第62話 風林火山

 真田丸に戻り大助の無事を見届けたお梅は、その後帰還した

又兵衛達一行の元に行き礼を述べた。

「又兵衛様、此度はお力をお貸し頂きありがとうございました。

又兵衛様がしんがりを務めて頂いたお陰で、私達も無事帰還する

事が出来ました」

 返り血を浴びた又兵衛達の甲冑は赤黒く染まり、戦闘の凄まじ

さを彷彿とさせたが、彼等は慣れた様子で自分達の武具を外し、

各々寛いでいた。

「いや、こちらこそ良い経験をさせて貰った。城の中でじっと相

手の出方を待つのは性に合わんでの。血の気多い我らには良い息

抜きとなったわ」

 かっかっかっと豪快に笑う又兵衛を見て、武人とはかくも豪胆

な者かと感心したが、彼等がここに来る迄に多くの敵兵の命を奪

った事を考えると複雑な思いが渦巻いた。

『やはり私は戦に臨む覚悟が足りぬのだろうか–––––』

 お梅が胸中でその様な事を考えてると、真田丸から多くの銃撃

音が聞こえて来た

「前田の軍勢との交戦が始まったようですね」

 お梅の側に付いていた佐助が、真田丸を仰ぎ見て言う。

「お梅様、ひとまず奥の屋敷へ戻りましょう。お春様もご心配さ

れておりましょう」

「だが、藤次郎達がまだ戻っておらぬ。彼等の無事を確かめるま

では–––––」

 お梅がそう言いかけた時、真田丸から大助と仁左衛門が甲冑姿

で出て来て、急ぎ足で隣の城門へと向かおうとしていた。

「大助、何処に行く?」

 お梅に気付いた大助は一瞬気まずげに顔を顰めたが、直ぐに姉

の元に来て木村重成の陣営に向かう事を告げる。

「戦況を見て、重成殿と共に打って出るつもりです」

「せっかく篠山より無事に戻ったのにまた出陣するのか」

 お梅は大助を止めたかったが、父の命で初陣を飾る弟の覚悟に

水を挿すのは憚られるかと、黙って今回は見送る事にした。

「気をつけてな、無茶をするでないぞ」

 その言葉を聞いて大助はぶっと吹き出し、声を上げて笑う。

「姉上には言われたくありません。無茶と無謀は姉上のお箱でし

ょう」

 お梅は心外とばかりに眉を顰めた。

「姉上に救われた命を無駄には致しません。藤次郎達も必ず無事

連れ戻します」

 そう言って颯爽と戦に赴く弟の背中を見送りながら、いつの間

にか逞しく成長し自分を追い越して一角ひとかどの武人にな

ろうとしている大助を誇らしく思うと同時に寂しく感じた。



 夜明けを待たずして始まった前田勢と信繁率いる真田軍との攻

防は瞬く間に他の軍勢にも飛び火する様に開戦を促し、東方の城

門から南と西側まで一斉に徳川勢が攻撃を仕掛けた。

 中でも激戦を極めたのは、南の中央に位置する八丁目口の城門

だった。

 ここを守るのは、木村重成と信繁の義兄にあたる大谷吉治の連

合軍である。


 重成は昨日捉えた伊賀の忍びが爆薬を用いて、南側の城門を破

壊し、それを合図に徳川勢の総攻撃を促そうとしていた事を突き

とめ、それを逆手に取ってわざと城門近くで、爆発騒ぎを起こし

敵方を誘き寄せる算段を講じた。

 火薬の調合は秀頼と淀の配下の甲賀衆の者が執り行い、派手な

音と閃光に特化した爆薬を詰めた大弾おおだまを、早朝の空に打ち上げた。

 これを見た徳川勢は、南の城門が爆発したと勘違いして、我先

にと八丁目口を目指して攻め登った。

 この時およそ一万以上の歩兵と騎馬隊が大阪城の南へと押し寄

せたが、彼等が城門前に辿り着く事はなく、多くが待ち構えてい

た豊臣勢の砲撃に倒れた。

 中でも真田丸からの攻撃は凄まじく、砦の穴から放たれた銃弾

は八丁目口に押し寄せた軍勢の側面をも捉え、辺りは血の海の中

に折り重なるように屍が積み上がる。

 形勢不利と見て引き返そうにも、背中を向ければそのまま狙い

撃たれ、先頭の様子を知らない後続の味方の軍勢が続々と押し寄

せ、流れを堰き止められた徳川勢は城門前で恐慌状態となってい

た。

「そろそろだな、柵に火を放て」

 信繁はとどめとばかりに真田丸の周りに二重に張り巡らせた木

の柵に火矢を放った。

 ゴウっと木の柵が勢いよく燃え上がり、手前の堀に張った油に

も引火した一帯は火の海と化し、真田丸の周辺に居た部隊は炎に

飲み込まれた。

 地獄絵図の様なその有り様に、後から来た部隊は一目散に逃げ

出し、戦意を喪失した後続隊の離脱でこの日木津川の緒戦以降優

勢だった徳川方は初めて大敗する。

 更に撤退の遅れた残党を、重成と大助が将を務める五百余りの

騎馬隊が掃討し、完膚なきまでに徳川勢を叩きのめした。


「兄上の言う通りに出陣を遅らせなければ、我らもあの火炎の餌

食になっていたかもしれませんね」

 信政は馬上から彼方に燃え盛る炎の壁を見て、呆然と呟いた。

「まさかここまでやるとは、叔父上は敵に回せば恐ろしいお方で

すね」

 信吉もいつもの柔和な顔を曇らせ、厳しい眼差しを真田丸に向

けていた。

「信吉殿は、信繁叔父上の策を知っていたのですか?」

 信政の横で馬を並べる次男の信重は疑念を滲ませ、兄と呼ぶに

はまだわだかまりを持っている様子で詰問した。

「とんでもない。しかし、信繁殿が築いたあの異様な砦は近付か

ぬ方が賢明と感じた迄です」

「よもや、あちらと通じているわけではないのですね」

 警戒している事をあからさまに態度で示す弟を、信政が嗜める。

「いい加減にしないか!兄上の進言が無ければ、我らも危うかっ

たのだぞ」

 信重は不満げに顔を顰め、そのまま馬を返して先に戻って行く。

「昨年元服を済ませたばかりで、まだまだ子供じみた所が抜け

ない様で‥‥‥申し訳ありません」

 信政が謝罪するのを、手で制し信吉は笑顔で応える。

「お気になさらず。信重様は利発な方です。信政様を案じて私

を牽制しているのでしょう」

 五千の兵達の総大将は信政だが、実質細かい指示を其々の将

達に出しているのは信吉なので、それを側で見ている信重は歯

痒い思いを抱いていた。

「あちらには、信重と同じ位の長男が––––– 確か大助殿だった

か、この戦に参加しているのだろうか」

 この後、従兄弟の大助の華々しい活躍を聞いた信政と信重は

戦に参戦出来なかった事を悔しく思い、次こそはとまだ見ぬ従

兄弟へ強い対抗心を抱いた。



 早朝、真田丸と前田軍の戦闘に端を発した大規模な戦の攻防

は、南西の松の口の城門前に陣を置く伊達政宗の軍勢にも影響

を与えた。

 政宗は南からの侵攻は難しいと踏んでいたので、さほど積極

的な戦闘は仕掛けず、兵力を温存しながらの静観を決め込んで

いた。

 しかし、真田丸、八丁目口に侵攻した前田軍、井伊軍を始め

とする徳川勢がほぼ壊滅し、撤退を余儀なくされると、家康は

戦力を損なっていない伊達軍を使って、散り散りになった兵達

の回収を命じた。

「家康め、人をこき使いやがって」

 文句を言いながらも政宗は弾除けの盾を兵達に持たせ、少数

で孤立している味方の将兵達を速やかに撤退させた。


「風林火山––––– か‥‥‥」

 長い一日が終わろうとしている夕暮れ、陣営から大阪城とそ

の側に控える真田丸を眺め、政宗がポツリと呟く。

「かの武田信玄公が、戦旗に刻んだ文字ですね。それが何か」

 側に控える重長が主人に尋ねる。

「信繁の此度の策、まるでその風林火山になぞった様な戦法だ

と思ってな」

 重長もはっと閃くものがあり、思わず言葉を漏らす。

「動かざる事山の如し–––– 山とはあの真田丸と呼ばれている砦

でしょうか?」

 政宗が続けて誦じる。

「静かなる事林の如し、林はそれを取り巻くあの二重の木の柵

それを使い誘き寄せた敵兵を火責めにした」

「侵す事火の如し‥‥‥」

 重長が畏敬を込めて静かに唱える。

「差し詰め、風は最後に騎馬で残党を蹴散らしたあの小隊か」

 はっはっはと可笑しそうに笑う政宗に、重長が尋ねる。

「信繁殿は何処であの様な策を習得したのでしょうか?」

「信繁の父昌幸殿は若い頃、武田家に仕えていた。当時信玄公

には凄腕の軍師が突き従っていた」

「山本勘助殿ですね」

「戦の天才とまで謳われた勘助の兵法を、昌幸殿が学んだとす

れば、あり得ぬ事でもない」

「それが真であれば、その兵法を継承した信繁殿はこの戦に於

いて徳川勢の脅威となりましょう」

 あの優しげな風貌の信繁が、戦に於いてかくも恐ろしい存在

になるとは、九度山で彼と会見した時は想像だにしなかった重

長だった。

「だが、その天才軍師も、信長の用いた新たな武器と戦法には

叶わなかったがな」

 政宗は幾分寂しげに片目を伏せる。

「家康がこのまま手をこまねいている筈もないだろう」

 いつの間にか日は沈み、夜のとばりが戦場に落ちた。


 





 






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