『俺の好きな人』が好きな人は『俺』だった世界
そこらへんの社会人
第1話 出会い
ガタンゴトンと電車が揺れる。吊革を握っている俺は左に右に揺さぶられながらも手元の単語帳から目を離さないように努めた。揺れ動く車内は平日早朝の出社ラッシュからは少し遅い時間帯だからか、いつもより乗客は少なかった。スーツを着た就活生らしき人、お年を召した老夫婦、カメラを首に提げている中年男性その他諸々。その中で公立高校の制服を着ているのは3両編成のこの電車のどこを見渡しても俺一人だった。
――そう、遅刻である。
今日目が覚めたのは8時半。きっと教室では多くの生徒が机について朝礼前の時間を退屈そうに待っているに違いない。俺も普段はそこにいる。
元はといえば母さんが悪い。8時に起こしてと言ったのに、俺が完璧に起きる前に仕事に行ってしまったのだ。職務怠慢、40を過ぎて腹が弛んでいるばかりではなく気も弛んでいるんではなかろうか。
心の中で、面と向かっては言えない悪態をついて自分を正当化した。冷静に見えて案外焦っているのだ。
プシュー
電車のブレーキ音の後、停車後の独特な音が響く。ホーム側の扉が開き心地よい風が流れ込んでくる。俺はようやく単語帳から目を離し、周りを見渡した。・・・どうやらまだ着いてはいないらしい。車窓から見える駅名の看板を見てから俺は腕時計に視線を移す。
9時10分、一時限目が始まって20分が経過していた。俺の心は今すぐにでも電車を降りて高校の校門めがけて走り出したかった。高校の最寄り駅まではもう3駅、どうだ、間に合うか・・・
不安と焦燥に苛まれながらも俺は単語帳に再度目を落とした。高校三年生のちょっとばかしハイレベルな英単語達の意味を暗記するのは一筋縄ではいかない。ましてやこんな状況なら尚更であった。
――母さんめ!
心の中で一際大きく叫びながら俺は脳をフル回転させようとする。ホラー映画でよくある、焦りか故障かで車のエンジンがかからないあの現象が脳内で起きていた。多分この場合はどっちともが原因だろうが。
電車は暫し時間をとって乗り降りする客を待っていた。見たところ乗車しようとしている人も降りようとしている人もいないので、どうか早く出発してくれと願ったが、時間ぴったりまで待とうとする日本らしさに少し腹が立った。英単語を見ていたからかもしれない。
そもそも、俺がここまで焦っているのには理由があった。ただの遅刻ならこんなに焦りはしない。そう、重大なイベントがあるのだ。イベントという名前で呼ぶには不適だと思うが。
テストテストテスト。テストである。試す方ではない、試されるほうである。そして今日の一時限目は「英語」。大学入試に通知表の成績が関わってくるかもしれないと多くの生徒が気を引き締めて取り組む定期考査のテスト初日に、俺は遅刻していた。ゴムで言ったら経年劣化のしすぎでちぎれているだろう。
最速で教室に滑り込んでも回答時間は20分もないだろう。俺はそう睨んでいた。となるとその状況下で可能な限り点数をたたき出すには確実に点数が稼げる英単語の和訳、その逆の英訳を課す最初の小問と考えた。長文読解とかいうそもそも時間がないと解けない問題は適当に埋めておくしかない。赤点さえとらなければ後々挽回できる。
ただ、
問題はたどり着けるかどうかだった。
今止まっている(はよ出発しろ!)駅から3つ先に高校最寄りの駅がある。そしてその駅から高校までは徒歩30分、ダッシュしても運動に適していないこの制服とカバンのせいで15分はかかるだろう。そしてこの駅から最寄り駅までの時間は・・・20分。絶望的な状況だった。何かの間違いで電車が特急レベルのスルースキルを見せ俺を目的地まで運んでくれないかと霞ほどの期待をしたが、この停車時間的にその望みも絶たれたようだった。
――あゝ、俺の高校生活、儚し・・・
熱心な教育を俺に施し、進学校の公立高校に俺を入れてくれた両親の悲しむ顔が目に浮かぶ。(いやでも母さん、貴女も悪いのよ。)
半ばあきらめがついたところで車内にアナウンスが入る。
「まもなく出発いたします。閉まるドアにご注意ください。」
――ハリー!!!ハリー―!!!!!
ドアが独特な音を立てながら閉まり始める。
その瞬間だった。
突然現れたその物体は風を切りながら颯爽と現れ、閉まりゆくドアの間隙をするりと潜り抜けて車内に入ってきた。
物体――女子高生だった。
「・・・ふぅ。」
――ふぅじゃねえよ、ふぅじゃ。
俺は目が飛び出るくらいの華麗さに驚きながらも、乗り込んだ女子高生が発した余りに力ない声にツッコんでいた。
遅刻して精神がどうにかなってしまいそうな俺の前に、同じく遅刻しているであろう女子高生が飛び込んできた。
――この状況、何なんだ・・・
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