺れていた。

「いくつか、お願いがあるんだけど」

 そう言った男性の近くに僕はしゃがみこんで、真剣な顔で言葉を待つ。ひゅうと息を吸う音がして、男性は話し始めた。

「まず、そこにある自転車だけど。たぶん俺と君は、あれの爆発に巻き込まれたんだ。コゲた臭いが、自転車からするからね。いや、本当に申しわけない。だけど、君がやさしそうな好青年で安心したよ。どうしてくれるんだと掴みかかるのでもなく、こうして俺の話を聞いてくれているんだからね。

 さて、自転車なんだが、どうか君の手でどこかに棄ててくれないかな。いや、少し落ち着くまでは、どこかに隠して欲しいというのが正解かもしれない。防犯登録をしているから、見つかれば俺のものだとバレてしまう。カギは壊れて外れっぱなしだから、簡単に操縦できると思うよ。爆発の衝撃で、どこかが歪んでなければの話だけど。ちなみにカギの代わりになっているのは、カゴに入っているチェーンだね。車輪のところについてるロックは機能しないから、チェーンで盗難を予防していたわけだ。他にも利点はあるんだけど、それについては色々と落ち着いたら話そうか。無駄話ができるほどの元気は、今の俺にないみたいだからね。もしチェーンを使うことがあれば、番号を教えておこう。712だ。これで解除できる。使い方は一般的なものと同じさ。ただ、これも爆発でガタがきてるかもしれないけど……。

 そして、これが一番重要度の高いお願いなんだが、どうか自転車が爆発したということは、これから来るであろう救急隊の方や、きっとお世話になるであろう病院の人たちには、伏せていて欲しいんだ。その爆発に巻き込んでしまって申し訳ないけれど、これは俺としても突然の出来事で、不慮の事故なんだ。狙って君の近くで爆発させたわけではないし、そもそも自転車が爆発するなんて夢にも思っていなかったんだよ。ただ、俺には何となく犯人というか――背景のようなものが推測できている。とはいえ、確信はできないけどね。証拠が揃っていないんだ。色々と、調べたり確認する必要がある。

 最後に、もしかするとこれが君にとって一番の負担になるかもしれないんだが、今この瞬間から、君と俺は親友同士だということにしてくれないかな。というのも、先のお願い――自転車が爆発したということを伏せるためには、色々と工作しておく必要があるからね。警察やら何からが、自転車のことを調べてしまえば、あっさりと状況が明らかにされてしまい、俺にとっても――まあ、別のある人にとっても、きっとよくない結果を招くことになる。

 そういうわけだから、今のこの状況について、君にはこれから、次のように説明して欲しいんだ。まず、君と俺は親友だから、毎晩のようにお互いの家を行き来してふたり飲み会をしていた。今日はたまたま俺の家で飲んでいたんだけど、俺が調子に乗って揚げ物をしていたら、突然に油が爆発して、俺は火傷を負うことになった。家自体の被害は大したことなかったが、目撃者である君は救急車を呼び、他の通りに比べて少し道が広く発見しやすいこの場所まで、俺をおぶってくれたんだ。家に氷や保冷剤はなく、冷やす手段がなかったから、夜風に当てるのが賢明だと思った、とか何とかいえばいいと思うよ。君がさっき電話でどんな報告をしたのか間では聞き取れなかったけど、この設定と辻褄が合わないことについては、気が動転してたとか言えば怪しまれることはないだろう。家でテンプラ油が爆発すれば誰だって混乱するだろうし、すれ違い様に自転車が爆発すればなおさらだ。もちろん繰り返すように、自転車の爆発については決して口外しないで欲しいんだけど。

 で、親友だというのに連絡先のひとつも知らないというのはおかしな話だから、今すぐに俺と連絡先を交換して欲しい。これだけしゃべったせいかはわからないが、だいぶ意識が朦朧としてきた。どうにかして生き延びたいが、このまま事切れたり、しばらく入院したり、寝たきりで目が覚めないということだって存分にありえる。もし意識があっても、動けなければどうにもできない。俺たちはこれで連絡を取り合って――君には、俺の調べたいことをいくつか代行して欲しいんだ。探偵の下請け、みたいなものかもしれない。そんなもの、あるのかはわからないけど。何せ俺は、そもそも探偵なんてマンガの中だけの生き物だと思っているからね。

 さあ、これが俺の、メッセージアプリのQRコードだ。さっきの爆発で画面が割れてるんで、やや読み取るのに時間がかかるかもしれないが、どうにかして登録してほしい。気になって仕方がないかもしれないけど、君からメッセージを送ることも避けて欲しい。必ず、俺から連絡するから。意識不明の俺の横で、自転車の爆発のことを尋ねる君のメッセージが受信され、それを誰かに見られたら元も子もないからね」

 一気に説明して疲れたのか、あるいは怪我のせいか、男性はそのままパタリと眠りこんだ。もしかしたら、本当にこのまま死んでしまうのかもしれない。弱々しい呼吸の音がするので、既に事切れているということはないだろうけれど。

 僕はスマートフォンで彼の画面のQRコードを読み取る。Suito Oribaというアルファベットと、どこかの夕方の浜辺の写真。彼がプライベートで撮影したものか、ネットで無料配布されているものかはこの際どうでもいい。スイト、オリバ。漢字まではわからないが、オリバが苗字で、スイトが名前だと考えるべきだろう。オリバくんだ。合わせて、プロフィールとして表示されるひとこと――何かの英文もあったのだが、僕はいったんそれのことは忘れて、つきっぱなしの彼のスマホ画面を操作して、アプリケーションを閉じる。もし彼が自分の連絡先を交換するための画面を開いたまま倒れていたら、僕と連絡先を交換したばかりだということ――つまり、親友だという僕の証言がだいぶ疑わしくなってしまうからだ。画面をオフにすると、ふっとあたりは暗くなり、彼の火傷は闇にぼやけ、焦げた臭いだけがあたりに残った。あとは、早く救急隊の方が駆けつけてくれるのを祈るばかりである。

 しかし、妙なお願いがあったものだ。自転車が爆発して怪我を負ったのに、爆発したことは伏せて欲しい。証拠になりうる自転車はどこかに隠せ。調べたいことがあるからまた連絡する。

 隠そうとするのは、何か後ろめたいことがあるからだろう。例えば、彼は他の人間の自転車を爆破しようと試みていて、まずは自分で試そうとしたら思ったよりも火薬の量が多かった、とか。僕は首を振る。少ししか話をしていないが、ここに倒れている彼――オリバくんが、そこまでマヌケな人間だとは思えなかったからだ。顔立ちや話しぶりから、彼が知性に溢れた男性であることは容易に想像できる。だからこそ、突然事故に遭っても、朦朧とした意識の中、何かしらの推測がなされたのだろう。彼と、他の誰かにとって不都合だというのだから、きっとその相手を気遣っての判断、およびお願いだったのだ。

 思い出したように、僕は歪んだ自転車を起こして、自販機の後ろの陰に隠した。後輪とフレームに、カゴに入っていたチェーンをかける。

 救急車の音がした。爆発でやや遠くなっていた耳は、サイレンの音で目が覚めたように元通りになっていく。さて、これから僕は彼の友達のフリをしなければならない。名前の漢字をどう書くのかも知らない、ハリボテの大親友の。

 野次馬も、アパートから道路に下りてきた。夜の景色。その奥の方で、救急車の赤いランプが点滅。それを避けるように――タイミングをずらして、壊れた街灯も白い光をチカチカさせた。自動販売機が、寂しそうに救急車を待つ。


 さて、気合を入れていたわりに、そこまで演技をする必要はなかったようである。ややムチャクチャな設定であったものの、彼が火傷を負っていたのは明らかだったので、肝心な部分が合っていれば問題はなかったのだろう。軽く服が焼けていたらしい僕も車に乗せられて、病院で簡単な検査をすることになった。特に問題はなかったが、オリバくんの方はかなりの重体らしく、意識が戻るのに時間がかかるそうだ。命に別状はないが、当分の間治療に専念するため、面会等もしばらくは困難だということである。

 しかし、爆発の被害者その2として病院に運ばれたのは好都合で、僕は彼の入院している病院がどこであるのか知ることができた。時間が経ったら、彼を直接訪ねることができるというわけである。


 日が替わったころに帰宅した僕は、ベッドに横たわった瞬間に眠りに落ちたようで、焦げのついたシャツを着たまま目覚めることとなった。ベッドに炭が落ちる。

 午前中は大学の講義もなかったので、僕は同じくベッドに転がるビニール袋を見つめ、愛する女性のために購入した便箋と封筒を取り出した。そうだ、午前中のうちに手紙を書いて投函しようと思っていたのだが……。

 自転車の爆発に巻き込まれ、自転車を隠すよういわれた僕。そもそもそれを律儀に守る必要は僕にはないのだが、オリバくんの様子から何か事情があるのだと察した僕は、連絡するという彼の言葉を待たずに、自転車の件を解決したいと思うようになっている。

 薄っぺらい愛の言葉の語彙もそろそろ尽きてきた頃なので、ちょうどいいだろう。僕は体を起こし、背の低いテーブルに便箋とシャーペンを置く。


 なんだか、不思議な事件に巻き込まれたようです。なんと、自転車が突然爆発しました。しかも乗っていた男性は、その事実を伏せてほしいというのです。本当なら、実際に会って話をしたいけれど、僕たちを隔てる檻は未だ強固で、事件の全貌もまだ明らかになっていないので、次の手紙で色々と報告できればと思います。それまでどうか、お元気で。


 星空を描いた、暗くもキレイな青い便箋。黒い文字はやや読みにくく、映えるようなペンも用意しなければならないなと思う。書き終えた便箋をくしゃくしゃにして、僕はそれをゴミ箱に放り投げる。

 ちなみに結果だけ言っておくと、この手紙のせいで自転車爆発事件が誰かに知られて、事態が悪化したということはない。

 すぐにペンを買いに行く必要はないだろう。彼女のことは大切だが、それゆえに、話題の方をしっかりと充実させておく必要があった。僕はスマートフォンを開き、普段全くといっていいほど使わないメッセージアプリを起動する。新しい友達に、オリバくんの名前があった。タップして、改めて確認する。本人を特定する情報は見つからない。連絡ツールなので、おそらくは本名であろうが、ネットゲームの知り合いとコミュニケーションするために偽名を使っている可能性すらあった。

 検索エンジンを起動して、浜辺・夕焼け・フリー写真とキーワードを入力する。しばらくして様々なサイト、および写真が表示され、僕は検索ワードを少し変えながら、彼が背景に設定している写真を探してみた。10分ほどその作業を続けていると、僕はようやくその写真を写真サイトで発見した。僕はため息を吐く。がっかりのため息だ。

 もしこれが、オリバくん個人が撮影したものであったとしたならば――彼がフリー写真サイトに投稿するほどの写真家であったり、彼の写真が誰かに悪用されでもしない限りは――この写真が彼個人を特定するものになったからだ。というのも、僕は彼が「オリバ・スイト」という名前でメッセージアプリを利用しているということしか知らないので、何かしらの情報――例えば、彼が学生なら学校や学部――を得たかったのである。そしてその際手がかりとなるのは、こういった「自分で撮った写真」なのだ。もしこの写真をSNSの背景に利用しているユーザーがいたのなら、それは高確率でオリバくん本人ということになる。しかしこれがフリー素材となると、この写真を利用しているユーザーが他にもいる可能性が高くなるので、ここからオリバくんのアカウントを特定、および情報を収集することが不可能になってくるのだ。

 そして、こういったツールでは、ユーザーはアイコンとホーム画面というふたつを使い分けているわけで、アイコンは本人の写真のアップ、ホームは風景などが向いている。浜辺の風景は例によって彼のメッセージアプリの方のホーム画面だったわけだが、アイコンはというと、顔写真ではなく星空だった。そしてこれは、すぐにサイトで発見することができてしまったのである。写真から、同じものを使っているアカウント――つまり、彼のものと思われるアカウントをサーチすることができなかったのだ。

「さて、困ったぞ……」

 オリバくんの反応や言葉から察するに、彼は自転車が爆発するとは夢にも思っていなかった。そうであるならば、あの自転車には爆弾のようなものが仕掛けられていたことになり、この件は単なる事故ではなく、何者かの作為および殺意による事件だということになろう。これがオリバくんのみを狙ったものであれば、次の爆発事件は起こり得ない。犯人は何かしらの手段を用いてオリバくんの生死を確認すればいいのだから。もちろん、死に至らしめるのではなく、多少痛い目に遭わせるだけで犯人の気が済むのであれば、ゆっくりと事件の真相を探ればいいだけのことである。急ぐ必要はない。

 しかし、困るのは次のふたつのパターンだ。ひとつは、オリバくんを殺そうとした誰かが、オリバくんが生きていることを知り、今度こそ彼を殺そうと何かしらの手を打ってくる場合である。この場合、同じように自転車爆弾を用いることもありえるし、自転車は警戒されていると考え、別の手段で彼の命を奪おうとするかもしれない。もちろん僕には、彼が命を狙われるほど悪いことをしたり恨みを買ったりするような人間には思えないけれど。こうなると、急がなければオリバくんの命が危ない。

 そしてもうひとつは、これが無差別事件だという可能性だ。これだと非常に厄介で、犯人は同じように、誰かの自転車に爆弾を仕掛けて行くことになる。対象が完全にランダムだとしたら、ほとんど手の打ちようがない。とにかく爆弾の仕組みを調べて、怪しい特徴を多数の人たちに知らせておく必要がある。そうしなければ、爆発の餌食になる人が次々と出てきてしまうのだ。

 例えば彼がどこかの居酒屋でアルバイトをしていて、自転車で通勤しているとする。その帰りに爆弾が作動したのだとすれば、居酒屋の店員一人ひとりが爆弾犯として疑われるし、周辺をうろつく不審な人物がいれば、そいつが細工をした可能性も高い。このように、オリバくんに関する何かしらの情報があれば、疑わしき人物を調べることが可能になるのだ。

 念のため、オリバ・スイトやスイト・オリバというキーワードでも、SNSのユーザー検索をかけてみる。しかし、収穫はなかった。今時、本名でSNSアカウントを使っているほど、リテラシーの低いユーザーはなかなかいない。当然といえば当然だった。もちろん、オリバ・スイトが本名ではない可能性だってあるのだけれど。そうなると、他に何か、彼に繋がりそうな手がかりは……。

 ふと、僕は今まで気にかけていなかった情報を思い出す。再びメッセージアプリを起動して、オリバくんのアカウントを確認する。アイコンも、ホームもフリー素材だった。名前でも、ひっかからない。なら、これはどうだ。

 プロフィールのひとこと。少し長い、何かの英文。意味がわかるような、わからないような。しかし、今は文の意味に意義はない。これが、彼を特定するツールになりうるかどうか……。

 ユーザー検索で、その英文を打ち込んでみる。1件だけ、アカウントが引っかかった。これかもしれない。アイコンは星空、ホームは浜辺。メッセージアプリのものと同様だ。あとは何か、他に彼の特徴……。

 IDは、どうなっているだろう。IDの文字列は、S_Oliverとなっている。エス、オリバー。スイト、オリバ。

「彼だ!」

 自分以外誰もいない部屋で、つい僕は声をあげて立ち上がってしまう。恥ずかしくなって静かに座り直すが、誰もいないので安心する。

 プロフィールの情報。大学名と、学部と学年……。なんと、学部学科は違えど、僕とオリバくんは同じ大学に通っている者同士ではないか! 知らず知らずのうちに、キャンパス内ですれ違っていたのかもしれない……。

 いや、まだ確証は持てない。しかし、かなり確率は高まってきた。あとは簡単だ。アカウントの投稿などから、この近辺に住んでいることが推測できないかどうか。写真か何かがあればいいのだけれど……。

 これまでに写真は投稿されておらず、僕は再び息を吐く。しかし気を取り直して、一つひとつ投稿文を調べていくことにした。


 暮井くれいの代わりに出勤。いつもと違う生徒たちだから、やや不安。


 最後の投稿は、これだった。日付は昨日の夕方頃。つまり、自転車が爆発する前の投稿ということになる。

 暮井というのは、おそらくアルバイト先の誰かだろう。爆弾犯として、疑われるべき人物のひとりである。いつもと違う生徒、という記述はどうだろう。何の捻りもない発想だが、おそらくは学習塾が勤務先であると考えられる。

 代わりということは、暮井という人物は何かしらの事情で、アルバイトを欠勤することになったのだろう。そしてオリバくんは塾へ行き、帰り道に自転車が爆発した……。

 なぜ、アルバイトを欠勤したのか。それは、自転車に爆弾を仕掛けるため。

 暮井が欠勤し、代わりにオリバくんが塾に自転車で向かう。働いている間、自転車は塾の近くに停めてある。その間に暮井はオリバくんの自転車に細工をして、自分は現場から退散。欠勤しているので、疑われる可能性はやや低くなるだろう。まず疑うべきは、そこにいるはずのない人物ではなく、そこにいたことが間違いない人物――塾の講師や、子どもたちになるからだ。

 かなり、雑な推理をしてみる。しかし、なかなかいい線をいってるのではなかろうか。暮井が犯人ではなかったとしても、例えばどこかで恨みを買った暮井が、自分の命が狙われているのを知っていて、犯人が自身のシフトを知っているのを逆手に取ったということもありうるだろう。つまり、本来爆破されるべきは暮井だったのに、それをうまくすり替えたということだ。

 しかし、これはこれで問題がある。バイトのシフトを知っていた犯人が、暮井の自転車だと思い込んでオリバくんの自転車に爆弾を取りつけたということになるからだ。そんなマヌケなことがあるだろうか。どういう仕組みかはわからないが、まさか爆弾が仕掛けられているとは思わなかったほどに、爆弾は小型で緻密なものだったのだろう。そんなものを開発できるほどの頭脳の持ち主が、肝心なところで抜けるなんてことがあろうか。もちろん、本人は頭の足りない大馬鹿者で、爆弾自体は悪の組織などから購入した、ということもありえるが。

 どちらにせよ、その暮井という人物が疑わしいことは確かだ。オリバくんが僕と同じ大学の学生なら、暮井という人物も同じ大学に通っている可能性も高くなってくる。つまり、暮井の顔写真などを見つけられたなら、実際に大学内で問い詰めることも可能になるのだ。

 オリバくんのアカウントのフォローから、それらしいアカウントを探してみる。……いた。粘土というアカウント名。クレイは、粘土や泥を意味する英単語。暮井本人と見ていいだろう。大学も、僕たちと同じだ。いくらかスタンプで隠されているが、顔写真もアップされている。かなり加工が施されているのが、若干歪んだ輪郭の部分から推測できた。一見すると流行りのイケメンのようだが、実際はそうでもないのかもしれない。それこそ、火傷を負って皮膚が多少剥がれていても、整った顔立ちであることに変わりなかったオリバくんと並べば、その差は歴然だろう。もちろん、僕も万全の状態のオリバくんの隣にいれば、かなり見劣りはするだろうけれど。しかし、暮井の方はなかなか髪型などに気を遣っている分、努力ではどうしようもない壁のようなものを感じずにはいられない。あまり好きな言葉ではないが、雰囲気イケメンというやつだろう。

 雰囲気イケメンが、天性のイケメンを嫉妬して、自転車を爆破させた。考えられなくもないが、納得はできない。もしそのような動機だとすれば、もっとピンポイントで顔を傷つけた方がいいような気がする。爆弾が自転車のどこに仕掛けられていたのかはわからないが、あれは顔よりも命そのものを狙ったように思えた。暮井は、そこまで胆の据わった男のようには見えない。ということは、この推理もいくらか外れているということになるだろう。

 結局、本人を探して問いただした方がいいのだ。僕はスマートフォンのメモに「文字が光るペン」と打ち込んでから、焦げたシャツを着替えはじめる。


 暮井は文学部、オリバくんは法学部の学生だった。

 うちの大学では、文系の学部棟と理系の学部棟がなんとなく位置的に分けられていて、駅に近い方に理系の棟が並んでいる。文学部と法学部は隣り合っているが、暮井の学科は文学部の中でも偏差値的には低く、法学部はそれよりも10以上偏差値が高かった。もちろん、偏差値などあくまでも入学段階の学力を判断するものでしかないので、大学生活の過ごし方によってはそういった知能についてのピラミッド構造もかなり上下してしまい、あてにならないのだが。

 というわけで、文学部の建物の部屋を片っぱしから歩く気にはなれなかった僕は、なんとなく法学部棟に近い駐輪場に足を運んでいた。

 大学に来る途中、自販機の裏に隠しておいたオリバくんの自転車を確認していたのだ。改めて日の光の下で見てみると、隠したつもりが全然隠れておらず、もはや堂々と路上駐輪しているような状態であった。しかし、路上駐輪に対する厳しさは駅との近さに比例するので、線路沿いとはいえどそこまで監視の目が行き届かない事件現場の自転車は撤去されておらず、日陰で僕に回収されるのをひっそりと待ってくれていたのである。大学に行く前に僕は、その自転車を住んでいるアパートの駐輪場に避難させておいた。おかげでやや疲れたが、オリバくんの言っていたようにロックは常に外れていたので、家まで押すことができたのである。これでロックがかかっていたら、持ち上げて運ばなければならなかっただろう。

 さて、そのとき自転車に、大学の敷地内に駐輪することを許可されたシールが貼ってあることに気づいた。つまりオリバくんは、おそらくは学習塾であろうアルバイト先まで自転車を利用するだけでなく、キャンパスまでの道のりにも、自転車を利用していたということになる。目撃される可能性が高いので、確率としてはバイト先に比べていくらか低くなるが、キャンパス内でオリバくんの自転車に爆弾が仕掛けられた可能性もあるということだ。

 無差別であれば、他の学部棟の駐輪場で次の爆弾が仕掛けられる危険性もあるが、こればかりは全てを回ってみないとわからない。しかしこれがオリバくんを狙ったものであったならば、犯人はきちんと爆弾が作用したかどうか――つまり、のうのうとキャンパス内に彼の自転車が駐輪されていないかどうかを調べにくるはずである。僕がちんたらしている間に、犯人が既にそれを確認してしまっている可能性もあるが、もしかしたら、駐輪場の自転車を観察する怪しい人物がいるかもしれない……。


 いた。

 それも、知った顔だ。正確には、見たことのある服装。不用意にSNSへアップされていた写真と同じ。

 暮井らしき人物が、駐輪されている自転車を、一つひとつ見て回っていた。




(承に続く)

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